「はに丸」で死にかけた話
「死ぬほど苦しい」という経験をしたことがあるだろうか? 20代から 30代にかけて、合気道をやっていた頃は、「口から心臓が飛び出しそう」というほどの猛稽古もしたが、決して「死ぬほど」ではなかった。
本当に「死ぬかと思った」のは、以前、「はに丸」を舞台で演じたときである。
「はに丸」をご存じだろうか? 昭和 58年から 63年まで、NHK 教育テレビで放送された子ども番組のキャラクターで、姿形は「埴輪」そのものだった。こんなのである(真ん中が「はに丸」)。
我が家の娘達がまだ幼稚園や小学校に通っていた頃、町の「子供劇場」というのに加入していた。毎月 1度、プロの劇団が巡業してきて、子供向けのお芝居を見せてくれるのである。
いつだったかは正確に覚えていないが、その月は、テレビでお馴染みの「はに丸」が町にやってくるというので、子供たちは前々から盛り上がっていた。しかし、そこにはある趣向があった。
「はに丸」を演じるのは、劇団員ではなく、地元のお父さんだというのである。そして、なぜか私に「はに丸役」の白羽の矢が立った。まあ、そこは芝居心がないわけじゃない私である。軽い気持ちで引き受けた。
子供劇場の本番当日、私は会場となる小学校の舞台裏で、劇団の担当者と挨拶を済ませた。「台詞はありませんし、とくに演技も要りません。舞台に立って、子供たちと一緒に、簡単なクイズの答えを指さしてくだされば結構です」という。なんだ、やる気満々の私には拍子抜けである。
さて、舞台が始まった。「はーい、よい子の皆さん、こんにちはぁ! 今日は、みんなの町に、はに丸くんがやってきたよぉ!」という声に、子供たちが無邪気に反応しているのが聞こえる。いよいよ、私も「はに丸」に変身である。
両手両脚は、それぞれが固いボール紙の筒である。それを肩から紐で吊って、ずり落ちないようにするのだ。両脚はギプスのようになって、膝がまったく曲がらない。ちょっと不安な感じだ。
さらにその上から胴体を着けると、腰もあまり曲がらなくなり、肩も固定されて、肘から先しか動かせなくなる。そして、最後に顔の部分をかぶる。
これをかぶると、「はに丸」の顔は私の胸の辺りにあるのだが、私自身の顔は、狭い 「兜」 の部分に辛うじて収まっている。視界は細い隙間で僅かに確保されているだけなので、足許すら見えない。ますます不安な感じだ。
その上、顔の周りの空間が狭く、ものすごく息苦しい。なるほど、これほどの不自由さでは、大した演技はできそうにない。テレビで見る本物とは違って、全体的にかなりいい加減な作りである。
劇団員はこれらをすべて私に着せ終わり、出のきっかけを再確認すると、「それじゃあ、よろしくおねがいしまぁす!」と言い残して、どこかに消えてしまった。私は不自由な「はに丸」姿のまま、一人取り残されてしまったのである。
まったくもう、ゲスト出演者に対する扱いじゃないなあ。ただでさえ不安な感じなのに。
だんだん出番が迫ってきた。私は狭くゴタゴタした体育用具室を通って、恐る恐る舞台袖に移動した。視界が狭いので、つまずかないように歩くだけで大変だ。一度転んだら、両膝が曲がらないので、起きあがる自信がない。本来なら、介添えが欲しいところだ。
用具室から舞台袖に上がるには、移動式の階段があったはずだ。しかし、狭い視界から必死に探しても、その階段がない。おいおい、誰が片づけてしまったんだよ!?
階段を一人で上ることすら不自由だろうと、ある程度の覚悟はしていたのである。それなのに、その階段もなしに、胸の高さの舞台に自力で上れというのか。これがゲスト出演者に対する仕打ちか?
この扮装は一度身に付けてしまうと、肘から先が動くだけなので、自分では頭の部分が脱げない。頭が脱げないと、他のすべてのパーツも脱げないという構造なのだ。もし何とか脱げたとしても、今度は自分で着られない。ということは、このままの姿でよじ登るしかない。
しかし、肘から先しか動かない両腕と、膝関節がまったく動かない両脚を使ってよじ登るというのは、とてつもなく辛い。しかも、常時酸欠状態なのである。
必死の思いでくらいつき、体を横にして、なんとか舞台上に転がり込むことができた。しかし、もはやこれまで。今度は、膝が曲がらないので立ち上がれないのである。横になったまま、小さな兜の中で呼吸困難になり、金魚のように口をパクパクさせてあえぐばかりなのだ。
うつろな意識の中で、出番がどんどん迫ってくることだけがわかる。ああ、こうしてはいられない。奇妙な埴輪の姿で立ち上がろうと、必死にもがく私。
何度もいうが、膝が曲がらないし、腕も肘から先しか動かせない。その上、呼吸困難の酸欠である。これで、立ち上がれというのは、元々が無茶である。ああ、頭がガンガンする。意識が遠のく。「はに丸」を演じるのが、こんなに超肉体労働だったとは知らなかった。
そこからどうして立ち上がれたのか、自分でもよく覚えていない。気付いてみると、私はびっしょりと冷や汗をかきながらも、辛うじて立ち上がっていた。奇跡だぜ! しかし、それはまさに出番ギリギリのタイミングだった。
「さぁ、みんなで、はに丸くんを呼ぼう!」 お兄さんの声が妙に遠くから聞こえる。ああ、お願いだ。まだ呼ぶな。やばいのだ。完全に酸欠状態で、あえいでもあえいでも、酸素がちっとも肺に入ってこない感じなのだ。もうちょっと時間をくれ。今動いたら、吐きそうだ。
しかし、舞台はこちらの気も知らず、容赦がない。お兄さんが「はに丸くーん!」と呼ぶと、今か今かと舞台を見つめる子供たちの声が、どっとばかりに押し寄せてきた。
「はぁにぃまぁるぅくーん!」
ああ、この無邪気な、しかし残酷な呼び声を、どうして裏切ることができようか。私はゼイゼイいいながら舞台に進み出たのである。心臓はバクバクだが、その鼓動はほとんど空しいあがきだ。神様、もっと酸素をください、酸素を!
舞台に登場すると、そのフラフラした歩きが、図らずも芝居っ気たっぷりに見えたらしい。子供達の歓声で、どっと受けたのがわかった。アホか、吉本新喜劇じゃあるまいし。しかし、受けてしまうと私は弱い。気が遠くなりながら、つい「ノリ」の虫が騒ぐ。
「はに丸くん、早くこっちにおいでよ!」お兄さんから声がかかる。
「無理言うな! こっちは死にそうなんじゃ!」
しかし、思いとは裏腹に、私は、体全体でうなずきながら、両手を振って客席に挨拶している自分自身に気付く。何なんだ、これは!
舞台の進行とともに、私の体はなぜか本能的に反応して、ウケを取ってしまう。朦朧とした頭でクイズに答え、「正解!」なんて言われると、精一杯のガッツポーズさえ決めてみせる。
悲しい。悲しすぎる。誰がそこまでしろと言った? 兜の中では、今にも吐きそうなのに。
ああ、テレビで無理難題を必死にこなすお笑い芸人の気持ちがわかる。切ないほどよくわかる。
しばらくすると、ようやく少しは息が整ってきた。しかしその頃には出番は終わりで、お兄さんが「はに丸くん、ありがとう。それじゃ、またね」なんて言っている。おいおい、もっと何かやらせろ!
「さあ、みんなで、はに丸くんにさよならを言おう!」
何だ、死にそうなところを無理矢理呼び出しておいて、ようやく生き返って調子の出かかったところで、引っ込めと言うのか?
「さよぉならぁ!」元気な声に見送られて、私は渋々手を振りながら舞台の袖に戻った。そこには劇団員が二人も待っていて、降りるのを手伝ってくれた。お前ら、降りるときにいて、上るときに消えてたとは、見上げた了見だ。さては、ゲスト出演者を殺す気だったな!
兜を脱いだ私は、見事に顔面蒼白だったが、誰もその理由を理解できなかった。
「今日の『はに丸くん』は、とっても演技派で、素晴らしかったですよぉ!」 劇団員は口々に言ってくれた。
冗談じゃない。それは演技派以前に、体力の勝利だったのだ。他の運動不足で軟弱なお父さんだったら、病院で白目剥いて点滴受けてるところだったぞ!
その時のステージを見ていた長女は、「あのはに丸、ウチのお父さんなんだよ、なんて言いながら見てたけど、そんな、死にそうだったなんて、全然気付かなかったよ!」と、今でも言う。
そうとも、私は不屈の役者根性で、生命の危機を乗り越えたのさ。ふんっ!
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コメント
はに丸、懐かしい!!!今日は久しぶりに柔らかい話題でしたが、
手に汗握りながら読んでしまいました。日常に潜む危うい瞬間て
ありますよね・・・、何はともあれ無事に切り抜けられたこと、そして
大成功に終えられたこと、昔のこととはいえお疲れ様でした。
(興奮したので、今日は読むだけでなくコメントいたします。)
投稿: banan | 2005年10月24日 14:32
banan さん、どうもです。
>大成功に終えられたこと、昔のこととはいえお疲れ様でした。
いやはや、あの苦しさは忘れられません。
人間はいずれ死ぬわけですが、呼吸困難で死ぬのだけはいやだと思いました ^^;)
投稿: tak | 2005年10月24日 22:01
はに丸くん、懐かしいです。はに丸くんが始まった年に、私は生まれました。あらためて見るとかなり見た目は怖ろしいっすね…。子ども心に、ちょっと怖いなぁと思ったのを覚えています。
ともあれ、庄内さんの奮闘記、ハラハラしながらも笑わせてもらいました(失礼!)ああ、面白い!(おおっと失礼!)
投稿: 千軒町 | 2005年10月25日 00:13
再び失礼します。番組解説見たら、3歳児向けだったんですね。
いい加減年は行ってた私ですが、教育テレビに回したとき見られると
嬉しかったんですよ。兄のチャンネル変えまくり癖を制止して、
「ちょっと見せて」と懇願した覚えが。
兄も、あれは様子が愛らしいせいか見せてくれたような。
なんといっても声優さんが良くて「はにはに?」という口癖が好きでした。
自分の街にはに丸がやってくるなんて企画は素晴らしいと思うのですが、
やっぱり放ったらかしはヒドイ。善意で引き受けたことに限って、こういう
誰もケアしてくれない空白が生じる気がします。やはり何はともあれ、
生き延び、いいえ、お疲れ様でした、なのです。
投稿: banan | 2005年10月25日 00:42
千軒町さん:
>はに丸くんが始まった年に、私は生まれました。
ありゃ、うちの長女より若いのね。
(なんだか、どっと年取った気が・・・ ^^;)
>子ども心に、ちょっと怖いなぁと思ったのを覚えています。
あれは、中にで死ぬ思いをしている人の想念が、
外に現れているのです、なんてね。
投稿: tak | 2005年10月25日 23:29
banan さん:
>なんといっても声優さんが良くて「はにはに?」という口癖が好きでした。
その 「はにはに?」 すら言わせてもらえなかった ^^;)
>善意で引き受けたことに限って、こういう
誰もケアしてくれない空白が生じる気がします。
この世の不条理を感じちゃいますね。
それで、ほとんどけりがついてから
過剰なまでのケアがつくところまで、
とことん不条理というか・・・ ^^;)
投稿: tak | 2005年10月25日 23:34
初めまして。子供の頃に好きでよく見てました。ハンドルネームにはに丸を使っていて辿り着きました。^^;
記事、とても面白かったです。はに丸くんで死にそうになるなんて、まるでちびまる子ちゃんのネタにでも出てきそうなくらいです。体力の勝利おめでとうございます。改めてお疲れ様です。
投稿: はに丸 | 2006年5月17日 07:25
おぉ、その名も「はに丸」さんからのコメントとは!
はに丸さんのサイトに行ってみました。
私にとって、素敵なおもちゃ箱になりそうです。
時々おじゃまします。
今後ともよろしく。
投稿: tak | 2006年5月17日 07:57
突然前の記事にすみません、ココログのお仲間三波豊和です。
はに丸では神田君を演っておりました。
検索で飛んで参りました。
実はこの5日6日、はに丸が復活します!
詳しくはブログに書きました。
地獄の苦しみが、楽しい思い出になりますように
http://toyokazu.cocolog-nifty.com/
投稿: 三波豊和 | 2009年5月 4日 14:08
三波豊和 さん:
おぉっ!
一瞬目を疑いました。
「神田君」からのコメントをいただけるとは。
ああ、父君の 『俵星玄蕃』 が耳の奥で聞こえます。
投稿: tak | 2009年5月 4日 15:17