あの事故で死なずに済んだ妹
昨年の 12月 25日に発生し、死者 5名、重軽傷者 32名となった羽越線特急の脱線転覆事故は、まだ記憶に新しい。
人の命というのは、わからないものである。この便に乗る予定だった私の妹が、たまたま直前に予定を変更して、命拾いしていたということが、後で聞いてわかった。
昨年 12月中旬は、実家の引っ越しがあって、私と妻、そして妹がその手伝いで帰郷したのである。この頃から、東北の日本海側は大雪が続いていたが、この引っ越しの間だけは、幸運にも大した雪にならずに済んだというのは、当欄でも触れたとおりである。
我々夫婦は早めに引き上げ、妹は引っ越し後の細々とした整理のために 12月下旬まで残った。そして彼女は 12月 25日の特急いなほ 14号に乗って、東京の自分の家に帰る予定だった。
しかし前日だか前々日になって、妹の娘(私の姪)から 25日は、友達が泊まることになったから、帰るのは 1日遅らせて欲しいという連絡があり、予定を変更したのだった。
そして彼女の乗るはずだった 12月 25日の特急いなほ 14号が、酒田駅を出てしばらく行ったあたりにある鉄橋を渡り終わえたところで、烈風に煽られ、脱線転覆したのである。とくに進行方向前側の 3両は、めちゃくちゃに潰れてしまった。
妹は、新潟駅での乗り換えに都合がいいというので、いつも 1両目に席をとることにしていたらしい。ということは、予定通りにその列車に乗っていたら、たとえ死なないまでも重傷を負っていただろう。
この事故のために、羽越線はしばらく不通になり、妹は高速バスで仙台まで行って、東北新幹線で帰宅したのだが、酒田から仙台までの峠越えは、吹雪のために相当な難儀をしたらしい。それでも「死ぬよりはまし」と、我慢できたというわけだ。
人の運命というのは、ほんのちょっとしたことでどう転ぶか知れたものではない。あなたも私も、今、ここにこうして生き長らえているということは、実は、かなり幸運に恵まれた結果と言えるかも知れない。
どんなに「ついてない」と思える人生でも、事故で死ぬよりはずっとましである。今、この瞬間に、自らの幸運に感謝しても、バチは当たるまい。
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