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2006/01/30

金の切れ目が、今こそ分かれ目?

ライブドアと新日本プロレスの共通点は、社員(契約レスラーを含む)が続々と会社を辞めているということだ。(参照 12

「金の切れ目が縁の切れ目」の世の習い。まさに奢れる者は久しからずである。ところで「切れ目」で思い出したのが「仰げば尊し」の「今こそ別れめ」という歌詞である。

迂闊なことに、私はつい最近まで 「今こそ別れめ」を、「今こそ分かれ目」だと思っていた。「今こそ、それぞれの歩む道の分かれ目だぞよ」 ということだと思っていたのである。

ところが、これが大間違いだったのである。これは「こそ」という係助詞が来たら、述語は「已然形」で締めなければならないという、日本語独特の「係り結び」に則っているのであった。

元々の形は、「今、別れむ」で、意味は「今、別れよう」ということだ。この「今」に強調を表す「こそ」が付くと、「別れむ」は已然形の「別れめ」に変化する。「今こそ、まさに別れよう」という強調の意味になる。

そういえば、その通りなのだ。「金の切れ目が縁の切れ目」とは全然違っているのである。「こそ」+ 已然形で最も有名なのは、『万葉集』 の冒頭を飾る、雄略天皇御製と伝えられる長歌である。

籠(こ)もよ み籠持ち 掘串(ふくし)もよ み掘串(ぶくし)持ち 
この丘に 菜摘ます児 家聞かな 名告(の)らさね そらみつ 
大和の国は おしなべて われこそ居れ しきなべて われこそませ 
われこそは 告(の)らめ 家をも名をも

「われこそ居れ」「われこそませ」「われこそは告らめ」とたたみかける。もう、「こそ + 已然形の係り結びオンパレードだ。

『徒然草』 に出てくる例では、「をりふしの移りかはるこそ ものごとにあはれなれ」というのがある。「年の初めのためしとて」で知られる 『一月一日の歌』でも、 「祝ふ今日こそ楽しけれ」と歌われる。

こうした例文を知っていながら、どうして今まで「今こそ分かれ目 だなんて思っていたのだろうか。きっと、「合わせ目」とか「縫い目 とか「結び目」とかいう言葉があるので、つい「分かれ目」と勘違いしてしまったのだろう。日本語はややこしいなあ。

ちなみに「こそ」+ 已然形の係り結びには、強調を表す以外の用法もある。

「中垣こそあれ、一つの家のやうなれば」(『土佐日記』)というのは、「中垣はあるものの、一つの家のようなので」という意味だ。これなんか、現代でも時々使われる。

 

添田唖蝉坊の演歌 『のんき節』 に、「貧乏でこそあれ 日本人は偉い それに第一 辛抱強い 天井知らずに 物価はあがつても 湯なり粥なり すゝつて生きてゐる ア ノンキだね」というのがある。昔、高石友也も歌っていた。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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