「胴上げ」 を世界に広めたい!
私は、野球、ゴルフ、テニス、卓球といったスポーツにはあまり興味がなくて、圧倒的なシンパシーを感じることがないんだけれど、あえてこれらの共通点を挙げるとすれば、「小さいボール」のスポーツということになりそうだ。
とはいいながら、WBC 初代チャンピオンとは、そりゃ、負けるよりはずっとおめでたい。
てなことをいいながら、少しは儀礼的に、王ジャパンに「おめでとう」を言っておくのだが、私としては、優勝そのものよりずっとうれしかったのは、サンディエゴで「胴上げ」というパフォーマンスを盛大にやって見せてくれたことだ。
私は「胴上げ」大好きである。せっかく初代優勝監督が胴上げで宙を舞うというパフォーマンスをして見せたのだから、これを機に、WBC の優勝チームは監督を胴上げするという恒例にしてはどうかという提案をしてみたいのである。
これ、積極的に提案しないと、国際的には受け入れられないだろう。というのは、「胴上げ」というのは、多分、日本独特の習慣なのではないかと思うのだ。他の国には決してないと断言するまでには至らないが、少なくとも、日本以外での胴上げというのは、見たことも聞いたこともない。
一節によると、「胴上げの総元締め」 は長野の善光寺で、いにしえの昔から毎年暮れの「如来ご越年式」という行事の中で執り行われるのが、日本で、ということは、世界的にみても、「最も権威ある胴上げ」 らしい。
民俗学的発想としては、人の足を地面から離すということにより、「ケ」(日常)から、神聖なる 「ハレ」(非日常)の世界に送るということのようだ。道理で、胴上げされると気持ちがいいわけだ。
「日本の標準タロウ」というサイトの第 1回は、「胴上げされた経験があるか、ないか」のウェブ上アンケートになっていて、その開票結果は、投票総数 129票のうち、「ある」が 41票、「ない」が 88票ということになっている。
つまり、日本の胴上げに関しての標準は、「されたことがない」 ということになっているようだ。しかし、願わくは日本人の大半が 「1度は胴上げされたことがある」という社会にしたいものである。そうなれば、日本はさぞかし平和で豊かな社会になっていることだろう。
私自身は、過去に胴上げされたことが 3度ある。しかし、3度のうち、本当に上手に上げてもらったのは、1度きりで、残り 2度は中途半端に終わり、消化不良的な印象にとどまった。「正しい胴上げ」とは、実はなかなか難しいものなのだ。
「胴上げ」の裾野がより広がれば、「正しい胴上げ」をするテクニックが、国民的常識となるはずである。そうなることを念願する。
こうなったら、第 2回大会でも日本が優勝して、ダメ押し的に胴上げのパフォーマンスをしてみせて、「ドーアゲ」を国際語に昇華させてもらいたいものである。こんな気持ちのいい風習を、日本だけに留めておくのは、「モッタイナイ」。
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コメント
子供の頃、草野球の試合の後、いきなり胴上げされたことがあります。別にヒーローだったわけではなく、何か、その場の気分で。胴上げという言葉でその時の宙に舞う気持ちを思い出しました。ずーっと昔の生々しい体験です。
投稿: なつめ | 2006年3月26日 12:51
なつめさん:
かなりいい気持ちだったでしょう。
この体験は、多くの人に広めたいです。
投稿: tak | 2006年3月26日 19:49