羽越線脱線転覆事故に思う
25日の夜から、ウチのサイトへのアクセスがいつもより多かったのだが、どうも特急列車脱線転覆事故のニュースで 「山形県庄内町」 と繰り返されるので、このサイトを思い出してくれる人が多かったようなのだ。
しかし、こんなことでアクセスアップしても、全然喜べないじゃないか。
事故現場は、私の実家から車で 30分も走れば行けるところだ。先日も、実家の引っ越しの手伝いに行った帰りに、まさに特急いなほ 8号(事故を起こしたのは、いなほ 14号)で通ってきた所である。
冬の庄内では、風速 20メートルというのはそう珍しいことではない。古い話になるが、昭和 51年 10月 29日の酒田大火の時にも、このくらいの風が吹いていた。それで炎が風下に向かい、地上をなめるように燃え広がったのだ。
この大火が起きたためにニュースにはならなかったが、同じ日に、庄内の海岸線では、津波のような高波の被害があったと聞く。海岸から国道を越えてきた大波に、売り物をさらわれた商店もあったらしい。
今回の脱線転覆事故では、現場近くの風速は約 20メートルと言われているが、それを記録した風速計は、鉄橋の上にあったものではないという。とすれば、鉄橋の上では、多分それを大きく上回る風が吹いていただろう。最上川が風の通り道となるからだ。
冬の庄内は、しょっちゅう「冷たい台風」に見舞われているようなものなのだ。人間の居住地としては、世界最強の地吹雪地帯といわれるのも頷ける。私も高校時代までは、ホワイトアウトした中を学校まで行ったことが何度もある。
事故に遭って亡くなられた方は、さぞ無念なことだったろう。さらに、あの猛吹雪の中で、夜を徹して救出作業にあたられた警察、消防、医療関係の方々は本当に大変なことだったろうと思う。
そして、中越地震の際にも触れたことなのだが(参照)、北陸・東北の日本海側の人たちの、不運な災害、事故に遭っても、決して恨み言を言わずにただ静かに耐えている姿には、頭が下がる。
実は、私の妹は実家の引っ越しが終わった後、26日に東京に戻る予定だったのだが、羽越線が不通になったため、本日に仙台まで高速バスで行き、そこから東北新幹線に乗り継いで帰ることにしたようだ。難儀な旅である。
亡くなられた方のご冥福と、怪我をされた方の回復を祈る。そして、このような事故が繰り返されないことも祈りたい。
【平成 20年 2月 5日 追記】
大分立ってからの思い出したような追記で恐縮だが、この事故の関連で、次の記事も参照されたし。
悲しみを堪え忍ぶ強さ (平成 17年 12月 28日)
羽越線脱線事故・外伝 (同年 4月 14日)
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コメント
こんばんは。
私も「庄内」ときいてtakさん!と思いました。
ご実家のあるところならお知り合いも多いのではと心配致しました。
本当に強烈な地吹雪に見舞われるところなのですね。あれでは電車も堪らないでしょうね。
不幸な事故が二度と起こらないことを祈りたいですね。
投稿: ゆうり | 2005年12月27日 19:52
ゆうり さん:
ご心配いただき、恐縮です。
庄内も、こういうことで有名にならなくてもいいのに・・・
最初に庄内って風が強いんだと実感したのは、
東京に出て、傘を真っ直ぐ立ててさしても大丈夫と知った時でした。
これを機に、しっかり対策を立ててもらいたいものです。
投稿: tak | 2005年12月27日 22:49