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2006年1月 1日

コマイヌサン 「ア」、コマイヌサン 「ウン」

謹賀新年。いろいろあった平成 17年が終わって、またまた、いろいろあるであろう平成 18年の始まりだ。願わくは、「いろいろ」の中身が、いいことの方が多いように。

ところで、戌年である。日本中のペット犬諸君は、年の初めは、ますます猫っ可愛がりされるんだろうか。犬なのに。

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私は年賀状に案外凝ってしまう方で、今年の年賀状もオリジナル画像でがんばった。ただ、その辺の犬の写真なんて使ってもつまらないので、多少は意表を突いたつもりで、神田明神の狛犬の写真にした。昨年の秋のうちから、準備しておいたのである。

日本の神社というのはうまくできたもので、鳥居を過ぎると狛犬がいる。酉年の後に戌年になる比喩のようである。

酉というのは、結界にいるものという説がある。長鳴鳥が、夜と朝との結界に鳴くというのもそこから来ているらしい。神社の鳥居というのも、聖なる領域を俗界から分けるためのもので、そこに鳥がいると考えたらしい。そして、その奥に狛犬がいる。

もっともその紀元は、インドで仏像の前に 2頭の獅子(ライオン)像を置いたことだといわれている。日本に伝わってきて、神社にも置くようになったが、日本人は獅子を見たことがないので、馴染み深い犬っぽい姿になってしまったという説がある。

狛犬というのは、大抵、片方が大きく口を開け、もう片方は口を結んでいる。これで「阿吽」を意味するのだという。口を開けている方が「阿」で、閉じている方が「吽」である。

昔の国民学校初等科 1年の国語の教科書には、"コマイヌサン 「ア」、コマイヌサン 「ウン」" と書いてあったらしい。例の冒頭に 「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」 とあった、通称 「アサヒ読本」 である。

Goo 辞書によると、「梵 a-hum の音訳。『阿』は悉曇 (しつたん) 字母の最初の音で開口音、「吽」は最後の音で閉口音」 とある。

さらに、密教では次のように考えられている。

阿: 宇宙の初め、万物の根元、悟りを求める菩提心
吽: 宇宙の究極、最終的智徳、悟りにより到達する涅槃

神社の拝殿で礼拝するのは、阿吽の奥義に向かっての所作ということになる。その奥義というのは、何も本殿の中に閉じこめられているわけではなく、人間の中にもあるものである。

話は変わるけど、PRIDE のジャッジ、おかしい! 近藤とアローナは勝ってた。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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