「花散らし」 の艶っぽい元々の意味
気象予報士の森田正光さんが、「花散らし」の元々の意味というのを力説していた。最近でこそ「花散らしの雨」とか「花散らしの風」とか言うが、本来は別の意味なのだと。
広辞苑には、「3月 3日を花見とし、翌日若い男女が集会して飲食すること」という語義しか載っていないそうだ。
日本古来の言葉だから、「3月 3日」というのは、もちろん旧暦のお話である。今年の旧暦 3月 3日は、新暦でいえば 3月 31日だった。「花散らし」は西日本、とくに北九州で盛んな行事だったというから、確かに、桜の咲いて散る頃だ。
なんだ、元々は「花見の宴会」 のことだったのかと、単純に考えてはまずい。ここで少しも疑問に思わないというのは、あまりにもフォークロア的なアンテナが鈍すぎる。
3月 3日に花見をする。それはそれでいい。しかし、翌日に改めて飲食をするというのである。現代の花見は、「花見」と「飲食」をワンセットで行うのだが、「花散らし」という行事においては、この二つを別々に行ったのである。問題はそこにある。
初日に「オフィシャル」な花見をする。そして、翌日に「なおらい」的に飲食をともにする。そして、その間には夜がある。この行事に参加した若い男女は、その夜、家に帰ったのだろうか。
結論から言おう。帰るわけがないではないか。帰って出直すのなら、2日間にも渡るイベントを行う意味がない。帰らなかったのである。帰らなければ、何があったのか。そりゃ、決まりきっている。
多分、そこには歌垣的な光景が繰り広げられたのだろうと、私は考える。集団的な求愛の場になったのだろう。現代の合コン以上の盛り上がりだったと思われる。
なるほど、「花散らし」とはよくぞ言ったものである。日本語は、よくよく奥が深いのである。
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