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2006年4月30日

失敗から学ばない人

新入社員の姿が目立つ。別に 「新入社員でございます」 という看板を背負って歩かなくても、新入社員は一目でわかる。

新入社員は、へまをしでかす。しでかして怒られる。しかし人はうまく行ったときよりも、失敗から学ぶのである。失敗しないのは、結局、何もしていないのと同じである。

だから、早いうちからたくさん失敗できるというのは、多くを学ぶチャンスに恵まれるということである。かなりラッキーなことと考えればいい。

しかし、いくら「失敗から学ぶ」と言っても、ものには限度ということがある。何かあるたびに、「また、アイツか!」と思われるようになるのも、考えものである。そうなると、今度は失敗すらさせてもらえなくなる。つまり、何もさせてもらえなくなるのだ。

そうならないためには、「失敗から本当に学ぶ」必要がある。本当に学びさえすれば、同じ失敗は、もしかして 2度は繰り返すかもしれないが、決して 3度は繰り返さない。3度同じドジを踏まないというのは、案外立派なものである。

しかし、世の中には「同じケース」というものは決してない。だから、まったく同じケースで、同じ失敗を繰り返すというのは、物理的に不可能だ。俗に言う「同じ失敗を繰り返す というのは、正確には「似た失敗を繰り返す」ということだ。

「似た失敗」を繰り返さないためには、ちょっとした要領がある。それは、物事を抽象化して捉える訓練をするということだ。

全てのトランザクションは個別だが、それらを抽象化して考えると、案外単純にカテゴライズすることができる。すると過去の似た経験が、適切な注意信号やゴーサインを発してくれるようになる。

三段論法とは、A=B、B=C、よって A=C ということで、この程度は、誰でも理解できる。しかし、世の中は数学通りには行かない。

A と B は似たところがある。B と C も似たところがある。だから、きっと、A と C にも共通点はあるだろうと考え、その抽象的な共通点を直観的に理解することができると、俗に言う 「一を聞いて十を知る」 能力ということになる。

しかし、世の中には、「A と B は似ている。B と C も似ている」 までは理解できても、その先の A と C の共通点を直観的に把握できる人というのは、案外少ない。「それとこれとは別じゃん」 で、はいおしまいになってしまう。

「別じゃん」 と考えてしまったら最後、自分の内部の信号装置が作動しなくなる。

A くんは、あたしをだましてもてあそんだ。B くんも、あたしをだましてもてあそんだ。だけど、C くんは、とってもやさしいから、今度こそ、きっとうまくいく。

こんな風にしか考えられない女というのが、現実にいる。かわいそうに。A くんも、B くんも、初めはとってもやさしかっただろうに。

ありゃ、新入社員の仕事の話から、ずいぶんずれてしまった。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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コメント

どうも、「新入社員でございます」の千軒町です(笑)

金曜日に失敗した時、上司さんから「俺がタバコを吸ってくる間にどうして失敗したのか、諸々の原因はなにか、どうしたら次の時に対処できるかを考えておくように」と言われました。

そして…考えました。失敗が起きた時の、①状況②条件③事前の予測④その後の対処、もろもろを。

どんな事でもそうですが、ある程度正確に予測できて、あらかじめ対処(手段)を用意しておけば防げるもんです。でも、心のどこかで何とかなるや…という甘えもあったのでしょう。そして一番怖いのが、その予測が外れた時です。

臨機応変、この言葉の本当の凄さを痛感する毎日です。

投稿: 千軒町 | 2006年4月30日 23:48

千軒町さん:

あなたは、既に並の新入社員のレベルを超えてます。
そうでなかったら、上司も
「煙草を吸ってくる間に」なんて無理を言いません。
せいぜい、「明日まで」ってなことになるでしょ。

これからもどんどんドジ踏んで、大きくなってね。

投稿: tak | 2006年5月 1日 00:23

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