BBS に、当サイトで「的を射たものと思われる」という表現があるが、「的を得た」の誤りではないかという趣旨の書き込みがあった。
これ、昨今の日本語ブームではかなり有名になったテーゼだが、よく似た意味の二通りの表現として、一般的には「的を射る」と「当を得る」が正しいということになっている。
「汚名返上/名誉挽回」 と並ぶ金科玉条になっているようで、うっかり「汚名挽回」なんて書くと「挽回して意味のあるのは『名誉』であって、『汚名』なんか挽回してどうなる」と非難されるように、「的を得た」なんて書くと、「的は『射る』もので『得る』ものじゃない」とつっこまれる。
そんなわけで、今回のツッコミは想定とは逆だったので、ちょっと意外だった。
私の使っている「ATOK 16」では、「的を得る」と入力すると、すかさず《「的を射る/当を得る」の誤用》と表示され、いわゆる「よくある間違い」は犯さないようになっている。というか、ATOK はかなり原理主義的で、表現の自由をあまり認めてくれない。
私自身は、「的を得た○○」と言いたくなる気持ちは、とてもよく理解できる。「的を射た○○」という表現には、表面上の論理性とはうらはらの、ある種生理的なまでの「ぎこちなさ」を、ずっと感じてきた。
気になって Google で検索するうちに、「『的を得る』は間違いではない」 という主張に出会った。予備校講師、中谷臣氏のサイトの「練習帳問答」というページに、「的を得た答案」という記述があり、その「注」として、この表現に関する彼の主張が述べられている。
詳しくはリンク先に飛んできちんと読んでもらうしかないが、要約すれば以下のようになる。
「的を得る」 という比喩的表現は、中国古典『大学』『中庸』にある 「正鵠(せいこく)を失する」 から来ている。「正鵠」とは、弓道の的の中心にある黒星のことだ。正鵠から外れることを「失する」といい、当たることは「正鵠を得る」という。
「得」という字には、元々「当たる」という意味がある。
いつのまにか、「正鵠」という言葉が「的」に置き換わり、それとともに「得る」が「射る」になってしまったが、比喩的表現としての「的を射る」というのは、即物的でつまらない気がする。
なるほど。さらに、私なりに補足させてもらうと、次のようになる。
「射る」という動詞は、「的に向かって矢を放つ」という 「行為」を表すが、射ても、すべて的に当たるとは限らない。つまり「射る」ことと「当たる」ことは、厳密にはイコールではなく、微妙に別の問題だ。
比喩的表現としての重要ポイントは、「射た」という「意図/行為」ではなく、実際に的に「当たった」という「結果」なのだ。だから厳密なことをいえば「的を射た」つもりで表現しても、実際にはピンぼけだったとしたら、「正鵠を失する = 得ていない」ということになる。
こうしてみると、「得」という字に 「当たる」という意味があるのだから(手元の三省堂『携帯新漢和辞典』でも確認済み)、「的を得た○○」の方が、表現として由緒正しいばかりでなく、より正確で論理的であるとさえいえる。
中谷臣氏の説を紹介したブログのコメントに、"「正鵠」は「得る」ものでも、「的」は 「射る」ものだ" という趣旨の反論があるが、それは論理性をもたない。「射て、当たること」が「得る」ということであるのは、「正鵠 でも「的」でも変わらない。
これで、これまで感じてきた「的を射た○○」という表現の「ぎこちなさ」の正体がつかめた気がする。表面的にはもっともらしいが、実はちょっとだけ中途半端なところが残っているのだ。
ただ現状では、商業的原稿に「的を得た」と書いても、編集段階で「的を射た」に変えられてしまう可能性が高く、もしそのまま通ったとしても、「日本語を知らないヤツ」とばかりに、読者からのツッコミが多発するだろう。うっとうしいことである。
今回は、想定外の逆方向のツッコミをいただいて、思いがけなくこんな考察ができた。ありがたいことである。 これを機に「的を得た○○」という表現へのステロタイプのツッコミは、不毛なものだと認識しておこう。
ちなみに、もうひとつの「汚名挽回」の方も、間違いではないということになっている。
『続弾! 問題な日本語』(大修館書店)では、「挽回」という言葉には「取り戻す」という意味の他に「巻き返す」という意味もあるので、「頽勢を挽回する」という用法がある以上、「汚名挽回」も間違いではないとしている。
「的を射る/当を得る」「汚名返上/名誉挽回」という、日本語ブームにおける二大金科玉条は、まともに考えればこの程度のものである。多分、新聞、放送業界の一知半解的お約束が、世の中に広まっただけというのが真相ではなかろうか。
【3月11日 追記】
これで納得がいかない方は、3月 11日付の "変痴奇論 − 「的を得る」 その2" も併せてどうぞ。
【3月14日 追記】
よく読んでもらえばばわかることなのだが、妙に引っかかる人が多いようなので、くどいようだが、念のため追記しておく。
このケースに限って言えば、「射る/得る」は、「含む/含まれる」の関係にある。「射る」は「得る(当たる)」を含むので、論理的には何の問題もない。
ただ、「得る」 は、意味的には、よりピンポイントになるということだ。
しかし、現代では「得る」のもつ「当たる」の意味が薄れていて、奇異な言い回しと受け取られる可能性が高いため、「あまりお薦めできない」 というのは、当たり前すぎるので、くどくどとは書かなかった。
そもそも、私自身だって、つい最近までは、フツーのインテリにありがちなことに、「"的を得る" は誤用」 と思っていた (だからこそ、冒頭の BSS のコメントがあったのだ)ので、自分で使ったことは一度もないし、今後も使う気になれず、「的を射る派」の論理もメンタリティも十分理解している。
それゆえ、その辺の突っ込み、あるいは蒸し返しのコメントなどは、もとより不要ということで。
【8月26日 追記】
このエントリーへのコメントに関しては、もう付き合いきれないので、よほど意味のあるものを除いては、レスしないことにした。
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