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2006年3月13日

怒ってみせるということ

私はどちらかというと、怒りに火の点くのが遅い方だと思う。何とかまともに対応しようとしているうちに、後で考えると、「あそこは、怒ってもいい場面だったかな」 と思ったりするが、その時には、もう手遅れだったりする。

だから、いいタイミングできちんと怒れるというのは、ちょっとした才能だと思う。

しかし私だって、子どもの頃は喧嘩っ早かったのだ。一番よく喧嘩をしたのは、小学校 4〜5年生の頃だったと思う。喧嘩の度に職員室に呼び出されてねちねちと説教をくらうのにほとほとうんざりしたのが、小学校 6年生の時分で、それから意識して「怒り」を抑えるクセがついてしまった。

この「思春期の頃」というタイミングが、大げさに言えば「人格形成」に重要なターニングポイントとなったようで、以後、私はすっかり「穏やかな人」というイメージを与える人になってしまったようなのだ。

とはいいながら、根っこの部分には、喧嘩っ早さの火種がまだくすぶっているようで、時々はしっかりと怒りを露わにすることがある。ただ、大抵の場合は、世の中の「体制」とか「役所」とか「お偉方」とか「馬鹿な上司」とか、そんな対象に向かって怒るのが常で、怒っても感情的にはならないようにしている。

そして、大体は、怒ってもしょうがない相手には、あまり怒らない人である。怒ってもいいタイミングでも、何とか遠回しな皮肉を言うに留めたりすることが多いのだが、私にそんな対応を取らせてしまう相手というのは、そんな皮肉は全然通じないというケースの方が多い。まあ、早く言ってしまえば、「いい気なモン」 なのだね。

近頃学んだのは、そんな相手を必要以上に傷つけないためには、ちょうどいい頃合いを見て毅然と怒ってみせて、私の周囲からいなくなってもらうというのも「手」だなということである。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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コメント

自己レス

ああ、ちゃんと察して遠離ってくれれば、とことん追いつめなくても済むのに。

投稿: tak | 2006年3月13日 13:52

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