百まで生きてどうする?
医療や老化防止研究が現在のペースで進み普及すれば、人間の平均寿命は 2030年までに 100歳前後になりそうだという。(参照)
エライことである。ただでさえ IT の進展で、人間はさまざまなバーチャル・リアリティを経験できるようになったのに、そのうえ、そんなに長く生きたら、人生に飽きてしまうだろう。
2030年といったら、あと 24年後である。その頃、私が生存している可能性はかなり高い。喜寿を過ぎ、80歳を目前にして、「近頃、若い頃のようには無理がきかなくなったわい」なんて嘆いているだろう。
2030年での平均寿命 100歳ということは、私がそれからさらに 20年以上も生きられるという意味ではない。しかし、医療や老化予防研究の進展・普及を前提とした話だから、下手したら、私は 80歳やそこらで、めでたくあの世に行くというわけにはいかなくなるということではあるようだ。
先進国に生息する以上、普通にしていたら、年をとろうが病気になろうが、そう簡単には死なせてもらえないということになってしまったということだ。これからは、「いかにして、つつがなく死ぬか」 ということに心を砕かなければならない。
私の父などは 「俺が不治の病になったら、頼むから余計な延命措置を講じないで、自然に死なせてくれよ」 と、今から言っている。「ただし、痛いのだけは嫌だから、その方面の処置だけはよろしく頼む」 と。
そんなことを言われても、何かのときには 「痛みだけは感じないようにして、あとはさっさと死なせてやって下さい」 なんてことは、息子として医者には言いにくい。結局、しばらくはうだうだと生きることになる。
父は、そんなことは御免こうむりたいと言うし、私自身だって、自分が死ぬときには、さっさと往生してしまいたいものだと思っている。しかし、そうした当人の希望は、実際にはなかなか通りにくいもののようなのだ。うっとうしい話である。
それだけに、ある程度の年齢になったら、後腐れなく死ぬための算段を、きちんとつけておきたいものである。好んで死のうとは思わないが、何が何でも生き長らえたいというわけでもない。
近頃は、老人の神社仏閣参りの願掛けは、「長生き」ではなく、「ぽっくり逝くこと」なのだそうだ。「飽食の時代」を通り過ぎて、今や「飽生の時代」 になったようだ。
人間は情報技術の進展で、いろいろな経験を高密度で得ることができるようになった。昔なら一生かかって学ぶことを、今では数年でモノにできたりする。それだけに、あまり長く生きてもしょうがない。人生に満腹してしまいかねない。
あんまり体を大事にし過ぎないで、せいぜいあくせく働いて、ちょうどいいあたりで、さっさと区切りをつける方が得策かもしれないぞ。
医学の方でも、あまり病気を治したり、長生きさせることばかり考えずに、自然に寿命を全うするコーディネーションを研究することも必要だろう。
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コメント
綺麗な空気は如何ですか?
きっと役に立ちます。
投稿: 森の妖精 | 2006年3月 9日 08:53
>綺麗な空気は如何ですか?
>きっと役に立ちます。
うぅむ、お金がらみとなると、
まず疑ってかかる自分が悲しいですが・・・
投稿: tak | 2006年3月10日 22:45