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2005年11月18日

大切なのは生き延びること

昨日、夕刻に酒田に戻った。いつものように、一人で寝たきりの母の介護をする父の応援である。

父は、いつもは雑事に追われ、ゆっくりとテレビを見ることもできないようだ。昨日は、私の妻が介護や家事をしている間、リバイバルの 「コンバット!」 を通しで見ることができた。

以前にも少し触れたが、父は特攻隊上がりである。もっとも、当時はまともに飛べる飛行機がなくなってしまって、もっぱら上陸してきた米軍に「肉弾攻撃」(今で言えば「自爆テロ」か) をしかける地上戦の猛訓練に明け暮れていたそうだが。

「自爆テロ」のようなものとは言え、当時は自動車で突っ込むのではない。爆弾を背負って延々と何キロも地べたを這いずり、夜闇に紛れて敵地に侵入し、そこで自らの命とともに爆破するというのである。とんでもない猛訓練だ。

まあ、そんな泥臭い訓練ばかりしていたので、父は「コンバット!」の戦闘シーンの感覚が我々よりもずっと共感できるようで、以前に民放で放送されていた頃から、数少ないご贔屓のドラマのひとつだった。

「コンバット」に関して、ブログ「玄倉川の岸辺」の kurokuragawa さんは、"前線の兵士にとって最重要なのは「自分たちが殺されずに任務を遂行すること」であって「敵を殺すこと」ではない" と感じたとの旨を述べておられる (参照)。

テレビを見ながら父に、そのようなことを書いている人がいると言うと、父は「その通りだ」と、次のように言ったものである。

日本が戦争に負けたのは、兵隊の命を大切にしなかったからだ。その点、米軍は、自国の兵隊がそう簡単には死なないような装備と戦略をもっていた。

一方、日本では、兵隊に「死ね死ね」とばかり言っていた。「七生報国」というのは、文字通り、生きて国に報いることなのだろうに、死ぬことばかり言い立てていた。

「死んで靖国で会おう」などと言うのが、美風のように考えられていたが、死んで靖国で会うより、生きて帰ってさらに国の役に立つ方がずっと尊いはずだった。日本はそれに気づかなかったのだ。

特攻隊として、戦争がもう少し長引けば必ず死んでいたはずの父である。そして、そうなれば、私もこの世に存在せず、このブログもなかった。それだけに、その言葉には重みを感じた。

幾百の「反戦」という言葉を連ねるより、実質的な平和へのメッセージを含んでいるように思う。

誤解のないように書き添えるが、父は愛国者である。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

「愛国者だから」そういうことをおっしゃるのだと思います。愛国者でなければ、生きるのと死ぬのとどっちが御国のためになるかなんて、そもそも考えないでしょうし。

投稿: 山辺響 | 2005年11月18日 12:04

山辺響さん:

書き込み、ありがとうございます。

>「愛国者だから」そういうことをおっしゃるのだと思います。愛国者でなければ、生きるのと死ぬのとどっちが御国のためになるかなんて、そもそも考えないでしょうし。

そうですね。言うまでもなかったかもしれません。
父はいわば平和主義の愛国者です。

左右両極からの妙な誤解があってはならないと思って、ちょっとだけ付け加えてしまいました。

投稿: tak | 2005年11月18日 13:58

本日の日記を私の日記の中でご紹介してもいいでしょうか?
ご許可賜りたく。

投稿: alex99 | 2005年11月18日 14:09

もし、差し支えある場合は結構です。

投稿: alex99 | 2005年11月18日 15:07

いつものスタンスどおり、
出典明記ならば、全然差し支えないですよ。

どんな紹介になるか、楽しみです。
よろしくお願いいたします。

投稿: tak | 2005年11月18日 19:54

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