自分自身に名前を付ける行為
2歳になるまで名前を付けてもらえず、自分で自分の名付け親になった女の子が米国にいるというニュースには、ちょっと驚いた。
戸籍にはずっと "baby girl"(女の赤ちゃん)と記されてきたが、2歳の誕生日を前に、どういう風の吹き回しか、自分で "Alice" と名乗ったのだという。(参照)
アリスの父親が次のように語ったというのが興味深い。(以下引用)
「あるとき、“いないいないばー” をして遊んでいたら、彼女が自分で顔を隠して ”アリスはどこ?アリスはどこ?” って言ったんですよ。だから「アリスって誰だい?」と聞くと、「私よ」と自分を指差したんです。
自分で名前を決めた、その時のアリスの笑顔は素晴らしかったですよ。今までに笑ったことがなかったかのように。遂に自分が誰だかわかったような…」
私は心理学は全然専門じゃないから詳細には書けないけれど、人間には鏡像段階という時期があるとされている。鏡に映る自分の像を通して、自己の身体の同一性を認識する時期で、それは生後 6か月から 18か月とされている。
アリスの場合は、その鏡像段階をとっくに経過して、自己の身体の同一性のみならず、「自分という存在」のアイデンティティを強烈に求めていたに違いない。そのソリューションが、「自分自身に名前を付ける」という行為だった。
蛇足だが、自分に与えた名前が、"A" という最も基本的な母音から始まる単純な 2音節の名前だったというのは、とても示唆的なことだ。2歳の女の子が自分に与える名前の選択肢には、"Patricia" とか " Veronica" などはあり得なかったと思う。
命名のもう一つの意義は、他との「差異」を認識するということだ。差異を認識しないところには、命名の必要性がない。アリスの求めた最初のアイデンティティは、とりもなおさず、命名による他との差別化だったのだ。
鏡像段階を経て自分自身の物理的範囲を限定し、そこに「名前」を付けることで、新しい次元の「解放」を得たのだ。つまり、差異を明確化する「限定」は「解放」への第一歩だった。
こんなことをくどくど書いたのは、今月 8日にここで書いた "最先端技術と融合する 「生命」" への千軒町さんのレスが、とても興味深かったからだ。彼女は、次のようにコメントしてくれた。(以下引用)
双子が同じ性格にならない最大の理由は、「一緒に生活をするから」なんてのがあります。自分と同じ顔した人と生活をともにするというのは性格を形成する上、重要な意味も持ちます。自我を形成をする大切な時期に、性格まで相手と同じになっちゃうのは許せないわけで、無意識ながらも違う人間になろうとするわけです。相手との区別こそ、自我の存在理由(アイデンティ)の確立に繋がるという考え方です。
一卵性双生児というのは、遺伝子的にはまったく同じなのに、別個のパーソナリティを持つ。その大きな理由が、同じ顔をした相手との差別化を要求するからというのが、おもしろい。彼女は、さらに、このようにも書いてくれた。
面白い研究結果に、生まれてからすぐに離ればなれになった双子の研究があります。彼ら(彼女ら)は、お互いの存在を知らないのにもかかわらず、同時期に結婚したり、同じ嗜好を持ったりすることがあるそうです。一緒に生活をしなかったら、もしかすると双子は同じパーソナリティになりやすいかも?なんてね…(^^;
アイデンティティの初歩的な認識のしかたは、「私は、あなたとは違う」ということのようなのだ。違っていなければ、アイデンティティの喪失につながり、とても不安になってしまう。だから、人間は他と 「違いたがる」 のだ。
しかし、違いすぎると、それはそれでまた、別の不安要素になる。日本という国は、どうやら差異を認める文化的許容範囲が狭いようだ。異質なものを排除したがる傾向がある。
ここで、ネット社会の「匿名性」ということに軸足を移そう。日本におけるブログは、社会に排除されずに、「特異性」を発揮できる「場」である。だから我々の多くは、米国の小さな少女アリスのように、自分自身の「名付け親」である。
自分自身に名前を付けることにより、我々はネット社会で「より率直な自分自身」であり続ける保証を得る。実社会では排除されかねない自分自身を表現するのだから、ネット社会は、ある意味「悪場所」である。
昔は、芝居小屋、遊郭など、公認の悪場所があり、社会のバランスを保つ機能を果たしていた。現代社会では、物理的悪場所は浄化されてしまったから、バーチャルなところにその機能を求めるのが手っ取り早い。
実名でブログを書くことを強制されたら、毒にも薬にもならないものばかりになるに違いない。
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