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2006年2月12日

「世間」と「ネット」はよく似てる

ululun さんのとこの「煩悩即道場」界隈で、「ウェブと世間」の話が盛り上がっている。

この論議、元々は "H-Yamaguchi.net" の "ネットはいつ「リアル」の仲間入りするのだろうか" あたりに端を発しているのかもしれないが、正確に辿ってみる根性を持ち合わせていないので、よくわからない。

この話、ちょっと重層的なのだが、「世間は "リアル" 」で、「ネットは "リアル" じゃない」とかいうけど、しかして、そのテーゼをそんなに簡単に認めていいの? ってなあたりの疑問が底流にあるんじゃないかと、私は極めて短絡的に直観している。

そこで、私のいつもの言いぐさを展開させていただくと、「"ネット" と "世間" はよく似てる」 ということだ。

私は一昨年の夏、「世間話の怪しい新鮮さ」というエントリーを書いていて、その中で以下のように述べている。

民俗学では、「世間話」というのは中世以後に出現したことになっている。諸国を渡り歩く遊行の民が語り伝えた話である。

つまり、中世以前は世の中に「世間」は存在しなかった。隣近所や集落程度では「世間」ではない。もうちょっと遠く、姿が曖昧になるあたりが 「世間」 である。

中世以前は、そうした「世間」というほどの距離は、普通の人々の暮らしの中であまり意識されなかった。人との付き合いは、隣近所、せいぜい集落単位に限られる。つまり、意識レベルが「世間」という距離感まで到達し得なかったのだ。

顔を見ただけでどこの誰だかわかるような範囲は、プリミティブな共同体である。「世間」というのは、そうした氏素性のはっきりした範囲ではない。

こちら側の常識がある程度通じるという意味では、まったくエイリアンの世界ではないのだが、わずかな差異の中に、突如意表をつかれる要素も潜在している。そうしたえもいわれぬ距離を保ったあたりが「世間」というものである。

共同体の外からやってきて、知らぬうちに去っていってしまうような、一種怪しいところのある人物が持ち来たってまことしやかに語ったのが、「世間話」の始まりである。だから、「世間話」というのは、いつだって少々怪しい。

ね、「ネット」と「世間」て、よく似てるでしょ。

現代社会では、隣近所とか親戚付き合いとかいったゲマインシャフト(共同社会)の要素が希薄になり、その変わり、「ゲゼルシャフト」(利益社会)の要素が大きくなったと言われるが、実は、気の毒なことに、その狭間で一番希薄になってしまったのが、「世間」である。

しかし、よくしたもので、「世間の復権」あるいは、「第二の世間」として、ネットが興隆している。「世間」も「ネット」も、「リアル」と「バーチャル」 の皮膜の間にあると思うと、付き合いやすい。

「皮膜の間」 に関しては、ちょっと乱暴かもしれないが、直観的理解のできる人は、近松門左衛門の「虚実皮膜論」を参照のこと。

今日は時間がないので、この程度の思わせぶりにて失礼。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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