「三丁目の夕日」への複雑な思い
映画 「Always 三丁目の夕日」がヒットしそうだ。物語は、昭和 33年が舞台。それは『経済白書』が「もはや戦後ではない」と宣言した 2年後の、ちょっと特別の年だった。
長嶋茂雄が巨人に入団し、東京タワーが完成し、さらに、団塊の世代が、まさに思春期にさしかかろうとしていた年である。
力道山がロサンゼルスでルー・テーズを破り、インターナショナル選手権者となったのもこの年。2年前に「太陽の季節」で鮮烈にデビューした石原裕次郎が、「錆びたナイフ」「陽のあたる坂道」「風速40米」と立て続けにヒットを飛ばして、大スターになったのもこの年だ。
全てが右肩上がりである。昨日より今日、今日より明日は、きっといい日になると信じられる時代だった。なるほど、団塊の世代は、日本の一番いい時に一番いい時代を過ごしたわけだ。
彼らはその後、エルヴィス・プレスリーを知り、学生運動に無邪気なまでに飛び込み、社会に出て当然のように企業戦士となり、オイルショックを経て、バブルに浮かれている最中に、そのバブルが崩壊し、茫然としているうちに還暦に近づいてしまった。
彼らが自分の足元を見つめ直そうとした時、最初に立ち返るべきところが、昭和 30年代、それも、昭和 33年という、あの特別な年だったのだろう。普段は映画などに縁遠い定年直前のサラリーマンも、この作品には心を引かれるかもしれない。
さて、団塊の世代が自我に目覚め始めていたこの頃、私はようやく小学校に入学した。私にとって本当に意味のある昭和 30年代とは、その最後の年、昭和 39年というたった 1年である。
前年秋には、ジョン・F・ケネディ暗殺というショッキングな出来事があったが、この年の 6月には、新潟地震で死ぬ思いをした。秋には東京オリンピックで胸を熱くし、その直後にビートルズ旋風が日本でも全開で吹き始めた。ようやく私のアルバムのページが、まともな体裁を取るようになった。
私にとっての「オールディズ」は、中学校入学以降の、昭和 40年代の記憶である。昭和 39年は、30年代最後の年というよりは、40年代への入り口だったにすぎない。
全てが前向きで希望に溢れていた時代から少し進み、アメリカではベトナム反戦運動が台頭した。「ちょっと待てよ」、「立ち止まって考え直せ」という疑問に満ちた時代になってしまったのだ。
団塊の世代の「行け行けドンドン」ムードに、どうしても付いていけないのが、昭和 30年代に「みそっかす」でしかなかった、私の世代である。どうしても、ちょっとだけシニカルになってしまう。一方で団塊の世代は、当時の反体制運動にさえ「行け行けドンドン」だった。
だから、「三丁目の夕日」には、複雑な思いがある。昭和 30年代の、あの疑うことを知らないノスタルジックなムードの、尻尾だけは掴んでいたような気もする。しかし、両手を広げて懐かしがるのは気恥ずかしい。決して自分のホームグラウンドではないという気がするからだ。あの頃、私はまだ私自身のベースに乗っていなかった。
あんなもんで、ほろっときてたまるかという気がする。なまじ近いだけに、かえって違う気がしてしまうのだ。
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コメント
こんにちは。
大道芸観覧レポートという写真ブログをつくっています。
長嶋茂雄さんが出ている昔の広告もとりあげています。
よかったら、寄ってみてください。
http://blogs.yahoo.co.jp/kemukemu23611
投稿: kemukemu | 2007年2月 3日 20:08
kemukemu さん:
寄らせて頂きました。
モノクロ写真の力というのは、独特のものがありますね。
投稿: tak | 2007年2月 4日 15:23