蕎麦を打つのはむずかしい
蕎麦好きの中には、病膏肓に入って自分で蕎麦を打つのを楽しみにしている人もいるが、私はそれはとうに諦めている。
「蕎麦は誰でも簡単に打てる」 などと言う人もいるが、それはウソか、そうでなければ、その人とその周囲の人のみが、蕎麦打ちの神に特別に祝福されているのである。
私だって、過去に何度か蕎麦打ちに挑戦した。地元主催の 「蕎麦打ち教室」 なんてものに参加したことだってある。しかし、一度としてまともな蕎麦を打てたことがない。
そりゃ、蕎麦粉の比率を 7割以上にしているから、きちんとした香りの立つ蕎麦にはなる。しかし、香りだけである。まともにはつながらない。麺の長さが 15センチ以上になった例しがない。短いのは 3センチ以下のぶつ切れである。
家族に食わせても、「確かに美味しいけど、短いねぇ」 と言われるだけである。ツルツルっとすする醍醐味がない。「ツルッ」 にも達しない。せいぜい 「ツ」 ぐらいで、「ル」 になる直前に、麺はすべて口の中に収まってしまう。これでは、蕎麦を食った気がしない。
何をかくそう、私は粉をこねるのは得意なのである。我が家は自家製天然酵母のパンを作っていて、私はパン生地をこねる役割である。もう20年近くこねているから、そのへんの駆け出しのパン屋よりは上手という自信がある。(参照)
その私にして、蕎麦打ちには匙を投げているのである。
蕎麦は、うまい蕎麦屋で食うに限る。自宅で食いたかったら、ちょっと値段の張る乾麺を調達してきて茹でることだ。なまじ自分で打とうなんて気を起こすより、ずっとまともな蕎麦が食える。
餅は餅屋なんていうが、私は結構まともな餅をつける。しかし、蕎麦打ちの神の特別な祝福に浴していない身としては、「蕎麦は蕎麦屋」 というテーゼには、ひれ伏すしかないと思っているのである。
ところで、そろそろ新蕎麦の食える時期が近づいてきた。今現在、「新蕎麦始めました」 なんて貼り紙を出している蕎麦屋は、北海道産の早出し品種を打っているのだと思っている。私は内地の蕎麦の方が好みだから、もうほんのしばらく、新蕎麦にはこだわらないのである。
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