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2006年5月18日

作文も、演技さ!

Partygirl の日記 からのリンクで、活字中毒 R さんの "「それであなたは何と思ったのかな?」という「文学的指導」の嘘" という記事を読んだ。なかなか「言えてる」お話だ。

小学校の作文教育が、客観的記述より、「僕は、わたしは、こう思いました」という主観的記述に偏っているという指摘である。

活字中毒 R さんは、「はじめてわかる国語」(清水義範著・西原理恵子・絵:講談社文庫)の中から一部引用しておられる。清水氏と、古今の「文章読本」について分析した『文章読本さん江』という著書のある斎藤美奈子さんとの対談の一部である。

斎藤さんは、「国語教育といっても、なかば道徳教育ですから、それがもう1つの問題ですよねと仰っておられます。言われてみれば確かにその通りで、現在の「国語」、とくに「作文」というのは、「わかりやすくて簡潔な文章を書く技術」というよりも、「どんなことを考えたか?」で評価されることが多いですよね。

こうした文脈の中で、「感想を書くのは苦手だけれど、主観を極力排して事実を的確にまとめる才能を持っている人」というのは、「それであなたは何と思ったのかな?」という「文学的指導」のプレッシャーのうざったさに耐えかねて、国語嫌いになってしまいがちというわけだ。

小学校の教師は、生徒が文字にした「事実そのもの」の雄弁さには致命的に無頓着だが、ただ一言、「感動した」と書き添えさえすれば、「大変よくできました」のハンコを押してくれる傾向が強い。

私は中学校の時に、教師のメンタリティをリサーチしたことがある。作文や読書感想文で、どんなまとめかたをすれば点数がよくなるかという調査だ。

それは、ある時「淡々と事実のみを書いた作文」を提出した際に、「それで、その時どう思ったのか?」というお約束の指導を受けたのがきっかけである。

「どう思ったかを書け」というのだから、それならばと、次の機会には思ったことを淡々と書き連ねて提出すると、今度は「中学生らしい覇気にかける」と評された。

私は確かに「中学生らしい中学生」ではなかったかもしれないが、そんなことはこっちの勝手である。それにそんな「覇気一杯」の文章を恥ずかしげもなく書けるという方が、感性どうかしてる。

しかし、そこで考えを一転させて、ちょっとリサーチをしてみようと思ったのだ。

次の作文提出の機会には、役者が演技するようなつもりで、いかにも優等生という模範的な感想、要するに「心にもない、覇気一杯の美辞麗句」を書いてみた。すると案の定、「金賞」を受賞した。

思うに、世の作文や読書感想文のコンクールの「金賞」なんて、ほとんどそんなものだろう。文章よりは、演技のコンクールである。

中学校の作文レベルの金賞を取ろうと思ったら、そりゃあステロタイプの極みにちょっとだけスパイスをまぶせばいいだけのことである。だから、「リサーチ目的の演技」のつもりで、狙って書きさえすれば、案外簡単に取れてしまう。

私は「優等生的作文」はそれっきりにして、あとはひたすら「書きたいこと」だけを書くことにした。おもしろいもので、一度金賞を取ってしまうと、そこから先は何を書いても「おもしろい独自の視点」なんて言ってもらえるものである。

「まともな文章」を書くには、コツがある。一度「優等生的言辞」を連ねていい点数を取ってみて、その時の「気持ち悪さ」をありありと記憶するのである。それから先は、その感覚を注意深く避けさえすればいい。

活字中毒 R さんは、"もしかしたら、全国紙にときどき載っている「ヘンな記事」というのは、「感想を書くのが得意」=「国語が得意で、新聞記者になってしまった人のものなのかもしれません。" と書いておられる。

なるほど、「優等生的言辞」を「気持ち悪い」ともなんとも思わない感性が、変なバイアスを通過して新聞記事なんかになったら、そんなもの読まされるのは迷惑というものだ。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

>「リサーチ目的の演技」
を中学から出来ていたとはうらやましい。言外の課題/社会に迎合出来る能力を育てるのが目的と教師が認識しているのだとまだ救いがあるのですが、そのような訳では無さそうなのが極めて残念です。

>世の作文や読書感想文のコンクールの 「金賞」 なんて、ほとんどそんなものだろう。文章よりは、演技のコンクールである。
 私は国語苦手、作文や読書感想文は超苦手でしたが、読解・論理力でなく国語の演技力がなかったのが大きかったのかと納得しました。最近、(文系の)若い人にパソコンの操作を口頭で教えて、自分で操作出来るように言っても、なかなかまともなマニュアルを書けない。書き足して行けばよいと思うのだが、このような発想はこれまでの学生時代に言われた/考えたことが無いようです。日本の国語教育は情緒教育と漢字に片より、論理力を付ける場面が無いようですね。欧米ではdebateで討論力/論理力を鍛えているので、国際化の時代に文部省の教育の成果で劣勢な討論力/論理力で勝負しないといけないのは厳しいですね。

 国語教育で情緒教育をしている自覚があるなら、逆に情緒を出すのが困難な生徒が、米国で全小学生の2~20%、英国や日本で1%前後といわれる注意欠陥・多動性障害(ADHD)
http://www.tmin.ac.jp/medical/14/develop2.html
や広汎性発達障害
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E6%B1%8E%E6%80%A7%E7%99%BA%E9%81%94%E9%9A%9C%E5%AE%B3
として、今後、適切な対処をされることをこどもの教育者(親を含む)に望みます。

 私は人生に違和感を持っていますが、この辺りが原因のように最近思っていますので。

投稿: tatu | 2006年5月18日 13:25

tatu さん:

>>「リサーチ目的の演技」
> を中学から出来ていたとはうらやましい。

もう、本当に小中学校レベルの国語力というのは、「演技力」に他ならないと思いますよ。

私の場合、心にもない演技をしたのは、金賞受賞のただ一度きりでしたけど、それを押し通したら、私も 「伝説的優等生」ということになったんでしょうね。

でも、そんなことをしたら、ストレスが多すぎるでしょうが。

>国語教育で情緒教育をしている自覚があるなら、
>(中略)
>今後、適切な対処をされることをこどもの教育者(親を含む)に望みます。

うーん、「感動した」でごまかされる程度の情緒教育ですからねぇ。

投稿: tak | 2006年5月18日 17:44

>全国紙にときどき載っている「ヘンな記事」

えっと、えぇぇと、わたし、朝○新聞にそういう印象を持っています。「もしかしてジコトースイ?」とつっこみを入れたくなるような。

読者投稿ページが、みんな同じような「気持ち悪さ」で統一されていたのを見て、「あぁ、これはひとりの担当者が手を入れたのだな」と思っちゃいました。朝○の場合、演技の自覚はないようですが。。。

投稿: Sato-don | 2006年5月19日 00:49

Sato-don さん:

>えっと、えぇぇと、わたし、朝○新聞にそういう印象を持っています。

そうだよねぇ ^^;)

投稿: tak | 2006年5月19日 09:11

「読書」で検索したらこのページを見つけたのでコメント残します。今さらですみません。

私は読書感想文というものにもう少し希望を持っていまして。
ちなみに私自身はダメです。「感想を書くのは苦手だけれど、主観を極力排して事実を的確にまとめる才能を持っている人」とまでは言えませんが、明らかに”向いている”人ですw

とある本好き中3女子が「ライ麦畑で捕まえて、で書きます」と。たまたまブックオフにあったので、私もこれを機に読んでみたんです(あとで添削求められることが目に見えていたので)。

でまあ、これが本当につらい。自分の文学的センスの無さを思い知らされました。この本が誰もが知ってるアメリカ文学最高峰の一つなのかと。原文で読めればまた違ったかもしれませんが。

そして夏休み後半、その子が感想文を私のところに持って来るわけです。これがまた難解。そもそも私が元の本を困惑しながら読んだところに、また別の人間の主観が混じった文が来て、ちょっと何言ってるかわからない(byサンドウィッチマン)。
もう内容そのものには手をつけず、てにをはと文全体の起承転結を整えさせて、それで提出させたんです。

そしたらまあ、なんと県で3番目くらいの賞を取りまして。表彰式だと言って県庁まで行ったりしてました。
その後彼女は順調に文学少女を突っ走っていったようで、大学は明治の日文に行きました。

私は恥ずかしながら純文学とは無縁の学生時代でしたが(江戸川乱歩→田中芳樹→京極夏彦など)、このエピソードがあって、こういった形で才能を発揮できる子もいるのだと、以来読書感想文も捨てたもんじゃないなという印象を持っている次第です。

投稿: らむね | 2018年9月20日 00:48

らむね さん:

『ライ麦畑』については、11年前に 「翻訳の難しいアメリカ小説」 というタイトルで書いています。

https://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2007/03/post_f998.html

このエントリーで述べているのは、煎じ詰めると「『ライ麦畑』 は原文で読むとすごく面白いが、翻訳だと、どうもイラッときて、3ページで放り出したくなる」 ってことです。(村上春樹訳でも、ダメでした ^^;)

ですから、翻訳 (野崎訳、村上訳のどちらかはわかりませんが)で読んで、まともに読書感想文を書けたというのは、「なんだかスゴいな!」 と思った次第です。

英文科じゃなくて、日文に進んだというのも、別の意味でちょっとスゴい ^^;)

【追記】

そういえば、村上訳はタイトルが 『キャチャー・イン・ザ・ライ』 ですから、野崎訳なんでしょうね。失礼しました。

投稿: tak | 2018年9月20日 14:21

takさん

そう、野崎訳です。
やはりあの訳文は読みにくいのですね。一緒に渡ろうとしたら赤信号だったかたがいてホッとしましたw

彼女はほとんど日本人作家を読んでいましたので日文なのだと思います。読書感想文に外国文学を選んだのは、あの時の彼女なりの背伸びだったのかもしれません。

あと私は村上春樹が嫌いでして、やはり私の文学的センスはずれているのだろうかと不安になって調べてみると『村上春樹が嫌いな人は大抵が超ベストセラーであるノルウェイの森から入りそこで嫌いになっている云々』と分析しているページがあって(まさに私)、まあいずれ他の作品も読んでみようかと思っている次第です。
何か、春樹作品のオススメってありますか?

投稿: らむね | 2018年9月21日 00:34

らむね さん:

『ライ麦畑』 の訳は、読みやすさ/読みにくさで言えば、読みやすいんだと思いますが、私にとっては違和感ありすぎってことなんです。

村上春樹に関しては、雑誌に載った短編や翻訳とかを別とすれば、群像新人賞受賞作の 『風の歌を聴け』 と、『羊をめぐる冒険』 『ノルウェイの森』 の 3作だけを読みました。

『風の歌』 と 『羊』 は結構気に入ってますが、『ノルウェイ』 で 「もういいや」 と思い、以後はベストセラーでも手を出してません。

『ノルウェイ』から入ったのは、やっぱりまずかったかもしれませんね ^^;)

投稿: tak | 2018年9月21日 07:55

takさん

なるほど、どうもありがとうございます。
今度読んでみますね。

投稿: らむね | 2018年9月21日 15:56

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