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2006年4月27日

ファッションは無駄の固まり

今年の 4月は、いかにもといった感じの新入社員が、5~6人も寄り集まって昼飯を食いにいく姿を、神田近辺でもよくみかける。

この何年も、中小企業の多い街で、新入社員がそんなに連れ立って歩く姿など、あまり見かけなかった。なるほど、少しは雇用環境が好転しつつあるのだと実感する。

彼らがいかにも新入社員とわかるのは、顔立ちがまだ青臭いからでもあるが、スーツ姿がまだ全然こなれていないということもある。それが半年もしないうちに、どこから見ても「サラリーマン」になってしまうのだから、世間というものはおそろしい。

ところで、スーツのサイド・ポケットについているふた、いわゆる「ポケット・フラップ」は、外に出しておくべきなのか、それとも内に入れておくのが正しいのか。着こなしにかんする疑問の定番だが、正解をご存じだろうか。

ポケットの中の物を入れたり出したりすると、ポケット・フラップは、自然に内側に入ってしまう。そもそも、作り自体が内側に入ってしまっても全然おかしくないようにできている。

若かりし頃、初めてスーツを買ったときだったろうか、ポケットフラップは、初めから内側に入れておくのが正しいのだと、誰かに教わった。そのために、あのような面倒な作りなのだというのである。

それを聞いて私は、内側に隠しておくためのものに、わざわざ余計な工程を費やして値段を高くしているとは、紳士服というのは何とあほらしいものかと思った。江戸時代の羽織の裏地じゃあるまいし。

まず、あのラペル(折り返した襟)からして妙だ。これは、昔の軍人が詰め襟を楽に着こなすために折り返したのが始まりで、あの会社のバッジなんかが付けられる穴は、第一ボタンホールの名残なのだという。

コートを着ないで出た秋の夜など、急に強まった木枯らしに向かって帰り道を辿りながら、このラペルの折り返しを戻してボタンで留めることができたら、首廻りと胸元が覆われて、凍えるような風を少しは防げるのにと思ったことはないだろうか。

本来できていたこうした機能を切り捨てて、デザイン優先に走ってしまったのが、テーラード・ジャケットの今日の姿なのである。

ラペルの穴は、「フラワーホール」などと称され、花を挿すためのものであって、決して会社のバッジを付けるためのものではないなどと、偉そうなことを言うファッション評論家もいる。しかし、それだってどうせ「こじつけ」だ。元々はボタン穴だったんだから、

袖口のボタンにしても、今ではほとんどが「偽装」デザインになっていて、実際にあのボタンを外して袖口を広げることのできるジャケットなんて、滅多に見当たらない。

メンズ・ファッションは、女のファッションに比べると機能的だといわれるが、よく見れば、テーラード・スーツ、とくにジャケットというのは、ほとんど無駄なデザインばかりで成り立っている。

ところで、ポケット・フラップを内に入れるか外に出すかは、「どっちでもいい」が正解だそうだ。ただ、出すなら出す、入れるなら入れるで、両方を揃えさえすればいい。(参照 : 「のんびりとまったりと」  4月 14日付のリンクより)

なるほどね。改めてクローゼットの中の私のジャケットを確認したら、ほとんど右側だけが内に入っていた。右側のポケットの中身を入れたり出したりすることが多いからだろう。ああ、我ながら無神経なことである。

そもそも、サイドポケットは物を入れるためのものではないというのが定説なのだが、男のジャケットは女のハンドバッグ替わりなのだから、物を入れるなといっても、土台無理な話である。

試しに、安物の貸衣装のタキシードみたいに、サイドポケットを見せかけだけにして、物を入れられないようにしたジャケットを売り出してみるがいい。誰も買わないから。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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