ビートルズ以前と以後
kumi, the Partygirl の 「映画で見るロックの歴史 part1」 に思わずコメントしてみて、ふと気付いたことがある。
私はビートルズを境にして、その前のロックンロールはカタカナで聞こえ、ビートルズ以後のロックは、英語で聞こえるのだ。これはもう、「使用前/使用後」 以上の大変な違いだ。
私はビートルズをリアルタイムで聞いた世代である。
アメリカのビルボード誌のチャートでトップ 5 を独占するという大変なブレイクを見せたのが、東京オリンピックの開かれた 1964年。私が小学校 6年生の年で、この頃は、まだ「抱きしめたい」がカタカナで聞こえていた。「アウォナホージョーヘン」 である。
しかし、翌年に中学生となり、英語を学ぶようになると、だんだん様相が違ってきた。「アウォナホージョーヘン」が、徐々に "I wanna hold your hand" に聞こえてきたのである。これは、革命的なことだった。ビートルズの歌が、「意味のあるテキスト」 になったのだから。
それ以前のロックンロールも、自然に耳に入っていた。しかし、それらは小学生の私にとっては、すべてカタカナでしかなかった。単なる「音」であり、「テキスト」ではなかったのだ。
エルビスは 「ユエンナツバラハウンドッ」と歌っていたし、ニール・セダカは「チューチューチュレーナ、シャッキンダナチュラ」と歌っていた。そこに意味があるとも思わなかった。
しかし、ビートルズは違っていたのである。ロックのリズムに「意味」を載せて歌っていたのだった。「アウォナホージョーヘン」ではなく、「お前の手を握りたい」 と歌っていたのだった。
もちろん、私の耳がすべての歌詞を聞き取っていたわけではない。そこには「歌詞カード」という重要なメディアがあった。レコードを買うと、歌詞カードが付いてきたのである。それに、音楽雑誌を買えば、歌詞と楽譜まで付いていた。さらに、「楽譜集」 というのまである。
この「歌詞カード」というのは、なかなかくせ者で、ビートルズの歌に限らず、レコードに付いてきた歌詞と、雑誌に載せられた歌詞と、楽譜集に載っている歌詞が、すべて微妙に違っていたりした。
そもそも元々のレコード「輸入盤」 には、歌詞カードなんてものは付いていなかった。歌詞カードというのは、日本のレコード会社が、その辺の外国人にバイト代を出して聞き取らせていたものらしい。
南部訛りやリヴァプール訛りの機関銃のように繰り出される歌詞が、全てまともに聞き取られていたわけではない。だから、今から思えば「???」と思うような歌詞カードだって少なくなかった。
それでも、ビートルズが「言葉としてのメッセージ」を発しているということを発見したのは、私にとっては大きな事件だった。私が英語に対して特別なコンプレックスもなく、自然に勉強して身に付けることができたのは、このビートルズ体験のおかげといっていいと思うのだ。
近頃では、J-Pop というものが盛んで、わざわざ英語の歌なんて聞かなくても、十分に「ロックしてる」感覚を味わえる。しかしその分、今の若い人は気の毒である。J-Pop にポコポコ挟み込まれる「英語」は、「意味」というより「音」でしかなかったりするから。
| 固定リンク
「音楽」カテゴリの記事
- クラシック・コンサートでの「咳」を巡る冒険(2023.10.19)
- 最近の人はアコースティック・ギターを弾かないのだね(2023.10.16)
- 「ラップ」と「トーキング・ブルース」(2023.03.28)
- ピアノの黒鍵から、オクターブ、コードを考える(2022.05.17)
- "Hey Jude" の歌詞(「ラ〜ラ〜ラ〜」じゃないのよ)(2022.05.11)
コメント