「妬み」 と性差
「嫉妬深い」というと、とてもネガティブな印象があるが、それは「負けず嫌い」と同じ根っこを持つのではないかと思う。要するに、他より劣りたくないという気持ちの顕れである。
同じ根っこが、よく顕れたり、困った形になって出てきたりする。人間社会の面倒くささとは、とりもなおさずこのことである。
「他よりも劣りたくないという」という気持ちは、とても自然なものだ。それがあるからこそ、人間はお互いに切磋琢磨して、向上することができる。
しかし、その気持ちが、自分の努力を促進する方向ではなく、相手への攻撃というか、足を引っ張るというか、そんな形に転化されると、「嫉妬」とか「妬み」ということになる。
だからスポーツ選手というのは、かなり嫉妬深かったりもする。元々が「負けず嫌い」という傾向を強く持っているので、それがほんのちょっとねじ曲がると、驚くほどの「妬み」という感情として表れることが少なからずある。
次のパラグラフ、とても因習的な言葉遣いを、敢えてさせていただくが、本心ではないので、誤解しないでいただきたい。
スポーツ選手というのは、一般にとてもすがすがしくて「男らしい」と思われがちだが、ちょっと深く付き合うと、とても「妬み深い」ところがあったりして、実は、「女々しい」 存在だったりするのである。
こうして表現してみると、なるほど、女の身でなくても、むっとするところがある。ポジティブな傾向を「男らしい」とし、ネガティブな傾向を「女々しい」とする文化が、かなり続いて来たことは否定できない。
しかし、よく観察すると、「女々しい」という形容詞は、女に対してはあまり使われないのである。男を非難する場合に使われるのが、ほぼ100%に近い。女性にしてみれば迷惑な話だが。
「女々しい男」は存在するが、「女々しい女」というのは、存在しない。
男は「女々しい」と言われたくないがために、「男らしい男」になる努力を要求される。女は、「女々しい」と非難される可能性が低いので、「凛とした女」になる努力をことさらには要求されない。
このあたりでジェンダー意識は堂々巡りになって、ちょっと意識的にならないと、悪しき相乗効果を発揮するばかりである。ある意味、男も女も、単なる「性差」を超えた固定観念の犠牲者である。
それがより強く意識されるのが、今の社会では、女ということになってしまうのは、致し方ないが、その底流では「男もつらいよ」という部分があるのだということを、世のフェミニスト達には理解していただきたいのである。
そうでないと、時として単なる「妬み」ということに陥ることがある。「男ばかりがうまい汁を吸ってるのは、けしからん」という意識では、世の中、ちっともよくならない。
まあ、こんなことは良識ある女性には、当然のこととして理解されていると思うけど、世の中にはそうでない人もいるし。
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