悲しみを堪え忍ぶ強さ
私はつかみかからんばかりの勢いで、人にくってかかったことがほとんどない。私とて深く憤ったことは何度もあるが、それがあまり直接的に外部に表現されないのだ。
これは東北や新潟辺りの日本海側で育った人間の、共通した性向なのではなかろうかと、東京に出てから気付いた。
世の中には「喧嘩大好き」な人がいる。何かというと、すぐに怒り出す人だ。会社などでも、ちょっと上司と意見が食い違うだけで、華々しく喧嘩をする人がいる。店のサービスが悪いといって、ことさらに大声で怒鳴る人もいる。
しかし、私はある意味、そうした声を荒げるような怒り方を知らないのである。これは、生まれた土地の「土地柄」とでもいえるかもしれない。
このことを強く感じたのは、昨年の中越地震の時だった。地震被災者たちの、行政の不手際をことさらに責めるでもなく、ただひたすら静かに堪え忍ぶ姿。避難所で何日も過ごし、ストレスが限界に達した状態でも、テレビのインタビューに、まるで他人事のようにポツポツと応える控えめな態度。
それまでひたすら無表情なまでに堪え忍んでいた山古志村の老婆が、崩れた我が家に何十日かぶりで再び訪れた時、初めて大粒の涙を流して泣き崩れた。それは、ご先祖の位牌が泥流にさらわれて失われたと知ったからだった。
自分のことならいくらでも耐えるのに、ご先祖の位牌を失うことは、耐え難い悲しみだったのだ。何というノーブルな人たちだろう。
今回の羽越線特急の脱線転覆事故でも、同じようなことを感じた。事故で怪我をした人、亡くなった方の遺族。皆、驚くほど穏やかなのだ。4月に起きた尼崎の脱線事故の場合と比較しても、その穏やかさは際立っている。
責任を追及して声を荒げることを悪いと言うのではない。それは必要なことである。しかし、私は東北日本海側の血が流れているので、あの穏やかと言えるほどの切々とした悲しみを、より深く受け止めてしまう自分を発見する。
他を圧するアグレッシブな強さではなく、悲しみを内に秘めた、堪え忍ぶ強さ。私の思い描く強さとは、そうしたものだと気付くのである。
【平成 20年 2月 5日 追記】
大分立ってからの思い出したような追記で恐縮だが、この事故の関連で、次の記事も参照されたし。
羽越線脱線事故・外伝 (同年 4月 14日)
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