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2005年9月26日

スロッシングのメタファー

ざつがく・どっと・こむ」 で、「スロッシング」 という言葉を初めて知った。英語のスペルは "sloshing"。英和辞書では、"slosh" は 「(水などを〉 盛んにはねかす」 と出てきた。

他のサイトでは、「液面揺動」 などと訳されている (参照)。地震の際に、給水タンクや石油タンクが破壊されたりするらしい。

「ざつがく・どっと・こむ」 では、

コーヒーカップを、何気なく運んでいるとどうってことないのに、気をつけてゆっくり運ぼうとしたときに限ってこぼしてしまう。揺れをしずめようと手の動きをあわせると余計に波立ったりもして。

と書かれている。これがすなわち 「スロッシング」 そのものである。誰でも経験していることだろう。本当に身体的な感覚として、よくわかる。

以前、自宅で風呂に入っているときに地震があった。震度 4 ぐらいの、茨城県南西部ではしょっちゅうあるレベルの地震で、最初のズーンという突き上げで震度の見極めもついたので、別段あわてもせず、そのまま浴槽に浸かっていた。

ところが、くせ者はスロッシングである。ほんの 10数秒の揺れだったが、浴槽の中の揺れはいつまでも収まらない。非日常的なまでの単調さで、延々と "とっぷんとっぷん" が続き、私は乗り物酔いのような状態になって、這々の体で脱出した。

この 「単調な揺れ」 が、容器の中の液体の揺れ周期とぴったり重なると、かなりヤバイ。悪くすると、地震の揺れで石油貯蔵タンクが損傷し、火災になったりする。

コーヒーカップの持ち運びに戻るが、何気なく運ぶ方が、こぼさずに済むというのは、多分、自然な動きの中に 「自然の揺らぎ」 があるおかげで、単調な揺れによる大きなスロッシングが発生しないで済むのだろう。

逆に、意識して運ぶと動きがなまじ規則的になる分、大きなスロッシングが発生する。そんな時、カップの中のコーヒーが今にも縁から飛び出しそうになったら、下手に手の動きで調節しようとすれば、かえってあふれ出してしまうというのは、何度も失敗した経験で知ったことである。

多分、目で見た感覚と、そこから得た判断を手に伝えようとする運動神経の微妙なズレによるのではないかと思うが、かえって火に油を注ぐような結果になるのだ。

そういう場合は、とにかく、「ゆっくりと立ち止まる」 のが一番だ。カップの中に伝わる振動の源になる動きを止めさえすればいいのである。

考えてみると、世の中には気付かないうちに習慣化した 「単調なオペレーション」 のおかげで、「縁からあふれ出してしまいそうになった危機的状態」 というのがいくらでもある。

オペレーション自体を止めずに危険を回避するために、人間はいろいろな手を打つのだが、下手な考え休むに似たりである。たいていの場合は、ただ、止まりさえすればいいのだ。

目先の利益にとらわれて、あくせくしてはならないというメタファーである。

[追記]

"Slosh" の訳語としてあげた 「はねかす」 は、Bookshelf Basic 所蔵の、研究社の新英和中辞典 第 6版より。同じく Bookshelf Basic に入っている三省堂の新明解国語辞典 第 5版によると、「はねかす (跳ねかす)」 は、東京方言ということになっている。

もう少し適切な訳語を思いつかなかったのかなあと、かなり気になった。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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