悟って「頓馬(トンマ)」になるという冒険
あらら姫さんの楽天日記で、「トンマ」が話題に上っている。
ネット辞書で調べると、【とんま: 頓馬】の「とん」は「とんちき」の「とん」なのだが、次に「とんちき」を調べると、「とんま」の「とん」とあって、堂々回りなのだそうだ。辞書って、案外いい加減なところがある。
【頓】 という字そのものを Goo 辞書で調べると、次のようになっている。
(1) 急であること。にわかであること。また、そのさま。
(2) にぶい・こと(さま)。とんま。
(3) 〔仏〕 教法の理解や修行などの段階的な深化を経ることなく、
一挙に悟りに到達すること。三省堂提供 「大辞林 第二版」より
おもしろいのは、(1) の「急であること」 と、(2) の「にぶい」という意が、正反対に見えることである。一体どうしてこんなことになったのか、探りを入れてみたいところだ。
「頓」 という字の元々の意味は、やはり「急激であること」なのだろう。
さらに上記の (3) で説明されているように、仏教では、突然のインスピレーションのように不意に訪れる悟りを「頓得(とんとく) の悟り」などといい、段階的に修行を積んだ末の「漸得(ぜんとく)の悟り」と区別している。
また、「頓教」というのは、「長い修行を積まず、すみやかに悟りを完成させる教法」とされており、それはとりもなおさず、宇宙の大真理を直接的に説いた「華厳経 (けごんきょう)」のことである。
「華厳経」というのは、正式な名称を「大方広仏(だいほうこうぶつ)華厳経」という。「大方広仏」というのは「毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)」の別称といわれていて、有名な奈良の大仏さんである。あの大仏さんは、宇宙の大真理の象徴なのだ。
「大方広仏華厳経」というのは、宇宙の大真理は、「一」の中に「すべて」が包含されていて、「一即多「多即一」の妙々なる原理であるということを説いたお経だ。
つまり、本当に透徹した目で木を見れば、森も見えるのだ。一粒の砂を見れば、宇宙だって見えるのだ。山川草木国土悉皆成仏、つまり、山も川も草木も国土も、すべてのものは、仏の現れなのだ。
お釈迦様は、長い修行の末にこの悟りを得たわけだが、悟った途端に、それを説法し始めたものだから、エライことになった。なにしろ「頓教」である。悟ったことを、ブワーっとそのまんま、堰が切れたように説き始めたので、実は聞いても誰も理解できなかった。
そこで、悟り薄き衆生にいきなり大真理を説いても通じないとわかったお釈迦様は、この「華厳経」に封印を施して、その代わりに阿含経など、日常の戒律のようなところから説き始めた。いわゆる「小乗」の教えである。
その後にだんだんと「維摩経」や「般若経」などの「大乗」の教えに移行していき、さらに「法華経」に至って、仏は未だかつて生じたこともなければ、永久に滅することもない、ただ存りて存り通すものだという、究極の悟りの世界を説かれたということになっている。
それは、最初に説いた「華厳経」を具体化したもので、これが、段階的に説く教え「漸教」というものである。
宗教学という学問の世界では、大乗仏典はお釈迦様が直接説いたものではないという説が有力なのだそうだが、それはそれ、仏教哲理では、上記のようなことになっているのだ。
問題は、この「華厳経」という「頓教」である。説かれた当時は、あまり崇高すぎて、誰にもわからず、チンプンカンプンだったという、ここが大事なところである。
あまりにスゴイ悟りというのは、悟り薄き衆生、常人からすると、わけのわからないものである。つまり、「イッちゃってる」のと大差ないのだ。そこから「頓狂」という言葉が生まれたのではないかと、私は思っているのである。
「素っ頓狂」の「頓狂」である。宇宙の大真理も、悟り薄き衆生には形無しである。「頓教」ではなく「頓狂」扱いされてしまうのだ。
そのあたりから、ついには「頓馬(とんま)」の「頓」にまで転化してしまって、「にぶい・こと(さま)」 という意味にまで零落してしまったのではなかろうか。
この世においては、「聖なるもの」は零落するのである。しかし、零落してもなお聖なるものが、本当の聖なるものである。
禅の悟りの段階を示した「十牛図」では、「悟り」を象徴する「牛」を完全に手なずけてしまった段階、つまり「本当に深く悟っちゃったもんね」という段階は、十段階のうちの六番目にすぎないとされている。
そこから、七番目の「悟りなんて忘れちゃったもんね」という段階に進み、最終的には、腰に酒瓶ぶら下げて、薄汚れた世俗の世界にダハダハ遊ぶことになっている。これ、一見したら「零落」そのものだ。
いきなりこの最終段階まで進んだら、そりゃもう「素っ頓狂」以外の何物でもない。だから「急激」と「にぶい」は、あんまり違わなかったりするのだ。何しろ「一即多」「多即一」 が宇宙の大真理なのだから。
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