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2006年4月 8日

皿の数は、多すぎない方がうれしい

先月 23日の 「仏道修行は広く深い」というエントリーでも書いたが、私は食事が終わったらすぐに食器を洗う人である。

だから、洗う食器は少ない方がうれしい。「一汁一菜」とまでは言わないが、「一汁一魚一菜」ぐらいがいい。それ以上だと、皿洗いの面倒が思いやられて、うっとうしくなる。

どうやら、私は 「食を楽しむ」という発想が薄いようなのだ。そりゃあ、美味しいものを食べたいという欲求は人並み以上にあって、料理の良し悪しの区別はしっかりとつけられる。しかし、いくら美味しくても、ちまちまとした小皿でどっさり並べられると、うんざりするのである。

そういうのは、年に数度の「ハレ」の食事で十分だ。年中食わせられたら、まさに食傷である。日常の食事は、皿の数は多すぎない方がいい。

「ウチの亭主は、おかずが 3皿以下だと機嫌が悪い」などと話す女性がいる。それを聞くと私なぞは「そりゃあ、面倒な」と同情したくなるが、当人は、暗に自分の料理の手際よさを自慢しているようでもあるので、余計なお世話のようなのだ。人それぞれである。

ただ、皿の数の多いのを喜ぶ亭主は、まず自分で皿を洗うことのない人である。まず酒を飲んで、その後にチマチマとしたおつまみ風の総菜をつまみ、そのままいい気持ちで寝てしまうというのが典型的パターンだ。

私の父は下戸で、お猪口 1杯は美味しいが、2杯飲んだら、心臓バクバクで死にそうになるという人なので、我が家には食事前に亭主が酒を飲むという習慣がなかった。元々、父は禅寺の生まれなので、そんな発想すらなかったようだ。

そんなわけで、食事というのは粛々と済ませて、さっさと後始末をし、後は各自読書をするなり、ラジオで落語を聞くなり、縫い仕事をするなり、好きにするというのが、身に付いてしまっている。だから、後始末はさっさと済ませられるにこしたことがない。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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