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2006年5月31日

「雨の中の私」をめぐる冒険

「雨の中の私」という心理テストがあると知った。非行少年の家庭環境や養育歴などを探る精神分析的手法として、各地の少年鑑別所で採用されているもののようだ。

最近、雨の中の自画像を描かせると、ずぶ濡れの絵を描く子どもが増えていて、親から庇護された体験の乏しさを表すという。

このことについては、5月13日付毎日新聞の社説で、論説委員の三木賢治氏が取り上げている。「雨の中ずぶ濡れの子は、無責任な親のせいだ」という、比喩的ながらそのものズバリのタイトルだ。

このテストについて、三木氏は以下のように説明している。

とくに親子関係を通じた安全感覚があぶり出されるといわれ、一般には大切に育てられ、親に守られている子供は当たり前のように傘をさす姿を描く。一方、親から庇護(ひご)された体験に乏しい子供は、自分を防御する力が不十分なため、雨にもなすすべがなく、ずぶ濡れになる自分を描く。ストレスにさらされた痛々しい心の内の表れ、と考えられる。

また、「少子化で、補導・逮捕の人数には歯止めがかかったのに、依然として人口比が高いのも気がかりだ。非行に走る少年の割合が増えているからだ」「養育上の格差というより、親の格差というべきかもしれない」とも述べている。

この話題への反応の一つのパターンとして、「だから、愛国心だの教育基本法の改正だのという前に、人間性を重視する教育、政策が必要だ」という主張がある。なるほど、とてももっともらしく聞こえる。

しかしその主張に対して、「ちょっと待てよ」と言うのは、より自然なことだ。だって、考えてみれば、現在増加中といわれる 「雨の中でずぶ濡れの私を描く子どもたちの、その親は、愛国心を教えない今の教育基本法で育てられた世代なのだから。

今現在の状況の方に問題があるのではないかと考える方が、より自然である。

団塊の世代、そしてその少し年下の私の世代あたりまでは、戦前派もしくは戦中派の親に育てられた。我々の世代の親の多くは、無条件で子どもを愛してくれた。体罰としてぶっ飛ばすことがあっても、それは強い愛情ゆえのことである場合が多かった。

もしかしたら、「愛国心」と「子どもを愛する心」というのは、かなり同じ根っこのものなのかもしれない。

「子どもを愛する心」と「子どもに『いい暮らし』をさせるために教育ママになること」との区別がつかない人と、「愛国心」の対象となる「国」と「国家の現政治体制」の区別がつかない人との間にも、共通性があるような気がする。

「何がどうあっても、お父さんとお母さんは、お前の味方で、体を張ってでもお前を守るからね」という気持ちをもっている親の子どもは、概ね幸せである。国の場合も同じである。

ただ、自分の子どもばかりを思うあまり、子どもの個性を無視した無茶な要求をしたり、他の子どもに邪険に当たり始めたら、子どももねじくれる。これもまた、国の場合と同じである。愛するにも、見識は必要なのだ。

改めていうまでもないほど、とても単純なお話なのだが、妙な理屈をこね出すと、この単純なお話が単純でなくなる。

ちなみに私自身の場合は、親からちゃんと傘を買ってもらっても、必ずどこかに置き忘れて、ずぶ濡れになってしまう親不孝な子だった。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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コメント

子供の頃、雨降りの日ってけっこう好きでした。幼稚園のそばの垣根にカタツムリがたくさん出るので、眺めたりつかんだり。(ナメクジは苦手だったけど、カタツムリは平気でした。)

その記憶によると、ずぶぬれではなかったです。きっと親に買ってもらったちっちゃな傘をさして、カタツムリと遊んでいたんですね。

今、「雨の中の私」を描くとしても、やっぱり傘と長靴を描くと思います。両親とふるさと庄内が基盤にあるからでしょうね。

投稿: Sato-don | 2006年6月 1日 00:04

Sato-don さん:

>今、「雨の中の私」を描くとしても、やっぱり傘と長靴を描くと思います。両親とふるさと庄内が基盤にあるからでしょうね。

その感覚、よくわかります。

ただ、酒田は風が強いので、傘をさしていてもずぶ濡れになったりします。
そんなこんなで、酒田の人間は性格が大雑把になったりします。

投稿: tak | 2006年6月 1日 10:40

今朝、ドイツから戻ってこの記事を見たので、後日トラックバックしたいと思います。ドイツはサッカーではなく、撮影旅行です。雨どころか霰が降りました。

投稿: あとりえ・チビッコ | 2006年6月 2日 17:11

豊田@あとりえ・チビッコ さん:

ドイツは何年も行ってないんですが、好きな国です。
いいなあ。また行ってみたいです。

トラバ、楽しみにしてます。

投稿: tak | 2006年6月 3日 23:41

本日、サッカーで皆が浮き足立っている中、私はこの記事の「雨の中の私」への冒険についてのトラックバックをしました。本来トラックバックの意味が分かっていないのですが、この欄に載っていません。私のやり方が悪いのかもしれませんが、出来ましたら、私の《あとりえ・チビッコ》の6月8日をクリックしていただけますでしょうか。よろしくお願いします。

投稿: 豊田恵子 | 2006年6月18日 21:30

豊田恵子 さん:

さっそくおじゃましました。
子ども達の絵というのは、面白いですね。

「雨そのもの」 をすごく丁寧に描いている子が多いのが、
とても興味深いです。

投稿: tak | 2006年6月19日 00:50

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