何故年をとると 1年が短い?
同年代以上の仲間で忘年会をすると、必ず 「近頃、1年の経つのがあっという間だねぇ」 という話になる。誰もが、年をとると時間の経つのが早くなるというのである。
1年は子どもの頃から 365日と変わらないのに、どうしてこんなにも、実感としての時間感覚に加速度がつくのだろうか。
思えば、20歳を超えたあたりから、時間感覚は早まりつつあった。子どもの頃は「永遠」にも感じられた 1年という時間が、かなりあっさりと過ぎ去ってしまうのを感じていた。
その感覚は 30歳を超えてかなり強いものとなった。仕事の年間スケジュールが、あっという間に何回転もするのである。毎年毎年、同じことをしているに過ぎない自分が、なんとなくアホらしくなる時期でもあった。
40歳を超えると、1年なんて 1か月より短い。こんな短い 1年に、どうして 12か月も詰め込まれているのか、不思議なほどだ。そして、50歳を超えたら、それはもう釣瓶落としである。
この時間感覚の加速度の理由が、先日の忘年会で話題になった。
私は、子どもの頃の 1年は、自分の全人生の数分の 1の比重だが、20歳では 20分の 1に減り、50歳では 50分の 1に過ぎなくなる。つまり、自分の来し方との比較で、相対的に短く実感されるのではないかという推論を述べた。
もう一人の推論は、長く生きていろいろな経験を重ねるにつれて、「感動」が少なくなるので、ただ淡々と時が過ぎるだけになるのではないかということだった。
「例えば、同じ道を往復するのに、往きは長く感じても、帰り道はあっけなく感じるだろ。それは、往くときは新鮮な発見があっても、帰り道はその新鮮さが消えるからさ。それと同じようなものがあるんじゃないか」
この推論は、目から鱗である。ただ単に時間感覚が年齢と共に自動的に反比例するということではない。人生に馴れ合ってしまって、「感動」が失われることが問題だというのである。かなり反省させられる提言でもある。
いろいろなことに「どきどきわくわく」していた時代の心持ちに戻ることができたら、、1年の経つのが、もう一度長く感じられるだろうか。
そして、何より問題なのは、そのような心持ちを、1年を通じてキープできるだろうかということだ。かなりしんどそうだ。しかし、そう考えるだけで、既に案外 1年は長い。
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