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2006年3月 4日

「さざれ石」は「巌」どころか「星」にだってなれる

国歌『君が代』では、「さざれ石の巌となりて」と歌われる。「小さな石が巌になるわけがない」と揶揄する人もいるが、実は、嘘偽りでも比喩でもなく、ちゃんと「巌」になるのだということは、ウチのこのページで触れている。

さらに、さざれ石は、「巌」どころか、「星」にだってなるというのだから、驚きだ。

それは、古くから伝わるなぞなぞにあるのだそうだ。この「さざれ石は『星』になる」というテーゼは、如何にしてもたらされるのだろうか。

まず、日本の伝統的なぞなぞの「お約束」で、「さる」とか「さり」とか「され」とかいう言葉は、「去る」「去り」「去れ」につながるので、消してしまう。

すると、「さざれ石の巌となりて」の「さざれ石」は、伝統的表記では「さされ石」だから、「さされ」 の部分は、「『さ』を消し去れ」という符丁ということになる。それで、「石」 だけが残り、単に「石の巌となりて」となる。これが第一段階である。

そして第二段階。「巌」の読みは「いわお だが、歴史的仮名遣いでは「いはほ」である。続けて書いてみよう。「石のいはほとなりて」 になる。補足的に、もっとわかりやすく書こう。「『いし』の『い』は『ほ』となりて」である。

つまり、「いし」の「い」という字は、 「ほ」という字に取って代わられるというのである。それで「いし」が「ほし」になるのだ。

「さざれ石」が 「巌」になるばかりでなく、「星」にだってなってしまうというロジック、おわかり頂けただろうか。ちまちました理屈と、気宇壮大さの同居したなぞなぞである。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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コメント

https://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2006/03/__04e3.html


「さざれ石」という言葉は、ながらく否定的なニュアンスを
込めて周囲で語られることが多い。それゆえに国歌君が代を
否定する立場の方からの論旨では、憎しみを込めてこの石の
存在を否定するというものをくりかえしみかけてきた。

いつぞや朝日新聞の投書欄で、「さざれ石が巖となるなどと
いう反自然、ある種の怪力が敬意を表されるという事態を、
歓迎する特異な情緒の持ち主だけが好んで謳う」というその
傾向性こそが君が代の背後にある精神だ、とかなんとか意見
が表明されていたのを記憶する。

なにか、まことしやかそうだったが、考えてみれば現実に、
さざれ石が存在する以上、ただ直裁な比喩として成立するの
だという事、この一点でその投書者の論は破綻するのだ。

まあ、自分の記憶の端にあったわずかな不快が発生時には、
解消できなかった不覚はともかくも、ここのところようよう
わが身の上で清算できのは小気味よいものがある。


投稿: シャルドネ | 2006年7月17日 13:47

シャルドネさん:

星になるのはジョークとしても、
巌になるのは本当なんだから、
あれこれ御託を並べても、恥かくだけということですね。

投稿: tak | 2006年7月17日 22:09

さざれ石を巌をとは

中国八卦の艮のことで

苔もそれです

これは神道の信仰が成熟したことをいいます

八百万の神が一体となったことを意味していると考えられます。

投稿: 大阪人 | 2016年10月28日 08:47

大阪人 さん:

はあ、そうですか。

投稿: tak | 2016年10月28日 22:39

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