« 性差と個人差 | トップページ | 大物論 »

2005年9月30日

性差と家庭

"「男らしさ」「女らしさ」にも、もっと多様性があっていい" ・・・ うぅむ、何だか素敵に感じてしまったじゃないか。

昨日の一撃、「性差と個人差」に、そういったトーンのコメントを寄せていただいた。気持ちは本当によくわかる。しかし、本当に多様化してしまったら、「らしさ」の意味がなくなる。

「○○らしさ」 というのは、ある一定の傾向を表すのだから、そこに多様性を求めてしまったら、元の言葉自体を裏切ってしまって、矛盾に陥る。多様じゃないから 「らしさ」 なのである。

鈴木清順監督の 「けんかえれじぃ」 に、高橋英樹が校長室だったかに呼び出されると、そこに大きな額が飾ってあり、仰々しく 「羅志久」 と大書してあるという場面がある (漢字はこれでよかったかなあ、間違ってたらごめんなさい)。

その学校の理想とするところは、「男は男らしく、女は女らしく」 ということなのだそうだ。そのあまりの権威的なステロタイプの滑稽さに、観客は笑ってしまうところなのである。そう、笑ってしまえばいいのである。そんなもの。

しかし、世の中にはやはり、笑い事ではない男女の区別というものがあるのである。私は今年 6月始めに "花田家の 「ねじ曲がり」" というコラムで、以下のように述べている。

誤解を恐れずに言ってしまうが、「変な家族」 のほとんどは、大人しく忍耐強い旦那と、我の強い仕切りたがりのかみさんの間に、妙に真面目な息子がいるというケースである。

本当に本当に、誤解を恐れずに重ねて言ってしまうが、世の中の家庭というものは、やっぱり、旦那の方がほんのちょっとだけえらそうにしている方が、あるいは(本当のところは)、させてもらっている方が、安泰のようなのである。

夫婦という単位で考えれば、それはどっちが主導権握ろうが、全然構わない。しかし、そこに子どもという存在が加わる「家庭」という視点では、かみさんが強すぎるとろくなことがない。

これは経験知で知ったことである。横暴な亭主というのは、それはそれで困ったことだが、まだコトは単純だ。第三者の力で、その横暴な亭主をぶっ飛ばして、ぎゃふんと言わせればいいだけである。

しかし、かみさんが仕切りたがりで、亭主が尻に敷かれっぱなしの家というのは、なかなか手に負えない。仕切りたがりのかみさんは、なかなか降参しないし、その分、子どもにかかるストレスは大変なものである。気の毒なのは、「妙に生真面目な息子」である。

私は、妙に権威的な「男らしさ」とか「女らしさ」とかを押しつけようという気は毛頭ない。毛頭ないけれども、結果が物語る場合は、その結果は雄弁である。

聖書に、イエスが「悪い実を結ぶ良い木はなく、また、良い実を結ぶ悪い木はない。木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる」(ルカ 6:43) と言われたとあるのは、とても示唆的である。

健康オタクというジョークがある。例の「健康のためなら、命も惜しくない」というやつだ。私は「性差解消のためなら、家庭の幸せも惜しくない」とは、とても言えないというだけのことである。

まあ、性差解消にこだわりたいなら、家庭を持たないという選択もあるということだが、私は「持つな」と言っているわけでもない。何度も言うけれども、このことで押しつけをしようという気は毛頭ない。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

|

« 性差と個人差 | トップページ | 大物論 »

心と体」カテゴリの記事

比較文化・フォークロア」カテゴリの記事

コメント

えーすごい決め付け。
今日の日記はまったく納得できない。

どんな親だから子がどうなるなんて、
そんなのどうしてわかるんですか?
細木数子みたいなこと言わないで下さい。

花田家の事情だって、外からどれだけ
わかるのかな。

あと横暴な亭主は世間がギャフンと言わせて
くれるって・・・まさか。
世間は横暴な亭主が暴力ふるってるのが
わかっても放置ですよ。
暴力の度合いがひどいほど放置。

( ・x・)tak君、今日のテキストは初めて
    30点ですよ。追試ケテイ

投稿: kumi | 2005年9月30日 03:20

うひゃあ、細木数子扱いだけは、勘弁してくれ!

彼女こそ、「我が強くて仕切りたがり」 の困ったかみさんキャラだもの。

>あと横暴な亭主は世間がギャフンと言わせて
>くれるって・・・まさか。

私は 「世間がぎゃふんと言わせてくれる」 とは言ってないよ。このあたり、ご指摘のとおり、確かに難しい。

ただ、難しいのは実行で、構造としてはごく単純。(肝っ玉のあるヤツが、ガツンとぶっ飛ばして、後でヨシヨシしてやればいい)

「押し付け」 は慎重に避けたつもりだけど、「決め付け」 という印象は避けきれなかったか。言葉は幾つ並べても足りないなあ。

投稿: tak | 2005年9月30日 11:10

私も・・・、庄内さんのご意見に、どちらかと言うと、共感しております。
これが性差というものでしょうか?
この辺で失礼させていただきます。

投稿: alex | 2005年9月30日 14:57

もう、alex さん、いつになくあっさりで、
その上、逃げ足速いし ・・・ ^^;)

投稿: tak | 2005年9月30日 17:12

点数つけるのは 決め付けじゃないのかしら?(笑)

私は ずっと前の チョコレート?のCMのコラムが気になっています。
ほら オヤジをバカにする・・・という内容だったと思います。

私は 幼い頃より「男の人はエライ」と育てられたのですが 
実像を知ればエライ!のひと言だけですむ問題ではなく 
ましてや虚像と実像のあまりのギャップに
一瞬あきれてしまう場面もあるのです。

オヤジをバカにすると ウケるのはこんなところにツボがあるのかもしれないと
仮定すると 女の子時代に「男=エライ」という雰囲気の中で育ったかたは
私だけでなく 結構多いのではないかと思いました。

エライとか 男だからとか 女だからとか こういうパターンの家庭だからとか
本当は人間をそういうモノサシで計って答えが出るものではないし
そのこともご承知の上で 書きにくいところを takさんが ご自分の
言葉でお書き下さっているので(違ったらすみません。) 私は楽しく
読ませて頂きました。

あるいは 誰かが反論してくるのを楽しみになさって いるとか? 

とにかく 答えのないものに 点数はつけられないのではないでしょうか?
ん~ でも点数つきのコメントもまた 楽しく拝見いたしました。

教養がないため ラリホ~!で的外れなコメントですみません。
それと メールアドレスとホームページを明かさず コメントすることを
お許しくださいませ。

投稿: Y | 2005年9月30日 20:41

Yさん、フォロー(なのかな?)、どうも。

>あるいは 誰かが反論してくるのを楽しみになさって いるとか? 

はい、ちょっと前に書いたように、当ブログ、あまりにもコメント率が低いモノで、ちょっと挑発してみました。

なんて、それはウソです。私はもっと純朴ですので。

>私は 幼い頃より「男の人はエライ」と育てられたのですが 

男の人がエライからこそ、女の人もエライのであります。そしてさらに、女がエライからこそ、男もエライのであります。

片っぽがエラくないと、もう片っぽもエラくは存在し得ません。どっちかがアホだと、もう片っぽもアホなのですね。

そして、お互いにエラくなったり、アホになったりして、人生は楽しいのでありますね。

ちょっと禅問答じみましたけど。

投稿: tak | 2005年9月30日 23:56

takさん
私のリンクの一つで、これを読んで、エライ怒っている女性がいますよ。
なんだか、わざと大げさに捉えて曲解気味だと思うんだけれど、おおらかに受け止めればいいと思うんだけれど、それは怖くて書き込めません。
人類の歴史も長いんだから、いろいろな正直な意見があってしかるべきと思うのですが、やはり知的現代女性は興奮するようです。
性差はタブーです。
今夜もこの辺で失礼します。

投稿: alex | 2005年10月 2日 02:31

あわわわ・・・

投稿: tak | 2005年10月 2日 22:25

このままでは、男が立たないので?、私もあえて、タブーの「性差」のテーマに、近々、そのうちに、そっと、できれば、挑戦してみます。
庄内さんの援護射撃は期待しておりません。(泣)

投稿: alex | 2005年10月 3日 04:15

うーん、自分のブログに自分の意見を書くのだから、「決め付け」で当然なのでは? それに反対なら、そう書けばいいだけの話で。

私はこの件に関してはtakさんと意見を異にしますが、takさんの文章は尊重しますよ。

投稿: Reiko Kato | 2005年10月 3日 05:00

Reiko Kato さん、どうもです。

>私はこの件に関してはtakさんと意見を異にしますが、takさんの文章は尊重しますよ。

望ましい態度の表明、ありがとうございます。

投稿: tak | 2005年10月 3日 09:13

alex さん、
そっと挑戦されるのを、
そっと楽しみにしています。

なんて、あまり書かない方がよかったでしょうか。

この問題、
男の方がオズオズとしてて、
女の方が勇ましいというのは、
案外分析してみる価値があるような気が・・・

あわわ、
これ以上は、あんまり言いません。

投稿: tak | 2005年10月 4日 01:02

面白く読ませて抱いたのですが、話題が話題だけにいつもどおり
読むだけで見守っていたのですが・・・。
じゃんじゃん、コメント入っていますね。

前回の性差のところで大いに納得しながら読んでいたので、続編も
「確かにそういうことあるかなー」くらいで読んでいました。

何でも批判にさらされては広いネット世界という個性の認められる
ところでさえ何がしかのタブーにがんじがらめにされることで多様性
を認めないのはヘンだ、と思っています。

昨今顕著なのはよく言われますように「言葉狩り」というやつですね。
差別語をなくそう、みたいな。そうやって何でもタブーにしていくと
「身体障害者」という記号であったはずの言葉に「ハンディキャップ
のあるひと」という英語風の表現を用いたほうが好ましい・・・とか日常の
日本語から逸脱して老若男女が共有する記号としての言語がなくなって
しまう。そういう過剰反応で物事をとらえてしまうのは残念です。

ちょうど、当ブログにも私の発言ではないのですが「すわ女性差別か!」
という話題が届き、自分のブログを使って「火消し」をしたばかりなので、
本質をジックリ話し合える土壌をつくるためにも「文章」という外見のみ
で文脈を読まれなかったら残念ですね。

長くなりましたが、大上段にいえば言論の自由というあたりから毎日の
ご意見を支持しております。普段は物言わぬ読者で済みません。
が、毎日更新、楽しみにしています。それでは。

投稿: banan | 2005年10月 4日 01:42

banan さん、フォロー、感謝です。

当ブログに寄せられるコメントは、かなり良心的で、
私としてはありがたいことだと思ってます。
少なくとも、悪意むき出しとか
「言葉狩り」 のようなヒステリックなものはありませんし、
荒れてしまう心配も、していません。
(他でどう言われてるかは知りませんが ^^;)

ここにコメントを寄せてくれる人たちの感性を信じてますから、
「なるほど、そういう見方もあったか」 と、新しい発見があったり、
「こんな言い方をすると、そんな風に受け取られるか」と反省したり、
いろいろ楽しませてもらってます。

投稿: tak | 2005年10月 4日 14:08

言葉狩りなんて単純なやつはきてないと?それはまた、
知的な大人のやりとりで安心しました。それじゃ、元通り
物言わぬ読者に戻ります。
コメントありがとうございました。それでは。

投稿: banan | 2005年10月 4日 14:27

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 性差と家庭:

« 性差と個人差 | トップページ | 大物論 »