「義理チョコ」は、バブルの遺物
バレンタインデーも終わり、ふとニュースに目を通すと、OL の 7割が「チョコレート受け渡しの習慣なんかなくなればいい」と思っているという調査結果が出ていた。(参照)
サラリーマンの 5割もそう感じているという。さもありなん。「広く薄く」チョコを配りまくるという奇妙な風習は、多分バブルの遺物なのだ。
ところで、「義理チョコ」 という言葉は、いつ頃から定着したのだろうか?
あれは多分、平成の御代になりたての頃だったと思うから、バブルにさしかかった時期である。その当時に勤めていた会社で、こんな会話が交わされた。「言うたろか事件」 として、今に語り継がれていることである。
オッサン 「○○さん、今年はチョコくれへんかったな」
OL 「当たり前ですやん、バレンタインいうたかて、チョコ配りまくっとったら、お金がいくらあっても足らんわ」
オッサン 「そうか、そういうの、どない言うか、知っとるか?」
OL 「え? 新しい言い方、ありますの? 『現代用語の基礎知識』 とか 『イミダス』 に載りそうなん?」
オッサン (したり顔で) 「おもろい言い方、あんねん。言うたろか?」
OL 「何なに?」
オッサン 「あのな、"義理チョコ" 言うねんて」
OL 「はぁーっ? 何寝ぼけてまんの。そんな言葉、何年も前から使こてますがな!」
オッサン 「え? 最近の言葉、ちゃうの?」
というわけで、オッサン、大ボケくらわせてしまったのだが、ということは、昭和 60年頃には、「義理チョコ」はこの世に存在していたわけである。(ちなみに、ここに登場した「オッサン」は、私ではないということを言い添えておく)
当時、バブルの勃興期で、日本中の産業は「ギフト需要」というバブリーな需要で膨れあがりつつあった。私の専門の繊維業界では、タオル、寝具、靴下、ネクタイ等々の小物が、ちょっとデザイナーブランドのマークを付けただけで、結構なお値段となり、それがギフト用途で売れまくっていた。
日本中が「プレゼントしたがりシンドローム」に陥っていたわけである。そうなれば、当然チョコだって黙ってはいない。それまでは「好きな人」にあげるものだったのが、会社で配りまくるものに変化してしまった。
バブルが崩壊してもこの「義理チョコ」なる習慣が廃れなかったのは、チョコの単価がそれほど張らなかったためだろう。それでもやっぱり根が「アホな習慣」だから、冷静に考えれば、馬鹿馬鹿しくなるのは当然である。
洋菓子業界には申し訳ないが、「義理チョコ」というマーケットは、長期的には縮小に向かうだろう。
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コメント
欧米では、男女を問わず、好きな相手にプレゼントをするだけなのだ。
チョコレートを男性にと言うのは、日本の、それも神戸の白系ロシア系のモロゾフ製菓の、戦後の陰謀なのだ。
だから、全く論ずるテーマではないのだ。
投稿: alex99 | 2006年2月15日 08:22
alex さん:
根本的には、「義理チョコ」 のみならず、チョコをあげること自体が、「奇妙な習慣」 であるということには、あえて触れませんでした。
最近では、韓国にまで飛び火しているらしいし。
もしかしたら、「瓢箪から駒」 で東アジア地域に定着してしまうかもしれませんね。
まあ、習慣というものは、そんな風にしてワケのわからんうちに定着してしまうものなのかもしれません
投稿: tak | 2006年2月15日 09:45