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2006年3月 7日

「的を得る」は、間違いじゃない

BBS に、当サイトで「的を射たものと思われる」という表現があるが、「的を得た」の誤りではないかという趣旨の書き込みがあった。

これ、昨今の日本語ブームではかなり有名になったテーゼだが、よく似た意味の二通りの表現として、一般的には「的を射る」と「当を得る」が正しいということになっている。

「汚名返上/名誉挽回」 と並ぶ金科玉条になっているようで、うっかり「汚名挽回」なんて書くと「挽回して意味のあるのは『名誉』であって、『汚名』なんか挽回してどうなる」と非難されるように、「的を得た」なんて書くと、「的は『射る』もので『得る』ものじゃない」とつっこまれる。

そんなわけで、今回のツッコミは想定とは逆だったので、ちょっと意外だった。

私の使っている「ATOK 16」では、「的を得る」と入力すると、すかさず《「的を射る/当を得る」の誤用》と表示され、いわゆる「よくある間違い」は犯さないようになっている。というか、ATOK はかなり原理主義的で、表現の自由をあまり認めてくれない。

私自身は、「的を得た○○」と言いたくなる気持ちは、とてもよく理解できる。「的を射た○○」という表現には、表面上の論理性とはうらはらの、ある種生理的なまでの「ぎこちなさ」を、ずっと感じてきた。

気になって Google で検索するうちに、「『的を得る』は間違いではない」 という主張に出会った。予備校講師、中谷臣氏のサイトの「練習帳問答」というページに、「的を得た答案」という記述があり、その「注」として、この表現に関する彼の主張が述べられている。

詳しくはリンク先に飛んできちんと読んでもらうしかないが、要約すれば以下のようになる。

「的を得る」 という比喩的表現は、中国古典『大学』『中庸』にある 「正鵠(せいこく)を失する」 から来ている。「正鵠」とは、弓道の的の中心にある黒星のことだ。正鵠から外れることを「失する」といい、当たることは「正鵠を得る」という。

「得」という字には、元々「当たる」という意味がある。

いつのまにか、「正鵠」という言葉が「的」に置き換わり、それとともに「得る」が「射る」になってしまったが、比喩的表現としての「的を射る」というのは、即物的でつまらない気がする。

なるほど。さらに、私なりに補足させてもらうと、次のようになる。

「射る」という動詞は、「的に向かって矢を放つ」という 「行為」を表すが、射ても、すべて的に当たるとは限らない。つまり「射る」ことと「当たる」ことは、厳密にはイコールではなく、微妙に別の問題だ。

比喩的表現としての重要ポイントは、「射た」という「意図/行為」ではなく、実際に的に「当たった」という「結果」なのだ。だから厳密なことをいえば「的を射た」つもりで表現しても、実際にはピンぼけだったとしたら、「正鵠を失する = 得ていない」ということになる。

こうしてみると、「得」という字に 「当たる」という意味があるのだから(手元の三省堂『携帯新漢和辞典』でも確認済み)、「的を得た○○」の方が、表現として由緒正しいばかりでなく、より正確で論理的であるとさえいえる。

中谷臣氏の説を紹介したブログのコメントに、"「正鵠」は「得る」ものでも、「的」は 「射る」ものだ" という趣旨の反論があるが、それは論理性をもたない。「射て、当たること」が「得る」ということであるのは、「正鵠 でも「的」でも変わらない。

これで、これまで感じてきた「的を射た○○」という表現の「ぎこちなさ」の正体がつかめた気がする。表面的にはもっともらしいが、実はちょっとだけ中途半端なところが残っているのだ。

ただ現状では、商業的原稿に「的を得た」と書いても、編集段階で「的を射た」に変えられてしまう可能性が高く、もしそのまま通ったとしても、「日本語を知らないヤツ」とばかりに、読者からのツッコミが多発するだろう。うっとうしいことである。

今回は、想定外の逆方向のツッコミをいただいて、思いがけなくこんな考察ができた。ありがたいことである。 これを機に「的を得た○○」という表現へのステロタイプのツッコミは、不毛なものだと認識しておこう。

ちなみに、もうひとつの「汚名挽回」の方も、間違いではないということになっている。

『続弾! 問題な日本語』(大修館書店)では、「挽回」という言葉には「取り戻す」という意味の他に「巻き返す」という意味もあるので、「頽勢を挽回する」という用法がある以上、「汚名挽回」も間違いではないとしている。

「的を射る/当を得る」「汚名返上/名誉挽回」という、日本語ブームにおける二大金科玉条は、まともに考えればこの程度のものである。多分、新聞、放送業界の一知半解的お約束が、世の中に広まっただけというのが真相ではなかろうか。

【3月11日 追記】

これで納得がいかない方は、3月 11日付の "変痴奇論 − 「的を得る」 その2" も併せてどうぞ。

【3月14日 追記】

よく読んでもらえばばわかることなのだが、妙に引っかかる人が多いようなので、くどいようだが、念のため追記しておく。

このケースに限って言えば、「射る/得る」は、「含む/含まれる」の関係にある。「射る」は「得る(当たる)」を含むので、論理的には何の問題もない。

ただ、「得る」 は、意味的には、よりピンポイントになるということだ。

しかし、現代では「得る」のもつ「当たる」の意味が薄れていて、奇異な言い回しと受け取られる可能性が高いため、「あまりお薦めできない」 というのは、当たり前すぎるので、くどくどとは書かなかった。

そもそも、私自身だって、つい最近までは、フツーのインテリにありがちなことに、「"的を得る" は誤用」 と思っていた (だからこそ、冒頭の BSS のコメントがあったのだ)ので、自分で使ったことは一度もないし、今後も使う気になれず、「的を射る派」の論理もメンタリティも十分理解している。

それゆえ、その辺の突っ込み、あるいは蒸し返しのコメントなどは、もとより不要ということで。

【8月26日 追記】

このエントリーへのコメントに関しては、もう付き合いきれないので、よほど意味のあるものを除いては、レスしないことにした。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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言葉」カテゴリの記事

コメント

「的を得た答え」ありがとうございます。(私もATOKなのですがあえて使わせていただきました)
でも言われてみると確かにいつまでさかのぼればいいのっていうものがありますよね。
たとえば「貴様(きさま)」とか、これだって元々は悪い言葉じゃないけど(明鏡辞典より)、上司にこれを言ったら大変なことになるし。

投稿: さかとも | 2006年3月 7日 10:10

さかともさん:

>でも言われてみると確かにいつまでさかのぼればいいのっていうものがありますよね。

そうなんですよ。だから、現状では、少しばかりの原稿料をもらって書く文章 (商業的なもの) では、「的を得た○○」 とは、危なくて書けません。

確かに、上司に 「貴様」 と言えないのと似てますね。

戦争中は、階級が同じ者同士では、互いに 「貴様」 と呼び合っていたようで、ウチの父も、予科練時代の戦友とは、今でも 「貴様」 と呼び合ってますね。

(これ、何となく、"いい感じ" です。戦争賛美では決してありませんが)

ただ、当時でも、上官に対しては 「貴様」 とは決して言えなかったでしょう。

今では、同僚にも言えなくなってしまいました。「貴様」 の零落は目を覆わんばかりです。

投稿: tak | 2006年3月 7日 10:39

というわけで、今後は、なるべく 「的を射た○○」 という表現自体を避けようと思います。

「的を射た」では、やはりぎこちなさが残って、気持ち悪いし、「正鵠を得た」 では、大げさ過ぎる場合が多いので。

BBS で指摘された当サイトの問題箇所も、「的を射た」 から 「当を得た」 に修正しておきました。

http://homepage3.nifty.com/tak-shonai/intelvt/intelvt_036.htm

投稿: tak | 2006年3月 7日 11:45

私の手許の辞書(明鏡)を見ると、「正鵠を射る」として、「物事の核心をつく」とあります。さらに「『正鵠を得る』ともいい、その対語に『正鵠を失する』がある」と説明されています。「失する」から逆算すれば「射る」より「得る」ですよねぇ……。

ちなみにこの辞書には「的を射た」も「的を得た」も載ってません。「当を得た」はあります。

投稿: 山辺響 | 2006年3月 8日 11:41

山辺響 さん:

私も同じ辞書を使ってます。

>「失する」から逆算すれば「射る」より「得る」ですよねぇ……。

どうみてもそうですよね。
やっぱり 「得る」 の方が由緒正しい気がします。

>ちなみにこの辞書には「的を射た」も「的を得た」も載ってません。「当を得た」はあります。

「的を射た○○」 は、現代になって一知半解的にでっち上げられた、いびつな表現かもしれませんね。

投稿: tak | 2006年3月 8日 13:01

「正鵠」が「的」に変化した時点で、すでに「得る」を使うのはおかしいのでは?

「正鵠」が「的」に変化したんだからそれにあわせて「得る」も「射る」に変化したんだろうし、それをわざわざ組み合わせると言うのもおかしな話。

極端な話、「時は金なり」はもともと「Time is money」だから、「時はmoneyなり」でも正しいはずだ、といっているように聞こえる。

投稿: とおりすがり  | 2006年3月 8日 23:32

>「正鵠」が「的」に変化した時点で、すでに「得る」を使うのはおかしいのでは?

今回のエントリーの中に、既に次のように述べてあるのを、繰り返します。

>「得」 という字には、元々 「当たる」 という意味がある。

>中谷臣氏の説を紹介したブログのコメントに、"「正鵠」 は 「得る」 ものでも、「的」 は 「射る」 ものだ" という趣旨の反論があるが、それは論理性をもたない。「射て、当たること」 が 「得る」 ということであるのは、「正鵠」 でも 「的」 でも変わらない。

それから、

>極端な話、「時は金なり」はもともと「Time is money」だから、「時はmoneyなり」でも正しいはずだ、といっているように聞こえる。

どこがおかしいんですか?

投稿: tak | 2006年3月 8日 23:37

>どこがおかしいんですか?

つまり、「時はmoneyなり」でもおかしくないってこと?

投稿: とおりすがり  | 2006年3月 8日 23:44

>つまり、「時はmoneyなり」でもおかしくないってこと?

どういう風におかしいんですか?

単なる英語、日本語の言い換えなので、言い回しが奇異ではあっても、論理は通ります。

要するに、言い回しがおかしいということでしょうか?

それならば、同意します。

ただ、それが、「的を得る」 と、どう関係があるのでしょうか?

それから、念のために言っておきますが、問題なのは、中谷臣さんも自身のサイトでおっしゃってるように、"「的を得る」 は 「間違いではない」" ということであり、それをことさらに 「間違いである」 と決め付けるのは、止めましょうということです。

投稿: tak | 2006年3月 8日 23:53

ちょっと例が適切じゃなかったかも。
言いたいのはこういうこと。

「正鵠を得る」←漢語を日本語的表現に
「的を射る」←日本語表現
「的を得る」←正しい?

「タイムイズマネー」←英語を日本語的表現に
「時は金なり」←日本語表現
「時はマネーなり」←正しい?

投稿: とおりすがり  | 2006年3月 8日 23:54

もう一度、繰り返します。

"「射て、当たること」 が 「得る」 ということであるのは、「正鵠」 でも 「的」 でも変わらない。"

金 = Money

とすれば、

射る > 得る

という関係になります。「金/Money」 と 「射る/得る」 を同等に扱うことはできません。

「射る」 には、広義には的に当たることも含まれるでしょうが、狭義で言えば、当たらないこともあるわけです。

それ故に、「射て、当たること」 をより正確に言うためには、「得る」 という言葉の方が適切であり、古来、そのように言い習わしたもののようです。

しかし、現代に至って、「得る」 に 「当たる」 の意味があることが忘れられ、表面的論理で 「的は "得る" ものじゃなく "射る" ものだろう」 ということで、「的を得る」 が不当に 「誤用」 とされるようになったということへの、警鐘があるわけです。

実は、的は 「射る」 ものでもあり、「得る」 ものでもあったわけです。

ですから、 「的を得る」 が誤りだと決め付けることは、ちょっと 「現代語の傲慢」 かなと思うわけです。

要するに、決め付けなきゃいいわけです。

繰り返しになりますが、私自身は 「的を射た○○」 という比喩的表現は、なんとなく居心地が悪いので、今後は使わないつもりです。

投稿: tak | 2006年3月 9日 00:15

「射る」→矢を(何かに向けて)放つ。
「的に射る」→的に向けて矢を放つ。
「的を射る」→矢を的に当てる。
「的を射た」→矢が的に当たった。
このように解釈してますが・・・

意味の上では「的を得た」の「得た」と「正鵠を得る」の「得る」はほぼ同等では?
なのでわざわざ「的を得る」にしなくても良い気がしますが。(強制はしませんが)

投稿: とおりすがり  | 2006年3月 9日 01:09

>なのでわざわざ「的を得る」にしなくても良い気がしますが。(強制はしませんが)

それは、わざわざ 「的を射た○○」 にしなくてもいいのと同様ですね。(私も強制しません)

結局、両方ありということ。

投稿: tak | 2006年3月 9日 01:46

追加。

両方ありです。
ことさらに片方を否定しようとしても不毛です。

ただ、私としては
「的を射た○○」 は居心地悪いし、
「的を得た○○」 は物議を醸すしで、
今後はなるべく避けたいなと。

投稿: tak | 2006年3月 9日 01:54

再追加

結局、好きずきです。

伝統派は 「的を得た」 に未練があるだろうし、
現代派は 「的を射た」 で割り切りたい。

伝統派の生きる道を否定するのは止めたいなと。

投稿: tak | 2006年3月 9日 02:01

再々追加

「正鵠を得る」 の 「得る」 は、「正鵠」 としか結びつかない特殊用法というわけではなく、「正鵠」 に 「的」 を代入することも可能である以上、「的を得る」 をことさらに否定する根拠が崩れたということです。

好きずき、自分で使う使わないは別問題として、「的を得る」 をことさらに否定したりつっこんだりするのは、ここまでわかった以上、無粋だなと。

なかなか通りすがってくれないとおりすがりさんには、それだけを申し上げたいのです。

その上で、私自身は、伝統派の言うことも理解できるし、さらに、「的を射た○○」 という用法は、なんとなくぎこちなさを感じるので (それ故に、世の中では、無意識の 「的を得た」 が消え去らない) 、あまり使いたくないということです。

そういうわけで、なかなか通りすがってくれないとおりすがりさんが、どっちを使おうが、私はつっこみません。

ただ、どっちかを否定しようということなら、反論を継続します。

投稿: tak | 2006年3月 9日 02:21

何を言っても、学校のテストで○もらえる答えだけが正しいと信じてる人っていますからねぇ。

投稿: | 2006年3月 9日 02:23

>何を言っても、学校のテストで○もらえる答えだけが正しいと信じてる人っていますからねぇ。

座布団 三枚!

投稿: tak | 2006年3月 9日 02:31

的を射るってのは慣用句として知られてますが
的を得るが意味的に通じるとしても
間違っていない表現と言い切れるものでしょうかねぇ。

それと、普通とおりすがりってのは通りすがるヒトじゃなくて通りすがったヒトのことを指すんじゃないでしょうかねぇ。

投稿: てんぷ | 2006年3月 9日 02:46

>「得」 という字には、元々 「当たる」 という意味がある。

よーはココじゃん?
"元々"その意味があったから間違いじゃないし、当然の使われ方なのかもしれんけど
"今"の「得る」の使われ方からすると、意味が通じづらいとかなんとか考えて、射るにしようってなったんでないのかな?
まー勝手な妄想だけどさー

言葉なんて変わってくもんなんだし、このままならそのうち360度回って、モトの意味っぽい「得る」に戻って行ったりして~

投稿: やー | 2006年3月 9日 03:03

またまたスマン。

汚名挽回については、この汚名ってのをどう取るかが問題なんでないの?
汚名そのものと取ると返上だし、汚名を被った状態と取ると挽回って感じでさ。

で、字面からそのまま受け取れば、返上の方が適当じゃん?

投稿: やー | 2006年3月 9日 03:19

>伝統派は 「的を得た」 に未練があるだろうし、
伝統派であれば 「的を得た」よりも「正鵠を得る」の方を使おうとするのでは?

もう一つ
「正鵠を得る」←日本語として正しいとされる言い回し
「的を射る」←日本語として正しいとされる言い回し
「当を得る」←日本語として正しいとされる言い回し
「的を得る」←日本語として間違ってはいないとされる言い回し

先ほどの通り、正鵠を得るの「得る」と的を射たの「射た」はほぼ同等の意味(現在・過去の違いはあれど)と思っているので、この場合わざわざ「正しいとされる」言い回しを避け「間違ってはいない」という言い回しを選ぶというのはどうなんでしょう、ということ。

takさんは「得る」の方が「射る」よりも論理的に正しいという論拠によって、「的を得る」の方を使いたいというようなことを言っているけど、この二つが同等であれば、「正しいとされる」言い回しを使う方が「理に適っている」と思いますが?

どうも意図が伝わっていないようなで補足。

それに私は「的を得るは間違っている」とは一言も言ってませんよ?

投稿: とおりすがり  | 2006年3月 9日 03:27

>汚名そのものと取ると返上だし、汚名を被った状態と取ると挽回

記事本文での、汚名挽回に関しての説明がいまいち腑に落ちなかったのですが、上記のコメントで納得できました。ありがとうございます。

ところで、一度返上した汚名を「取り戻して」しまった時は、何て言えばいいんでしょうかね?やっぱり「汚名挽回」なんでしょうか。

投稿: muru | 2006年3月 9日 04:03

>的を射るってのは慣用句として知られてますが
>的を得るが意味的に通じるとしても
>間違っていない表現と言い切れるものでしょうかねぇ。

>それと、普通とおりすがりってのは通りすがるヒトじゃなくて通りすがったヒトのことを指すんじゃないでしょうかねぇ。

意味がよくわかりません。

投稿: tak | 2006年3月 9日 07:35

>>「得」 という字には、元々 「当たる」 という意味がある。

>よーはココじゃん?
>"元々"その意味があったから間違いじゃないし、当然の使われ方なのかもしれんけど
>"今"の「得る」の使われ方からすると、意味が通じづらいとかなんとか考えて、射るにしようってなったんでないのかな?
>まー勝手な妄想だけどさー

>言葉なんて変わってくもんなんだし、このままならそのうち360度回って、モトの意味っぽい「得る」に戻って行ったりして~

よく理解して頂いて、ありがとうございます。

投稿: tak | 2006年3月 9日 07:37

>先ほどの通り、正鵠を得るの「得る」と的を射たの「射た」はほぼ同等の意味(現在・過去の違いはあれど)と思っているので、この場合わざわざ「正しいとされる」言い回しを避け「間違ってはいない」という言い回しを選ぶというのはどうなんでしょう、ということ。

先ほど述べたとおり、「好きずき」 です。

>takさんは「得る」の方が「射る」よりも論理的に正しいという論拠によって、「的を得る」の方を使いたいというようなことを言っているけど、この二つが同等であれば、「正しいとされる」言い回しを使う方が「理に適っている」と思いますが?

「使いたい」 とは言ってなくて、私は、こんないわく因縁のついた表現は、避けたいと言ってます。

自分では両方使いたくないけれど、どちらかを使っている人に、ツッコミを入れるのは止めようということです。

>それに私は「的を得るは間違っている」とは一言も言ってませんよ?

それなら、結構です。

投稿: tak | 2006年3月 9日 07:41

「射る」という言葉は弓を引き矢を放つという意味だけでなく、「得る」と同様に当たるという意味がある(三省堂、大辞林)ので、射る=当たるとなると思います。
違和感は慣れの問題でしょうね

投稿: take2 | 2006年3月 9日 08:33

弓道の「あたり」は「中たり」もしくは「中り」と書くから、「当たり」という意味の「得」では不自然だと思う。

投稿: nullpo | 2006年3月 9日 08:45

意味がわからない、では何がわからなかったのかさえ
わからないのですが…。前半部分は
意味が間違っていない表現だからといって、
慣用句として使われている方(射る)をツッコム事を不毛とするのは、問題がズレているのでは、ということ

後半部分は、とおりすがりさんが更に通りすがるという表現が的外れなことを指摘しているのですが。

投稿: てんぷ | 2006年3月 9日 09:07

100人居れば100通りの考えがあるんだから、
『こういう人も居るんだな、あはは♪』で良いと思うんですが、
揚げ足を取りたがる頭硬い人には見過ごせない訳ですね。

正論は人を意地にさせるので、より人を納得させる考えを
言えれば、それで終わりで良いんじゃないでしょうか。
私はこの記事は面白いと思ったので一票…と。

投稿: 横槍好き好き | 2006年3月 9日 09:29

初めまして。
面白い記事を読ませていただいたと思ったら
コメント欄も面白いことになってますね。

私はtakさんに一票です。
「正鵠」が「的」に変化したからと言って、「得る」が「射る」に変わる必要はないと思います。
最初に「的を得る」が派生したからこそ、この”おかしな”表現が広く使われているのではないでしょうか。
そして、後により直接的で語感も似た「射る」に派生したと私は考えています。
一代古い表現と、現代的表現くらいの認識でいいんじゃないでしょうか。

その上で私は「的を射る」にはまだ馴染めないので「的を得る」を使いたいですね。
けれどいちいちつっこまれるのも面倒なので普段は「当を得る」を使っています。

ていうかこの議論の論点って何でしたっけ。
時は金なりの例を挙げて「的を得る」を”おかしい”とする通りすがりさんと
両方を認めるtakさんの対立だと思っていたのですが。

投稿: Kira | 2006年3月10日 15:47

>「射る」という言葉は弓を引き矢を放つという意味だけでなく、「得る」と同様に当たるという意味がある(三省堂、大辞林)ので、射る=当たるとなると思います。
違和感は慣れの問題でしょうね。

「射る=当たる」 という 「イコールの関係」 ではなく、「含む、含まれるの関係」 だと思います。

それはもとより承知した上で、違和感なのですよね。

投稿: tak | 2006年3月10日 16:20

>弓道の「あたり」は「中たり」もしくは「中り」と書くから、「当たり」という意味の「得」では不自然だと思う。

こういうコメントがあるかなという気はしていましたが、「予感的中」 しました。

「中たり」もしくは「中り」 は、こういう形で使われてますね。

nullpo さんが 「的に中てた○○」 という表現を使われても、つっこまないことにします。

投稿: tak | 2006年3月10日 16:25

>意味が間違っていない表現だからといって、
>慣用句として使われている方(射る)をツッコム事を不毛とするのは、問題がズレているのでは、ということ

ますますわかりません。
私は、「的を得る」 の方にツッコムことを不毛と言っています。

また、前のコメントで

>的を射るってのは慣用句として知られてますが
>的を得るが意味的に通じるとしても
>間違っていない表現と言い切れるものでしょうかねぇ。

とおっしゃっていますが、意味的にきちんと通じる表現を 「間違い」 というのでは、言葉の立つ瀬がありません。

>後半部分は、とおりすがりさんが更に通りすがるという表現が的外れなことを指摘しているのですが。

不毛になりそうなので、スルーさせて頂きます。
失礼の段はお詫びします。

投稿: tak | 2006年3月10日 16:29

>100人居れば100通りの考えがあるんだから、
>『こういう人も居るんだな、あはは♪』で良いと思うんですが、
>揚げ足を取りたがる頭硬い人には見過ごせない訳ですね。

>正論は人を意地にさせるので、より人を納得させる考えを
>言えれば、それで終わりで良いんじゃないでしょうか。
>私はこの記事は面白いと思ったので一票…と。

ありがとうございます。

投稿: tak | 2006年3月10日 16:31

>「正鵠」が「的」に変化したからと言って、「得る」が「射る」に変わる必要はないと思います。
>最初に「的を得る」が派生したからこそ、この”おかしな”表現が広く使われているのではないでしょうか。
>そして、後により直接的で語感も似た「射る」に派生したと私は考えています。
>一代古い表現と、現代的表現くらいの認識でいいんじゃないでしょうか。

>その上で私は「的を射る」にはまだ馴染めないので「的を得る」を使いたいですね。
>けれどいちいちつっこまれるのも面倒なので普段は「当を得る」を使っています。

うまくまとめて頂いて、感謝です。
「いちいちつっこまれるのも面倒なので・・・」 というあたりも、まったく同感です。

投稿: tak | 2006年3月10日 16:34

正直例えに使う句が解りにくい。
『時はmoneyなり』

>金 = Money
>とすれば

日本語の「金」と英語での「money」は、一番端的な訳語ではあっても言語文化内では違う意味、用法、暗喩があるので、英語での「money」を日本語に取り込んでいるのならともかく、句の中の一部を他言語に変えるのは意味の変化を招く。

ていうことから

的を射るという句に対して「漢語由来」をもってきてもなあ、といいたいのではないかと。多分。

投稿: 乗り遅れた辞書スキー | 2006年3月11日 01:04

乗り遅れた辞書スキーさん:

なるほど、おっしゃりたいことはわかるような気がします。

ただし、「的を射る」 は、現代では意識されないほど、遠く離れてしまったとしても、元々は漢語由来なんじゃないかなあ。

投稿: tak | 2006年3月11日 01:31

私は「射た」「得た」どちらが正しい、
どちらが間違っている、とツッコム気はありませんが、
気になる点がひとつあります。

>「得」 という字には、元々 「当たる」 という意味がある。

ということですが、私は
「抽選に当たる」「当選する」の「当たる」は「得」に含まれると思います。
ですが、「ボールが壁に当たる」「矢が的に当たる」のように
物理的な「当たる」は「得」に含まれていないと思いました。
以上です。

投稿: nin | 2006年3月11日 01:39

>「抽選に当たる」「当選する」の「当たる」は「得」に含まれると思います。
>ですが、「ボールが壁に当たる」「矢が的に当たる」のように
>物理的な「当たる」は「得」に含まれていないと思いました。

「正鵠を得る」 という言葉がある以上、矢が的に当たるという場合の物理的な 「当たる」 も (象徴的な 「当たる」 ともいえるでしょうが) 「得」 に含まれると考えていいでしょう。

投稿: tak | 2006年3月11日 02:10

うお、もうレスが。
ちょっと感激。

>なるほど、おっしゃりたいことはわかるような気がします。

あ、いや。
通りすがりの人の、Time is money の例えについての解説が本人さんから出なかったので(そしてちょっと、どういう論旨に使うのか期待してたので)、物足りなくなって、つっかえつっかえ補完してみたのですが、何かしらイメージが伝わったなら幸いです。

>元々は漢語由来なんじゃないかなあ。
そのとおりです。
漢語由来の表現から、使われるうちに『的を射る』に変遷しているので、この句について『射る』の部分だけ『得る』と先祖がえり(漢語がえり)させても以下略 という。

ぶっちゃけた話、的を射る/得るはどちらでも、殆ど誰とでもコミュニケーションできるし問題はないかなあ、と。

『汚名挽回』は何が言いたいのか良くわからなくなってしまうので、異なる解釈が可能でも(むしろ、異なる解釈が可能だからこそ)、気をつけて使って欲しいとは思います。

・「劣勢を挽回」のような意味で使いたいのか
・単に名誉挽回をいい間違えたのか
・本当に汚名を得たいのか(それは無いw)

ストレートに「汚名挽回」を解釈すると3つ目になるのが厄介なんですよね、もしくは「汚名」が「劣勢」のように、状態を指す単語なら素直に新しい言葉として受け入れられたかもしれない、とか妄想して眠ります。オヤスミナサイ。

投稿: 乗り遅れた辞書スキー | 2006年3月11日 02:13

前回の補足は紛らわしい文章になってしまいました。

>>慣用句として使われている方(射る)をツッコム事
>私は、「的を得る」 の方にツッコムこと
失礼、書き方に問題がありましたが、この二つは同義です。

>意味的にきちんと通じる表現を 「間違い」 というのでは、言葉の立つ瀬がありません。

慣用句として間違っている、と指摘しているのだから
意味が通じている、という反論では問題がずれている、というわけです。
意味が通じる≠慣用句として正しい、でしょう。

投稿: てんぷ | 2006年3月11日 07:27

>慣用句として間違っている、と指摘しているのだから
>意味が通じている、という反論では問題がずれている、というわけです。
>意味が通じる≠慣用句として正しい、でしょう。

まあ、それは、使う人が 「別にオフィシャルな慣用句と認めてもらわんでもいい」 ということで、意地を通しているんでしょうね。

投稿: tak | 2006年3月11日 09:59

追加

「慣用句として正しいか」 というのは、
「慣用句」 というものの概念が、案外あいまいで、
その上、言葉というものは時代とともに変わるものなので、
厳密な議論は成立しにくいと思います。

これは慣用句というわけではありませんが、
「新しい」 を 「あたらしい」
「山茶花」 を 「さざんか」 と読むのは後世の誤読で、
本来は 「あらたし」 「さんさか」 であるということで、
ポリシーとして、意地でも 「あらたし」 「さんさか」 と言い続ける人が
もしいたとしても、
「面白い人だなあ」 と思っていればよく、
「それは、間違いだよ」 とツッコンでも無駄だよということです。

「的を得る」 を、別にポリシーとしてではなく、
単に「的を射る」 の方を知らなくて使っている人も多いでしょうが、
まあ、結果オーライということで、ことさらなツッコミはしないでおこうと。

日本中を無理矢理 「的を射る」 で統一したところで、
特段、日本語が豊かになるわけでも、
国民の知的水準が上がるわけでもないし。

本当は 「両方あり」 と知って、自分の美学で選択すればいいんでしょうけど。

投稿: tak | 2006年3月11日 10:18

興味深く読ませて頂きました。
「どちらが正しいか」の議論はさておき、「なぜ「的を得る」の誤解(それも更に誤解?)が生じたのか」というプロセスが楽しかったです。
あながち間違いでもない事を人々が感じ取っているからこそ、「的を得る」がここまで広まっているのかもしれないと考えました。
言葉の変遷・混乱を見過ごせない人も多々ありましょうが、それも「言葉への興味の現れ」の一つなのだと感じております。
言葉は道具であり服装であると考えれば、それぞれ拘りが出て来るのは当然なのかもしれませんね。カラーバリエーションから選び取るように、言葉も○×式でなく、ゆとりを持って選びたいと思いました。
個人的には「的を射る」が好きです。根拠はないけれどピンポイントなムードがあり、「ヒュンッ!」という音が聞こえてきそうで、楽しいからです。

投稿: 麦酒 | 2006年3月11日 14:31

麦酒さん:

3月11日付の歯車さんのコメントのレスでも書きましたが、以下に、敢えて同じようなことを繰り返させて頂きます。

まず、きちんと URL までつけてコメントしてくださったことに感謝します。

これも単なる 「好きずき」 でしょうが、捨てハンじみた名前で執拗に挑んでくる人に、内心むっとしたりするのは、私だけではないと思いますんで。

ただ、反論するならきちんと名乗れと、強制するわけではありません。その証拠に、私は捨てハンのコメントも無視しないで、いちいちレス付けてるし。

人それぞれ事情もあるだろうし。

(以上)

>個人的には「的を射る」が好きです。根拠はないけれどピンポイントなムードがあり、「ヒュンッ!」という音が聞こえてきそうで、楽しいからです。

なるほど。そう言われるとわかる気もします。

その一方で、私は 「的を得た」 にも 「ズバッ」 という音が聞こえる気がします。

自分の文章では決して使いませんけどね。

投稿: tak | 2006年3月11日 14:50

レス付け忘れてました。失礼。

>『汚名挽回』は何が言いたいのか良くわからなくなってしまうので、異なる解釈が可能でも(むしろ、異なる解釈が可能だからこそ)、気をつけて使って欲しいとは思います。

賛成です。
ただ、意味を誤解することは、おっしゃるように、そうあることじゃないと思いますがね。

投稿: tak | 2006年3月11日 14:57

ウチのブログにこんなにもたくさんのコメントが付いたなんて、初めてなもんで、頭がこんぐらがりそう。

途中で、ココログの 30時間以上にわたるサーバ・メンテで、コメントが付けられない状態が続いたので、なおさらです。

レスの付け忘れは、ないのかなあ。

「俺のコメントに、まともなレス付いてないぞ」 というのがありましたら、おっしゃってくださいね。

レス付ける意味のあるコメントなら、付けますんで。

出来のいいボケコメントには、ボケレスを心がけます。

投稿: tak | 2006年3月11日 15:06

あー、別に反論でも何でもないんだが、メモ的なもの書いておきますね。用語とかは曖昧。

・世の中、素直に解釈すると意味の通らない言葉はたくさんあるが、正しい用法とされているものがたくさんあります。これらについても、原理的解釈をした上で誤用か正当かといった主張をするかのような「イメージ」を受けます。
・tak氏は誤った言い回しを使うとつっこまれるという状態を、疎ましく思っているように読めます。今回出てきた言葉に限らず、あらゆる誤用と指摘についてです。
・今回の主張では、「個人的ぎこちなさ」という主観と、原理的解釈を理由にしているような「イメージ」を受けます。
・しかし、原理的意味とは無関係に、言葉の使われ方は変化していきますし、どちらかというと意味や用法が変化することに肯定的であるような「イメージ」を受けます。にもかかわらず原理的解釈で正当性を主張しているような「イメージ」を受けます。
・日本語ブーム?というのか分かりませんが、主に若者が誤った用法を用いたときに、それを指摘し正しい用法を教える流れがあります。これに反旗を翻し、どんな乱れた若者言葉だろうが意味が通じれば問題ない、原理的解釈を行えばかえってそのほうが正しいことだってある、だからあらゆる誤用に対して、それをいちいち指摘するな、という主張をしているような「イメージ」を受けます。
・あくまで詳細な言葉の起源や漢字の意味から現状の用法に物申すのか、それともフィーリングや実を取って用法の変化を許容するのか、よくわからないというような「イメージ」を受けます。

よく読むとそうじゃないんですけど。なんか引っかかる人はこのへんじゃないかなーと。

投稿: とおりすがり2 | 2006年3月12日 03:17

>よく読むとそうじゃないんですけど。なんか引っかかる人はこのへんじゃないかなーと。

よく読んで下さいね。
さんざんいちゃもんじみたことをあげつらって、この言い方は、大変不愉快です。

これ以上、非礼なことがあるようでしたら、あなたのIPA はコメント規制リストに入れさせていただきます。

投稿: tak | 2006年3月12日 05:36

初めまして。
初めてコメントさせていただきます。
なんか大変ですね(^^
いちゃもんつけながら反論ではないとか、気の狂ったことを平気で書きこめるような方に絡まれて。「反論ではないから反論は受け付けない、俺の言いたいことだけ聞いとけ」ってことなんですよ、こういうのが言いたいことは。
まあいちゃもん自体が、「両方俺は認めるよ、物分りいいから、うん。俺って革新的だしね。でもさ、できれば的を射るにしようよ。的を得るはほんとはおかしいんだよ。」
と、全くダブルスタンダードの戯言を恥ずかしげもなく書き込めるこの方のリアルを知りたいですw

本題とは違うことで楽しくなってしまいましたすいません。
本題については、射るについても得るについても、一応の説明は付くし、また、元もとの成立についても諸説あるということでどっちもありですよね。最近の日本語ブームで正しい言葉を求めるというのはいいんですが、「本当に正しい言葉」などありはしないということを理解できない方が増殖してますね。
確かに契約書などに載せる言葉は、その意味用法が各々で違っていたらいけません。ですが、日常的な言葉は曖昧なところはそのままでいいでしょう。人間には理解力というのがあるんですから。
殊更に「正しい日本語」を押し付けようとする方には、この力が欠如してる傾向があります。僕には自分のその欠如を、言葉へ責任転嫁してるようにしか見えないんですよね。
繰り返しになりますが、元もとの言葉の成立について曖昧なものを正しいのはこれだと決め付けるのは、事務的には便利なことですが、文化としての言語に対しては相当な冒涜だと思います。曖昧なものは曖昧なものでいいんじゃないでしょうか。
でも、最近の流行小説の文体までは僕は許容できませんがwまあ程度問題なんですよね。結論はでないかもしれません。ですが、許容範囲を狭くしたい方は、その器が小さいという評価を受けざるを得ないかと。

非常に非礼な文で申し訳ありません。こういうものしか書けないもので。これ以上荒れても申し訳ないので、もちろん削除してもらってかまいませんが、削除したということだけは残してもらえますでしょうか。非常に勝手な書き込みですいません。

投稿: ぴー | 2006年3月12日 14:56

ぴーさん:

いえいえ、十分に理の通るコメントです。
ありがとうございます。

投稿: tak | 2006年3月12日 20:01

どうも誤解されているようですが、「とおりすがり2」氏と私「とおりすがり 」は別人ですよ?
その辺りはIPを調べれば分かるとは思いますが。

それと、私は「的を得る」はおかしいのではという主旨のことと「間違っているとは一言も言っていない」ということを言いました。また、「的を射るが正しい」とも言ってません。あくまで「正しいとされる」という言い方をしています。
さらには「両方認める」などとも言ってません。あくまでその他の人に的を射るという言い回しを「強制しない」のであって、「的を得るはおかしいと思う」というスタンスは一貫しています。これはダブルスタンダードではないと思うのですが?

そして何故(どこが)おかしいと感じるのかを説明しようとしたのが「金とマネー」であって、なぜその二つを対比するのかという理由が「どちらも外国語由来」、「『的を射た』といった場合の『射た』は『当てた』という意味にしか取れないので、moneyと金、得ると射る、は同等に扱えるはず」という説明の部分です。

要約すれば「乗り遅れた辞書スキー」氏の
>的を射るという句に対して「漢語由来」をもってきてもなあ
というのが近いですね。
元の漢語では「正鵠を得る」で、その得るにはこういう意味があり、更には論理的に正しく・・・ という内容に対して漢語と日本語をごちゃまぜにするのはおかしいと感じる、だから英語と日本語の例を出した、という流れなんですが。

その辺りを理解された上で、どれを使用するかはご自由にと言っているのです。

それと「反論ではないから反論は受け付けない、俺の言いたいことだけ聞いとけ」、「両方俺は認めるよ、物分りいいから、うん。俺って革新的だしね。」はむしろtak氏に対する言葉だと思ったのですが。(もちろん文脈からはそうでないことが読み取れると補足しておきますよ。)

まあ、あまりこちらの発言を捏造されても困るので、もう一度だけ書込みを。

投稿: とおりすがり  | 2006年3月12日 23:42

>それと、私は「的を得る」はおかしいのではという主旨のことと「間違っているとは一言も言っていない」ということを言いました。また、「的を射るが正しい」とも言ってません。あくまで「正しいとされる」という言い方をしています。
さらには「両方認める」などとも言ってません。あくまでその他の人に的を射るという言い回しを「強制しない」のであって、「的を得るはおかしいと思う」というスタンスは一貫しています。これはダブルスタンダードではないと思うのですが?

あなたのこのスタンスが最初に伝わらなかったのが誤解の元だったと思いました。

投稿: MO | 2006年3月13日 03:17

とおりすがり さんと とおりすがり2 さんがいたんですねぇ。

「2」 を見落としていたことについては、大変失礼しました。お詫びします。

(とおりすがり2 さんへ: せめて、「2」 の前に半角スペース入れるとかしてくれんと、非常に紛らわしいですから、お気を付け下さい。そして、あなたのコメントへのレスは、そのまま 「生き」 とさせていただきます)

と、その上で、「とおりすがりさん」 には、以下のことははっきりと言わなければなりません。

甚だお気の毒ですが、あなたは、根本的に文章を理解する能力に欠けている人だと、判断せざるを得ません。

>要約すれば「乗り遅れた辞書スキー」氏の
>>的を射るという句に対して「漢語由来」をもってきてもなあ
>というのが近いですね。

ちゃんと、推移を理解してモノを言ってください。
(それができないから、ここまでエキセントリックになってるんでしょうけど)

あなたが 「近いですね」 というのは当たり前で、
「乗り遅れた辞書スキー」氏は、

>正直例えに使う句が解りにくい。

と、あなたの非常にまずいたとえ話を、見るに見かねて、親切にも、すこしでも意味が通じやすいように補完して言い換えてくれただけであり、決してご自身の意見を述べたわけではありません。
(なんで、それがわからんかなあ? 信じられんわ)

あなたは、自分の言葉を翻訳した通訳に向かって 「私は、あなたの考えに近いです」 と言うナンセンスな愚行を、衆目の前で演じています。(エクセルで言えば 「循環参照」 かな)

(ギャグでは定番ですが、実際にマジでやらかす人を、初めてみました。初めは、我が目を疑ったほどです)

そのうえで、私は、あなたの言いたいことが、かなり的はずれではあるにしても、(親切な 「乗り遅れた辞書スキー」氏の顔を立てて、その補完を通じ、百歩譲って) 趣旨だけは理解した旨をコメントし、さらにそれを踏まえても、なお、やはり 「漢語由来」 だろうとコメントを述べています。

それを受けて、「乗り遅れた辞書スキー」氏も、その後のコメントで 「漢語由来」 であろうということを、ご自身の言葉で積極的に認めておられます。

というわけで、あなたの言いぐさは、「乗り遅れた辞書スキー」 氏にとっては、困惑的なものであるわけです。彼は、あなたのサイドに立っているわけではありません。

あなたのような人に、かくもとんちんかんな思い違いで勝手にすり寄られたら、先方はさぞ迷惑だろうと思います。

そもそも、この場合の 「時は money なり」 は、それ自体が突飛だし、「正鵠を得た」 喩えではないということに、あなたはきちんと気付くべきです。

(ナガシマさんじゃあるまいし)

何か言いたいのなら、もっと 「当を得た」 喩えを使うように、頭を使ってください。

とんちんかんな喩えに執着して、いつまで経っても独りよがりなゴタクをゴチャゴチャ繰り返されても、はっきり言って、うっとうしいだけです。

>それと、私は「的を得る」はおかしいのではという主旨のことと「間違っているとは一言も言っていない」ということを言いました。

かなりの悪文ですが (日本語不自由なのかな?)、「おかしいのでは」 というのと、「間違っている」 というのとは違うという論理に読み取られます。「(非常に強い) 疑問を呈しているだけで、『間違っている』 と断定はしていない」 と言いたいようですね。

しかし、あなたは、次のようにも言っています。

>あくまでその他の人に的を射るという言い回しを「強制しない」のであって、「的を得るはおかしいと思う」というスタンスは一貫しています。

「その他の人」 という表現は、小学生の絵日記じみているとでもいうか、とても可愛らしくて、ちょっと笑えますが、要するに、「自分以外の人」 という意味ですね。
(あるいは、私と、このブログのコメントで私に賛同している人以外の人という意味かもしれませんが)

この中で、「おかしいと思う」 というのは 上記で触れた 「おかしいのでは」 という 「疑問」 とも違って、より (あなたの本音の) 「否定」 要素が強く、「間違い」 と言っているのと、「機能的には」 ほぼ同じです。

「厳密な意味」 は違うとはいえ、言葉の機能論としては、このケースでは、ほぼ同じ結果を生じますから。このあたり、あなたの言いぐさは、ちょっと無邪気すぎます。

それに対して 「あくまで違う」 とか、「間違いじゃないけど、おかしい」 とか言い張られるのでしたら、どうぞ長生きしてください。

確かに、世の中には 「間違いじゃないけど、おかしい」 ことはたくさんありますが、このケースもそうだと言い張るのは、そろそろ、周囲をウンザリさせます。

下手なツッコミにこだわらずに、上手にボケてくれれば、こちらもボケで返せたのに。
(そうした 「芸」 をあなたに期待しても無理でしょうが)

>「強制しない」のであって、

強制するもしないも、そもそも、あなたにそんな権限はありませんよ。あなたの言いぐさは、かなり幼稚で独りよがりな印象を与えます。言葉には気を付けてください。

それに、世間的には既に 「強制」 に近い雰囲気があるので、あなたがそこで妙に肩肘張って力んでいる必要は、まったくありませんから。

また、あなたの一連のコメント中の

>「理に適っている」と思いますが?
>一言も言ってませんよ?
>別人ですよ?

という 「?」 の付け方は、さすがに、短期間に 3度も繰り返されると (クセなのかな?)、単なる 「揚げ足取り」 はしたくないと思っている私にとっても、「的を射る/得る」 以上に気になるものであり、(「正しいとされる」) 慣用的な語法に従いたいというあなた自身の姿勢に反していると、強く感じました。

あるいは、「どうそ、揚げ足取ってください。そのために、3回も繰り返しました」 と言っているようにさえ見えます。

とくに、2番目と 3番目の、単なる否定文/肯定文に疑問符をつけて、付加疑問文的に用いるという 「慣用的用法」 (?) は、あなたの個人的世界、あるいは、あなたのお仲間うちを別とすれば、一般には確立していません。

歴史的に見ても、「正しいとされた時期」 あるいは、「間違いではないとされた時期」 さらに 「抵抗なく広範に通用した時期」 すら、存在しません。

それでも、「意味は十分に通じるだろう。それに、ニュアンスとしては、こっちの方が表現されてるだろう! だから、『正しい』 とされなくても、俺は使ったんだ」 というなら、それはそれで構いません。言葉は生き物ですから。

あなたが、こうした疑問符の使い方をする気持ちも、違和感はありますが、わからないではありません。ですから、私は (違和感とは別に) その意味はくみ取ったし、あなたのお仲間うちなら、十分 「あり」 だろうと、認めるにやぶさかではありません。

ただ、私はあなたのお仲間うちではありませんから (あなたと仲間うちになるのは、願い下げです)、今後は使う相手には、お気を付け下さい。

それを、お仲間うちでもないブログのコメントとして (短期間に 3度も繰り返して) 使うということは、あなたの気に入らない、「俺は 『的を得る』 を使うんだ」 という主張と、本質的に、何ら変わらないどころか、(あなたの言葉でいえば) さらに (質的にも量的にも) 「おかしい」 ことだと言わざるを得ません。

あなた自身の、この自己矛盾をどう解決されるのか、老婆心ながら心配だったので、申し上げました。

私は 「あなた自身の自己矛盾」 として指摘したのですから、あなた自身が解決すればいいことです。ここから先は、私の知ったことじゃありません。

「それとこれは別」 ということでも、一向に構いません。ただ、これ以上、こちらに低次元なナンセンスを持ち込まれませんよう。私も、今週からは忙しくなりますし、これ以上、付き合っている暇はありません。
(私はあなたに興味もっているわけでもなんでもないし)

「もう一度だけ書込みを」 という言葉を信じて、もう一度だけレスしました。

以後、あなたのコメントは (あったとしても) 無視します。これ以上馬鹿馬鹿しいようでしたら、削除します。

最後に、あなたのために、あえてきついことを付け加えますが、あなた、自分の日本語センスがかなりニブイということをきちんと認識しておいた方がいいです。そうしないと、また、どっかで恥かきます。

恥かいても、自分では気付かないという、シアワセな人なのかもしれませんが。

投稿: tak | 2006年3月13日 10:07

MO さん:

>あなたのこのスタンスが最初に伝わらなかったのが誤解の元だったと思いました。

「スタンス」 といえるほどのことかなあとも思いますがね。

投稿: tak | 2006年3月13日 10:11

的は正鵠を含むが、正鵠は的全体を含むわけではないので、
正鵠=的ではないのでは?ということで
正鵠を得る、に統一するのが
正鵠を得る事になる。

投稿: | 2006年3月20日 00:28

>的は正鵠を含むが、正鵠は的全体を含むわけではないので、
>正鵠=的ではないのでは?ということで
>正鵠を得る、に統一するのが
>正鵠を得る事になる。

じゃ、そうしてください。

投稿: tak | 2006年3月20日 10:31

辞書に載ってないからとか、起源がこうだったからというのはそれほど大事ではない気がする。
言葉は絶えず変化するから、正しい意味に固執するのは良くないと思う。
他者との意思疎通に使うんだから、受け取り方や印象が違うのは当たり前。
正しい意味を知るのは大事だけど、相手と交流しようと思うのが大事。

などと他のコメントも読まずに書いてみたり。

投稿: 長文コメント多いね | 2006年3月21日 23:55

>他者との意思疎通に使うんだから、受け取り方や印象が違うのは当たり前。

??

文字通りに受け取ると、これだと、「他者との意思疎通」 そのものが困難だと思いますが。

ただ、それを止揚した上で、一段上のコミュニケーションは可能になりそうなので、そのように解釈します。

投稿: tak | 2006年3月22日 11:49

古い話を持ち出すのであれば、「正鵠を得る/失する」自体が何に由来してるか調べて書いた方がよいと思いますよ。
間違っても、鴟鳥も鵠も的のような無機物のことではありませんから。
ということで、「得る」に「当たる」という意味がなぜあるのかも調べた方がいいかもしれません。

正鵠は射たり得たりできますが、的を得ても腹の足しにもなりませんからねぇ。

投稿: いも | 2006年4月 5日 19:32

いもさん:

象徴的な表現ということでしょうね。
元々は、「的」 も獲物をシンボル化したものでしょうから。

投稿: tak | 2006年4月 6日 07:54

何言ってんだ?

鴟鳥も鵠も無機物じゃないから得るは変だって事だろ。
シンボル化して的という無機物になった時点で、
「得る」ではなく「射る」の方が正しいって事。

一連の流れの中で一番確信をついているコメントを
スルーすんなよw

投稿: ? | 2006年5月28日 16:56

>一連の流れの中で一番確信をついているコメントを
>スルーすんなよw

スルーしてませんよ。
「核心」 をついてるコメントですから。

投稿: tak | 2006年5月28日 22:08

「意味として正しければ慣用句として間違いではない」というのがおかしいと思います。

投稿: | 2006年7月 4日 16:44

>「意味として正しければ慣用句として間違いではない」というのがおかしいと思います。

「慣用句として間違いではない」なんて言ってないから。

投稿: tak | 2006年7月 4日 20:07

どう考えても上で挙げてる先生が間違いを指摘されて、必死に屁理屈こねた結果です。
本当にありがとうございました。

投稿: | 2006年8月26日 11:36

こんにちは。

上の方で「的を射ても中るとは限らない(だから中ったことを限定的に表現できる得るは良い)」というコメントがありますが、大きな違和感を感じます。何故なら「弓を射ても、的に中るとは限らない」ですが、「的を射た」とした場合は「的に中った」と解釈するのが当然だと思うからです。「的を射よ」と言われればそれは「的に矢を命中させなさい」という意味ですし「中るとは限らない」という解釈はおかしいと感じます。

ところで「的を得る」は「的を射る」と「当を得る」のミクスチャーだというのが通説のようですが、本当にそうでしょうか?この説は「なぜ"的を得る"という表現がこうも広まっているのだろう?」ということを「後から」考えたときに、狭い範囲で犯人捜しをしたからそう言われているだけではないでしょうか?
私は「得る」という言葉に「わかる」という意味を感じます。英語で言えば I got you. I got it. の get です。そして日本語には「要領を得る」「意を得る」という「相手を理解する」という意味の慣用表現があります。
「確かにそれは的を得ているね」と発言するとき、頭の中では「なるほど!」という「理解」が生じています。相手の考えをゲットした瞬間です。
私は個人的には、もし「的を得る」という言葉が数百年前からあるのであれば「的を射る+当を得る=的を得る」の可能性もあると思いますが、もし「的を得る」がここ100年以内に生まれた新しい言葉であるなら「的を射る+要領を得る=的を得る」なのではないか?と考えています。というのは「当を得る」という言葉は文語としての要素が大きく、ミクスチャーが起こるほどの日常的な親近感を感じてないからです(普段使わない言葉でミクスチャーは起こらない)。ここに(上で出た"貴様"のような)時代時代で変化する言葉の音に対する感じ方が「的を射る」という音よりも、「的を得る」という音を選んだんだと思います。

意外と説得力ありませんか? え?ない? そりゃすみません。。

何はともあれ、仰るとおり原理主義的な部分を感じますし、もし「的を射る/得る」共にこの世になかったとしても、言葉の組合せ的に「的」と「得る」はおかしくないと思います。「的を射るが元々の表現だ」というならまだしも、「的を射るが正しい!的を得るは間違い!」という主張には変化を認めない(ら抜き言葉は江戸時代からあるのに、未だにら抜き言葉を"一切"認めない)国語学者のような違和感を覚えます。

だから私はこれからも「的を得る」を使います。
そんなのあなたの勝手だ?その通りです、勝手です。

※「正鵠を得る→的を得る」という変化説にも異を唱えたいですね。そんなに昔の人は「正鵠を得たり!」なんて、ミクスチャーが起こるほど日常語として使ってたんですかね?

投稿: ちば | 2006年9月 1日 19:10

ちばさん:

「このエントリーへのコメントに関しては、もう付き合いきれないので、よほど意味のあるものを除いては、レスしないことにした」と断りましたが、これについては、誤解を避けるためにもレスをつけます。

>ところで「的を得る」は「的を射る」と「当を得る」のミクスチャーだというのが通説のようですが、本当にそうでしょうか?

そうじゃないということは、本文をちゃんとお読みになればわかることです。

>※「正鵠を得る→的を得る」という変化説にも異を唱えたいですね。そんなに昔の人は「正鵠を得たり!」なんて、ミクスチャーが起こるほど日常語として使ってたんですかね?

だから、ミクスチャーじゃないって。
それに、日常語であるか否かは、関係ありません。庶民の間の日常語であったわけがないじゃありませんか。

投稿: tak | 2006年9月 1日 21:48

初めまして。検索で辿り着きました。
takさんの"的を得た"解説は、目から鱗が落ちる思いで拝読させて頂きました。
「的を得る」は故事成語、「的を射る」は"慣用"句って感じだったんですね。いわばら抜き言葉のような。
汚名挽回も間違いではないということには驚きましたが、こちらは「汚名返上」という四字熟語が成立しているので、返上を使うことが望ましいって気がします。
「汚名を巻き戻す」って、何か「なかったことにする」ようなニュアンスがあって、言われたらムカつきそうですから(笑)

コメント欄で正誤を五月蝿く主張している方々は、ら抜き言葉なんか使っていませんよね?
「独壇場」なんて言っていませんよね?
或いは「言葉は変化するもの」と捉えている方は、一時期「エムケイファイブ」とか「チョベリガンブロン」とか抵抗なく使い回していたんですか?

投稿: Mentho | 2006年9月30日 17:51

Mentho さん:

>「的を得る」は故事成語、「的を射る」は"慣用"句って感じだったんですね。いわばら抜き言葉のような。

あはは (^o^)

正確な表現ではないですが、一種の「例え話」としてなら、なんとなく、勢いでうなずいてしまいそうです。

>「汚名を巻き戻す」って、何か「なかったことにする」ようなニュアンスがあって、言われたらムカつきそうですから(笑)

それは、私も薄々感じてました。
リセットボタン押しゃあ済むってもんじゃなかろうと。
(これも、「例え話」です ^^;)

>コメント欄で正誤を五月蝿く主張している方々は、ら抜き言葉なんか使っていませんよね?

それから、さ入れ言葉とかね。
(「読まさせていただきます」とか、「やらさせていただきます」 とか)

投稿: tak | 2006年9月30日 21:38

ここは貴方のブログなので、正直こういう事を書くのもどうかと思ったのですが

貴方は少し他人を馬鹿にしすぎだと思います。(とおりすがりさんへのレスとか酷いですよね)
いくら自論と違っていたり、矛盾が生じたりしていたとしても、「低次元」とか、「あなたと仲間うちになりたくない」とか言うものじゃないと思います。
貴方の年齢がわからないので想像で書きますが、ブログ上で慣用句や文法についてここまで語っているんですから、もういい大人でしょう?
もう少し大人な対応しましょうよ。
貴方のレスを見ていると、子供が間違いを指摘され、認めたくないから権限を乱用しているようにしか見えません(レスの停止、IP規制等)
自分に不都合なレスを「意味が無い」等といってレスしないのなら、始めからコメントお断り等書いておけばいいじゃないですか。

失礼を承知(もう見てないかもしれませんが)で書き込ませて頂きました。
もし、私のコメントに思うところがあったなら改善して頂けると幸いです。
折角本題の方はすばらしく纏まっているのに、コメントで台無しなんて勿体無いですからね・・・

投稿: ヒカル | 2006年11月29日 00:21

ヒカル さん:

とおりすがりさんへ(だけ)は、確かに相当なことを書きました。
初めはなるべく穏やかに対応していましたが、的はずれなことを(しかも捨てハンで)執拗に書かれたので、最終的に、私としては珍しいことですが、意識して叩きのめしにかからせていただきました。

(相当意識しなきゃ、あそこまでは書けませんわ)

その辺りは、3月13日のエントリーで、ちょっとだけ内情を語っています。

https://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2006/03/post_f930.html

なお、他のコメントへは、それなりの対応をしているのは、ご覧の通りです。

投稿: tak | 2006年11月29日 00:50

まさか二ヶ月も間の空いたコメントにレスしてもらえるとは・・・w

意識して書いた、と言いますが、どうせ意識して書くのならあんな風に書く事もなかったのでは・・・と俺は思います。
確かに、捨てハンでの書き込みは良いとは言えませんが、例え捨てハンとはいえ、貴方の書いた文章を読んで、それに対して意見しているのですから、最後まできちんとした対応をするのはその文章を書いた人の責任だと思います。(まったく関係のない事で突っかかってくるなら対応なんてしなくてもいいですが)
どう見てもとおりすがりさんへのレスにある攻撃的な言葉は蛇足ですよね?
これでは、takさんが3月13日のエントリーに書いている「喧嘩の度に、職員室に呼び出してねちねちと説教をする教師」と同じではないでしょうか?
とおりすがりさんのレスを見て貴方はウンザリしたのもわかりますが、それに対する貴方のレスを見てウンザリした人もいるという事を知ってください。

もし、とおりすがりさんに対するレスが「相手を必要以上に傷つけないために、ちょうどいい頃合いを見て毅然と怒ってみせる」を実行した例ならば、怒るという事を履き違えている気がします。(どちらかと言えば、あのレスは見下す、という表現の方が合っている気がします)

長々と書かせて頂きましたが、私は決してとおりすがりさんを擁護している訳ではありません。
また、takさんを攻撃する意図で書いてもいません。
気を悪くされたのなら、謝罪させて頂きます。
それでは、長文乱文、失礼致しました。

投稿: ヒカル | 2006年11月29日 22:41

と、真面目な文面で書こうと思って緊張しながら書いたら一人称が二つも・・・orz
一人称が違う所はどうかスルーする方向で・・・^^;

投稿: ヒカル | 2006年11月29日 22:54

ヒカル さん:

ご指摘、ありがとうございます。

確かに、あのコメントは、私としても気持ちのいいものではありません。ただ、書いてしまった以上、その責任をも取るという意味で、残してあります。

私の至らなさの記録としての意味は、あるかもしれません。

投稿: tak | 2006年11月30日 11:21

面白く読ませていただきました。
私の感覚も、「的を射た」は、気持ちが悪いです。
「的を得た」の方がすっきりします。
それはなぜかといいますと、
語源の、「正鵠を得る」とは、標的の獲物の急所を矢で射て、獲物を手に入れることだと思います。
「的を得た」だと、獲物を手に入れていますが、
「的を射た」とは、獲物に矢は当たったかもしれないけど、急所を捉えていなければ、走って逃げていきそうです。
だから私は、個人的には今後、「的を得た」は使いますが、「的を射た」は、使わないと思います。

投稿: 通りすがりかも...? | 2007年1月 7日 00:39

通りすがりかも...? さん:

>だから私は、個人的には今後、「的を得た」は使いますが、「的を射た」は、使わないと思います。

勇気ある態度に敬意を表します。

私自身は、到底そこまで至りません。
わかりきったツッコミを呼び込むのがうっとうしくて ^^;)

投稿: tak | 2007年1月 7日 20:19

「的を得た」いいですねえ。
感覚的に好きです。
放った矢が的に当たり、ビリビリと何かが自分に返ってくる感じ。

投稿: NG | 2007年2月13日 12:44

NG さん:

でも、普段は使わない方がいいですよ。
余計な突っ込みされて、うっとうしくなるか、
「あいつ、言葉を知らないやつ」 と思われるかの、
どっちかですから。

投稿: tak | 2007年2月14日 15:16

つか的を射るは慣用句だが,的を得るは慣用句じゃない.
それだけだろ?

表現的な誤りとかそうじゃなくてさ.

文章中で慣用句として「的を射る」を断り無しに使うのは問題ない.
何故なら慣用句は共通見解があるから.言葉の意味はわかる.

的を得るを使うなら,的とは何か得るとは何かを説明する必要がある.
何故ならこちらは慣用句ではなく,何かを的に例えた比喩表現だから(表現としては間違ってないことを追記しておく)
慣用句ではない以上いきなり使われても意味不明.

言語って言うのはこういうものだと認識するべきだな.

くどいようだがもう一つ例を.
「確信犯という言葉の誤用をよく指摘されるが,
 これは,犯罪と言うことを確信している犯人(あるいは犯行)だから,
 確信犯という表現は間違ってない」
こういうみたいなものだ.
誤用か表現として間違っているかは別問題.

投稿: へのへのもへじ | 2007年3月11日 14:19

>慣用句ではない以上いきなり使われても意味不明.

想像力の欠如かも。

投稿: tak | 2007年3月11日 21:14

こんにちは、はじめまして、検索で流れてきました。
すみません、粘着がたくさんいるみたいだから、捨てハンで失礼します。

新記事もありますが、こっちの方が断然コメントが面白いので、
あえてこちらに書かせてもらいますすみません。
中でも、特に面白かったのは、この人。

>間違っても、鴟鳥も鵠も的のような無機物のことではありませんから。

もちろん、TAK氏は中谷氏の議論でそれをごらんになっているので、
当然その前提で書いているわけですが、(だからこそシンボル)
それも知らないで高説たれて、凄くスタイリッシュですねこの方。

そして、TAK氏の軽いレスに対して

>何言ってんだ?

急にキレたりして、常人には全く理解できない器の小ささ!
マイクロソフトもマイクロですから、小さいことはいいことですよね!
しかも本人のも含めた前後の議論はきれいに受け答えになってるのに、
どこをどう把握すると「何言ってんだ」が出てくるの?
超人的な発想力をお持ちなんですね!
おまけに書き込むたびに別人装って全てHNと文体を変更している小心さw
とてもとても慎重な優れた性格が浮き彫りになります。
あげく確信突いてるしwww異次元空間までハンドリングできるらしい!
ほとんど超能力者ですね。

で、

>鴟鳥も鵠も無機物じゃないから得るは変だって事だろ。
>シンボル化して的という無機物になった時点で、
>「得る」ではなく「射る」の方が正しいって事。

はい?

>鴟鳥も鵠も無機物じゃないから得るは変だって事だろ。
 理屈その1. 無機物じゃない=有機物 → 得るは変=射るが正しい
>無機物になった時点で、「射る」の方が正しいって事。
 理屈その2. 無機物 → 射るが正しい

はい、凄いです。1行後に逆のこと言ってます。
さすが確信を突ける超人的発想力の超能力者ですね、
普通の人と頭の構造が違うんだと思います。

>上で挙げてる先生が間違いを指摘されて、必死に屁理屈こねた結果です。

ついにTAK氏=中谷先生攻撃ですか。ねら丸出しですね。
いわゆるネチズンwの最先端、もう最高です。

閑話休題。

ちなみに、自分はこれまで生きてきて、口語で「まとをいる」って表現は、
実は一度たりとも耳にしたことがないです。
そして、ありがたいことにあまり外部受験を必要としない?
ろくに勉強しなくても大学までほとんど行けちゃう付属上がりなので、
覚える必要がないと思う漢字や語句や年号や英単語を、
外部受験で入ってきた秀才クンたちからバカと言われるほど知りません。
おかげで、今日の今日まで、「的を得る」んだと思ってました。
でも、周囲の秀才たちも含めて、そしてその後の、コンサル系の業務においても、
自社の人間も、そうそうたる企業のエリートさんたちにおいても、
これまで一度も「まとをいる」っていう言い回しを使っている場面を
耳にしたことがありません。
だいたい、言いにくくてしょうがない、「まとをいる」って。
だとしたら。

起源が「的を得る」で、口語も多くのケースで「まとをえる」で、
何故正解が「的を射る」になったのか。
それは、表面的なことばかり重視するだれかさんのような、
本質の理解力や想像力を欠いた人間が、それこそ「紙上で」言い出したのが、
「紙上で」説得力を持ち、広まったのではないのか?
一見、「的は射るものだ、得るは誤り」というのは、当たってそうですから。
自分も、今回どきっとしました。
そうやってこの「射る」が、音声のない世界で「得る」を駆逐し、
デファクト化したとか。

これまで散々議論されたように、表面的に射てようがなんだろうが、
有機物であろうと無機物であろうと、獲(え)物だったり得点だったり、
人は何らかの価値を「え」ようとして、「的」に対して向かうものです。
しかも、的を得た(あえて使用)と感じる場合は、どなたかが上記で言うように、
何か合点だったりアイデアだったりする価値を「get」している実感がある。
そして、起源がそれこそ「得る」なんだとしたら、そりゃもう、
「射る」方がむしろ誤解による誤用として発生したあだ花的な言葉であり、
コミュニケーションのネット化とFEPの変換機能によって、
「言葉を正確に覚える」ことの価値が著しく低下した現代社会において、
人々はどんどん「正しい日本語」にこだわりをなくしていき、
結果なんとなく本質的には当たってそうで、言い易い「的を得る」が、
本来誤用だった「射る」の代わりに復活してきているんじゃないか?
なんて想像してみたら、楽しいです。

ちなみに、おそらく楽しい方の最後っ屁くさい投稿の話ですが、
「確信犯」で、一般に言われている「誤用」は、自分からすれば、
「誤用」としている方が「頭が悪い」。
偉大なる無宗教国家日本で、語句に宗教色を持たせようとすること自体、
言葉についての見識が木っ端微塵に低いですね。
そこまで宗教モードの日本人が、いったい何%いるわけ。
無宗教国家日本においては、現在「誤用」とされている方こそが、
わが国の実情にマッチしているのは、誰の目にも明らかでしょう。
そして、その本質的意味は、両者とも何ら変わりありません。
何らかの自分の信念に基づいて、一般的価値観における「悪事」を行うことでしょ?
その行為を悪いと思っていないOR知らないなら、確信犯って言わないし。
これを誤用と騒ぐこと自体が、大変頭が悪いと思います。

それでは、蒸し返し大変失礼しました。
また寄らせていただきます。

投稿: 超おもろいです! | 2007年5月 3日 12:06

超おもろいです! さん:

>ちなみに、自分はこれまで生きてきて、口語で「まとをいる」って表現は、
>実は一度たりとも耳にしたことがないです。

確かに、私もそうです。これは鋭い指摘ですね。
(書き言葉でしか成立しにくい表現かも)
そもそも、口語としては、生理的に馴染まないですからね。

で、なんだかんだありますが、私としては、何が正しくて何が間違いかというよりも、要するに、「的を得た○○」という表現に対して、不毛なツッコミをする習慣 (ステロタイプの極みに思われます) を廃しましょうということに止めたいのでありますね。

それ以上は疲れるから、もうイヤなんであります ^^;)。

投稿: tak | 2007年5月 3日 22:52

すごくおもしろい、そして為になりました。

自分も友達に「的を得る」と言った所「それはおかしい、的を射るだよ」といわれました。
確かに冷静に考えてみると的は射るもので得るものじゃない、と思いました。
でもすごく耳慣れない言葉で納得できませんでした。

昔の用法は抜きにして考えてみました。
統計的にいえば「的を得る」を使用する人のほうが多いと思います。自分は「的を射る」は見聞きしたことが一度もなく(友達に聴くまでは)、又ここのコメントを見ても大半の人がそうなのだと感じました。データとしてはぜんぜん足りないですが。

自分が思うに「的を射る」が使われていたが音便化により替わった。そのときに字も適当なものに替わったんじゃないかな。言語学をちょこっとかじった程度なんでこれくらいしか言えませんがwww

辞書にも「的を射る」で載ってるわけだしそれなりの根拠があるんだろう。字面が不自然だから、じゃあまりにも暴力的だし。

「的を得る」が日本語として意味を成さないといわれるが、なら「的を射る」の意味が「的確に要点をとらえる(goo辞書より)」となるのも理解できない。もちろん慣用句ですからそこは理解してます、あくまで例えです。
ようは「的」「得る」をどうとらえるかだと思います。意味としても↑に書いたとおりで、弓を的に当てるじゃない。「的を得る」のほうが言葉から意味を読み取りやすいとさえ感じますよ、俺は。

それに全国的に多数の人が使用してるのなら(憶測です)その言葉は間違ってないと思います。間違ってるとしてもそれは以前の文法と違うということだと思います。
まあ何十年か経った後に言われるんでしょうけど。

文脈がおかしくても意味は伝わるとおもいます。
とはいってもちょい不安w

PS「的を得る」に自信がもてました。

  一皮剥けた感じです、もベロリとw

投稿: カズフサ | 2007年5月13日 18:13

カズフサ さん:

>「的を得る」に自信がもてました。

自分で書いといてナンですが、白状すると、私自身はそれほど自信を持っていないんです。ごめんなさい。

自分のスタンスとしては、あくまでも、"「的を得る」には不毛ななツッコミを入れない、そして、自分では使わない" というところに止まっています。

投稿: tak | 2007年5月13日 22:54

「的を射る」と「的を得る」、どちらを使うか使わないかということより、なぜこの話題がこんなに人気があるのだろう、と興味をもちました。ちょっと長くなりますが、考えてみます。

思うに、責任(というか原因)のひとつは、辞書的な意味合いで正統とされる「的を射る」という言葉が、出来が悪いことにあるのではないでしょうか。意見や表現が話の核心を突いている、といったときに使われる言葉ですが、「的を射る」はその情景を表すには曖昧すぎるのです。

この言葉からは、2通りの意味が取れます。「的を狙って矢を放つ」と、「的に矢を当てる」。それだけで十分曖昧なのですが、さらにどちらからも、肝心の「的の中心を射抜く(話の核心を突く)」というドンピシャのイメージが伝わってきません。矢を放つだけでは当たるかどうかわからないし、矢を当てるといっても的のどこに当てるかはっきりしません。

しかも、言葉の成立の経緯とか出典が明らかじゃない。どの立場の方も、「的」なんだから「射る」ということになったんだろうなあ…、程度の暗黙の了解というか、グレーゾーンをかかえたまま話が進むので、やっぱり何か釈然としないものが残ります。

では、翻って「的を得る」はどうかというと、本来はド真ん中に当てるという意味で、しかも歴史的な裏づけもあるんだけど、その話を知らない人には、なんとなく、例えば弓の御前試合があって、殿様が勝者に「よしよし。褒美に的(そのもの)をつかわす。持って帰れ」「ありがたき幸せ!」といったような動画が無意識に浮かんだりするので、「でも的(そのもの)をもらってもなあ…」と(私なんかは)ついつい思ってしまうのです。つまり、別の意味に取られやすい。

これは、いつのまにか、的の示す内容が変わってきているからだと思います。「正鵠」が的に読み替えられたころは、的=的の中心(位置)だったけれど、いまでは的=的全体(モノ)。的の意味にゆらぎがなかったならば、少なくとも「的を得る」にいまほどの違和感は生じなかったはずです。

こうした曖昧さが積み重ねられた結果、いざ言葉を使う段になっていくつもの選択肢が生じ(使わないことも含めて)、しかもどの態度も正しい(間違いじゃない)という事態を招き、この場所が賑わっているのではないかと思います。

どちらかが完璧な表現であれば、みんなそっちを使うでしょう。人気の秘密は、「正統なのに出来が悪い」、あるいは「甲乙つけがたい」というところでしょうか。

投稿: カッシー | 2007年7月27日 22:31

カッシー さん:

ありがとうございます。
とてもよく整理され、よ~く言えてる指摘だと思います。

「的を射る」の 「出来の悪さ」 は、「語感の不自然さ」 もあると思います。本文でも書いたように、どうも、居心地が悪い。

というわけで、私はこの言葉、自分では使いたくないし、どうしても使いたければ、「的を射る」 の方が、余計なツッコミを避けることができるという意味で、人にはお勧めしたいと思っている程度のことであります。

その上でさらに、「的を得る」に余計なツッコミを入れるうっとうしい風習は、廃れさせたいなと。

投稿: tak | 2007年7月28日 14:48

「絶対的な正しさ」を求める時点でステレオタイプ。

言葉ってのは、確かに由来も大切ではあるけど、それ以上に使ってる人の共通認識に基づくものでしょ。
例えば「姑息」だって、本来は一時しのぎって意味だけど、今じゃ「ずるい」って意味で用いられることの方が多い。
つまり今後は、後者の方が中心の意味になっていくだろう。
「すべからく」なんてのもそうかもしれない。

んで、「的~」を見てみると、「的を得る」を誤用と認識している人が大多数なのだから、的を得るは現時点じゃ誤用だ。
今後どうなるかは知らんが。

人のこと頭硬いって言ってるけど、あんたが一番頭硬いと思うよ。
自説に拘りすぎ。

投稿: 名無し | 2007年9月22日 14:28

名無しさん:

>「絶対的な正しさ」を求める時点でステレオタイプ。

誰が 「絶対的な正しさ」 なんて求めてますか?
私は求めてないけれど、仮に求めていたとしても、それがどうして 「ステレオタイプ」 ですか?
論理の飛躍がすぎます。

>んで、「的~」を見てみると、「的を得る」を誤用と認識している人が大多数なのだから、的を得るは現時点じゃ誤用だ。

その論理に従うのなら、あなたのいう 「誤用」 が世間一般でこれだけ使われているという事実は、どう解釈したらいいのでしょう。

なお、「姑息」 に関しては、当ブログの以下のエントリーで少し論じています。大体、あなたの説に賛成です。

https://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2004/07/post_18.html

また、「すべからく」 に関しては、以下をどうぞ。(あなたの説に半分賛成です)

https://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2005/02/post_18.html

>人のこと頭硬いって言ってるけど、あんたが一番頭硬いと思うよ。
>自説に拘りすぎ。

この問題に関して言えば、私の 「自説」 と呼べるようなものは、何度もくどいほど繰り返しているように、「的を得る」 を誤用と決めつけて、いちいちツッコミを入れるのは止めようよという程度のものです。

「誤用」 と決めつける態度と、どっちが頭固いでしょう?

私には 「的は得るものじゃなくて射るもの」 というツッコミの方が、ずっとステロタイプに思われます。

投稿: tak | 2007年9月22日 19:15

慣用表現を「論理的には間違っちゃいない」って屁理屈こねてねじ曲げてるだけじゃん。
「猫に小判」と「豚に真珠」をごちゃまぜにして、「豚に小判」や「猫に真珠」でも論理的には間違いではない、っていうのと同レベル。

ツッコミって悪あがきに対するツッコミしかないでしょ。

まぁ普通の会話でそういった指摘をするのは全く的を射た指摘ではないと思うけど。

投稿:   | 2007年11月12日 11:09

上のコメント、単なる蒸し返しなので、無視。

投稿: tak | 2007年11月12日 11:45

こんにちは。
つい先程、掲示板に「的を得る」と書き込んで
そういえば射ると得るってどっちが正しいのかな?
と不安になったので検索してやってきた次第です。

どうにかコメントも全て読み終え、自分の感想とほぼ同じ意見を述べている人も何人かいるので、長文を書くのは控えますね。

えー、大変興味深く読ませて戴き、とても参考になりました。takさんの意見に賛成です。

対応に疲れるような輩もちょこちょこ沸いた様で・・・
お疲れ様でした=w=

殆ど意味は無いかもですが、敬意の表れとして
名前とアドも書いてみますw
また、気が向いたら寄らせて戴くかもしれません。
上手く言えませんが・・・これからも頑張って下さいな。

では、乱文失礼しましたー

投稿: つがり | 2007年11月30日 05:43

つがり さん:

コメントありがとうございます。

"「的を得る」 を使え" と言ってるんじゃなくて、"「的を得る」 にいちいちステロタイプのツッコミをするのはやめようよ" という控えめな提案であることをおわかりいただけたようで、感謝です。

投稿: tak | 2007年11月30日 07:31

蒸し返すという言葉は解決した事柄に使う言葉です。
本質的な問題点を突かれて、それを解消するに充分な論点が挙げられてない話題について、
蒸し返しだと形容するのは苦しいですね~。

それとメールアドレス入力の強制はSPAM用のメアド収拾BOTの被害者を増やすだけですよ。

投稿: 忘却 | 2007年12月 9日 21:31

失礼しました、メールアドレスを表示しない設定になっているようですね。

投稿: 忘却 | 2007年12月 9日 21:33

忘却 さん:

>蒸し返すという言葉は解決した事柄に使う言葉です。
>本質的な問題点を突かれて、それを解消するに充分な論点が挙げられてない話題について、
>蒸し返しだと形容するのは苦しいですね~。

「慣用表現云々かんぬん」 というのを、私は「蒸し返し」 と言ってるわけです。

何度も何度も何度も何度も繰り返しているように、ここでは 「慣用句として」 正しいかどうかなんてことを問題にしているのではありません。

これだけ多くの人が現実に使っている 「誤用」 に対して、「ら抜き言葉」 を始め、かなり怪しい日本語を使い放題の人たちまでが、鬼の首を取ったようにつっこみたがる現象は、かなりうっとうしいねと言っているわけです。

で、私自身は何度も何度も何度も何度も何度も何度も繰り返しているように、「的を得る」 という用法はオススメしません。

しかし、確信犯的に使っている人は、慣用句としてどうのこうのなんてのは、「そんなの関係ねえ」 とばかり使っているので、それはそれで、「御勝手に」 ということです。

それまでどうのこうの言ったら、言語ファシズムでしょ。

それから、メルアド記入を求めさせて頂いているのは、スパムコメント避けの意味があります。

抵抗があるなら、テキトーなのを記入して頂いて結構です。

投稿: tak | 2007年12月10日 01:03

だいぶ上の方のコメントにも有りますけど、
身の回りで”的を射た”なんて言ってる人はほんとに見た事無いですね…

>「的を得る」を誤用と認識している人が大多数なのだから

名無しさんとかのこういう発言って、何か根拠が有るのでしょうか??
実際には、誤用うんぬんよりも
「変なクレームが付いても困るし、とりあえずオフィシャルな場では”的を射た”と言っておこう。」
と、その程度の事の様に思えますね。

例えば差別用語などとされる言葉達も、
本来、言葉自体には何ら問題の無いものが多いにも関わらず
やかましいクレームさえ付けば消されてしまいます。

もしかしたら、この”的を~”の件も
言葉の本質とは何の関係も無い話なのかもしれませんね。

投稿: m2 | 2008年1月 6日 15:39

m2 さん:

>実際には、誤用うんぬんよりも
>「変なクレームが付いても困るし、とりあえずオフィシャルな場では”的を射た”と言っておこう。」
>と、その程度の事の様に思えますね。

私が現にそうでした。
今は、もう「的を射た」 すら使いたくありませんけど。

投稿: tak | 2008年1月 6日 17:49

はじめまして、大変興味深い記事でした。
takさんの意見に共感しました。

先日、談話している中で「的を得る」を使ったところ友人の一人に訂正され、せっかく弾んでいた会話が急に気まずいものになりました。
後日、その友人は他の友人の「的を得る」も訂正していたのですが、その様子は「最近知った事実を自慢したがっている子供」のようでもありました。

こういう風に関係のないことで話の腰を折られるのは非常に不愉快ですよね。だから使うなら「正鵠を得る」あたりがベターなのかなぁ、とも思いました。

ちなみに、最近では私の友人のように話の腰を折ってくるような人間をKYと呼ぶそうです。

投稿: きん | 2008年3月12日 01:32

きん さん:

>先日、談話している中で「的を得る」を使ったところ友人の一人に訂正され、せっかく弾んでいた会話が急に気まずいものになりました。

場がしらけますよね。

>その様子は「最近知った事実を自慢したがっている子供」のようでもありました。

確かに、そんな感じがします。

投稿: tak | 2008年3月12日 07:16

ぼくは、「的を得る」を使います。
所詮「慣用句」ですから、「的を射る」が慣用になったら、「的を射る」を使うかも。
「射る」という語幹は生硬な感じがして嫌です。
「得る」のほうがやわらかい。
音便みたいなものかなと思います。
でも、「的を射る」って聞いたことないんですけど…。

投稿: osa | 2008年3月14日 23:57

OSA さん:

確かに、文章では 「的を射た○○」 というのはありますが、話し言葉にすると、どうも生理的に気持ち悪いんですよね。

私も話し言葉で 「的を射る」 は、聞いたことありません。
「それは、的を得てますねぇ」 というような言い方は、しょっちゅう聞きますけどね。

話し言葉に限れば、「的を得る」 が 90%以上じゃないかなあ。書き言葉で 「的を射る」 を使う人も、話し言葉だとなんとなく抵抗があるらしくて、使いたがらないような気がします。

これだけ 「言葉は生き物で、変わっていくのが当たり前」 と言われていて、それでも 「的を射る」 に固執するというのは、どうもわかりません。

投稿: tak | 2008年3月15日 22:34

そのうち「雰囲気の読みはふいんきでも間違っていない」とか言うエントリを目にしそうで怖いですね。

そりゃいちいち自分も話の中で相手が「的を得る」
という言葉を使っていても細かく訂正しようとは思いませんが、なんだかなぁtak氏のコメントを見ても下にいくにつれ引っかかりを感じて胸に気持ち悪さが残ります。上の方は好感もてたんですが。

正直、tak氏も「的を得るは間違いじゃないという認識」を論拠になっている講師の方の解釈から
得て、それを他の人にも強要したからここまで
コメ欄も長くなったんではと思います。

投稿: gyu-in | 2008年12月21日 02:54

gyu-in さん:

>正直、tak氏も「的を得るは間違いじゃないという認識」を論拠になっている講師の方の解釈から得て、それを他の人にも強要したからここまでコメ欄も長くなったんではと思います。

他からの強要は拒否してるけど、こちらからの強要はしてないでしょ。

こうした誤解のために、かくまでコメント欄が伸びています。
よく読んでね。

投稿: tak | 2008年12月21日 09:20


的をえるっていうのはもともと、
的を捉えたという言葉の日本語短縮系の変用だと思う。

全然大丈夫
全然(あなたが心配する程でもなく)大丈夫

のような、若者の話し言葉からの引用だから、本が好きな人間からしたら随分と気持ちが悪い。

的を射るというのは、その慣用句が作られた頃のイメージを大切にしているものだから、大切にしたいというのは日本人の侘び寂びのサビを重んじる気持ちからじゃないだろうか。


どうせ変化を付けるならばどちらが起源であるかは知っていて欲しい。

あなたの解説だと
的をえると書くなら、的を獲るでも得るでもいいんだよな?You got itって感じだな。
出来たーー!この手に正しい答えが手に入ったって感じ。

でも俺はゴルゴのように的確に正しい標的を捉えるイメージを先行させたい。

的は射つとか撃つとか

投稿: geronimo_xxx | 2009年3月11日 19:12

geronimo_xxx さん:

>的をえるっていうのはもともと、
>的を捉えたという言葉の日本語短縮系の変用だと思う。

新解釈だな。

そこから先は、今イチ意味不明。

>あなたの解説だと
>的をえると書くなら、的を獲るでも得るでもいいんだよな?You got itって感じだな。

よくないよ。

>でも俺はゴルゴのように的確に正しい標的を捉えるイメージを先行させたい。

>的は射つとか撃つとか

勝手にどうぞ。

投稿: tak | 2009年3月11日 20:39

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