地球の都合と、人間の都合
昨日朝に妻と車で筑波を発ち、夕方に酒田に着いた。途中は、福島も山形の内陸も、33度以上の真夏日。湿度が少ないので、日本の景色がやたらすっきり、くっきりだった。
ところで、昨日は「防災の日」とやらで、実家に着いたら、テレビは地震の話で超盛り上がりしていた。地震国日本である。
テレビは、地震のおきるメカニズム、これまでの巨大地震のレビュー、地震が起きたらどう対処すべきか、家具が倒れることを防ぐにはどの方式が効果的か ・・・ 懇切丁寧に説明する。これを見ただけで、地震のプロになれそうだ。
いかにあがこうと、神仏に祈ろうと、地震は来るときには来るのである。地殻のひずみによってエネルギーが不断に蓄積されつつあるのだから、時々はそれをリリースしてやらなければならない。
地球上に暮らしている人間は、「人間の都合」を優先させて「地球の都合」を抑え込むわけにも行かない。もし抑え込むことができたとしても、蓄積エネルギーがさらに増えて、そのうちに、より大きな地震としてリリースされるだけである。
考えてみれば、地震に限らない。人間は少なくとも産業革命以来、「地球の都合」を無視して「人間の都合」を押し通してきたわけである。申し訳ないことではあった。今、いろいろな面でその報いが来ているのである。
地震という命に関わることを「天災」と諦めながら、暑さ寒さを我慢できずにエアコンを使い放題使ってしまうといったところに、人間の「業」といったものを感じてしまうなあ。
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