ビニール傘は天下の廻りもの
Reiko Koto さんの「晴れの日もある」に、「傘はフリーウェア」 というエントリーがあった。なるほど、誰のものだかわからない忘れ物の傘は、社会の共有物とみなせるかもしれない。
500円以下のビニール傘は、大抵は「間に合わせ」 買われたもので、買った人も「ずっと使い続けよう」という気はあまりない。
傘が「フリーウェア」というのは、言い得て妙である。拍手ものだ。
私は一昨年夏に、「傘のジレンマ」というエントリーを書いている。できれば、一つの傘を大切にして長く使い続けたいものと思うのだが、それはなかなか大変だというお話だ。
何しろ傘は消耗品である。すぐに骨が折れたり柄が曲がったりして壊れてしまう。修理すればいいのだが、傘が壊れるのはたいてい大雨の真っ最中である。となると急遽新しいのを買って、壊れたのは捨ててしまいがちだ。
その上、傘はとにかく置き忘れやすい。以前、それなりの値段の高級な傘にすれば、愛着がわいて容易には忘れないものだという話を真に受けて、かなりの高級品を買ったが、愛着がわく前に一週間も経たないうちに、どこかに置き忘れて来てしまったというのは、前述のエントリーに書いたとおりである。
「傘はいいものを持ちましょう」というのは、傘業界の陰謀である。実用的には、ビニール傘で十分だ。
傘のマーケットにも、ヒエラルキーというものがある。何万円というブランド品から 500円以下のビニール傘まで、値段はいろいろだ。さらに、100円ショップに行けば、本当にビニール傘よりもまともな 100円傘がある。
これらの中では、2~3000円以上の、一応まともな傘は、持ち主も所有権を主張したくなるだろうが、500円以下のビニール傘は、「誰のものでもない、みんなのもの」ということにしてしまってもいいじゃないかという気が、確かにする。どうせ、どれも同じようなものだし。
どこかを訪問する途中、急に雨が降ってきたので、コンビニや KIOSK で 500円(最近は 400円というのが多いか?)のビニール傘を買ったとする。そして帰りに晴れていたとしたら、その傘は気前よく置いてきてしまえばいい。というより、私なら自然に置き忘れてしまう。
こうして、何日か後に急な雨降りになった時、傘の持ち合わせのない人が遠慮なく使ってくれるように、暗黙のうちに所有権を放棄するわけだ。
そうこうしているうちに、自分もそのうちにどこかを訪問して、急に雨が降ってきた時など、「あぁ、どうぞ、そこにあるビニール傘を、どれでもお使いください」と言ってもらえるだろう。そんな時は、遠慮なく使わせてもらおうではないか。
そして、またどこかに置いてくればいい。というか、忘れてきてしまえばいい。
「俺はよく行く得意先には、大抵置き傘がある。都心一円に、10万円分ぐらいの置き傘がしてある」とうそぶく営業マンがいた。しかしそれは、「置き傘」なんかではなく、単にそこに置き忘れてきたというだけの話なのだった。
ビニール傘の所有権放棄という暗黙の了解がきちんと認知されて、何の気兼ねもなく使い回しができるようになれば、なかなか便利なことになる。10万円も使わなくても、至る所に置き傘を用意してあるようなものだ。
というわけで、電車などで置き忘れられたビニール傘を拾ったら、遺失物係に届け出たりせずに、自分で使ってしまう方がいい。真正直に届けてしまったら、引き取り手もなく、遺失物保管所なんていうところで死蔵されてしまう。
「ビニール傘は天下の廻りもの」である。時々、急な雨で自分でビニール傘を買うのは、公共財産の充実に貢献しているのだと考えれば、ちょっと気持ちがいい。
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