メタファーとロジック
本宅サイト「知のヴァーリトゥード」 でとりあげた「どうして鏡に映ると左右が反転して見える?」というテーマに関して、響 (ひびき) さんという方が、理系の視点から説明してくれている(参照) 。
今まで見た理系の視点からの説明の中で、最もシンプルでわかりやすい説明だと思う。これなら、文系の私も納得だ。
同じ X軸、Y軸、Z軸 を用いて説明するのでも、彼の説明はとても簡潔だ。
左右も上下も反転などしない。
鏡方向をZ軸とするなら、それが反転するだけである。(中略)
反転するのは前後だけです。
要するに、たったこれだけである。これだけでわかりにくいなら、上記のリンクから彼のブログに飛んで、図をご覧頂けばいい。納得である。
しかし「視線の方向が裏返っただけ」という私の説明と、彼の 「鏡方向をZ軸とするなら、それが反転するだけである」 という説明は、よく考えてみると、同じことを言っている。彼の規定する「Z軸」というものを、私は「視線の方向」と呼んでいるというだけだ。
これは、どちらの言い方が馴染みやすいかという問題に過ぎないような気もする。ただ、それで済ませては面白くも何ともないから、ここでは「馴染みやすさ」の要因というものを、少し探ってみようと思う。
私にとっては、「視線の方向」という言い方がとてもしっくりくる。単なる鏡像以上のことまで言及するための、哲学的第一ステップのような雰囲気すら漂うのも、気に入っている。
しかし響さんにとっては、「Z軸が反転するだけ」という言い方が、余計なニュアンスを取り去った純粋論理に近いもので、その方がずっとクリアな感じがするのだと想像する。
私のレトリックはある程度「含み」を持たせることによって、他のことを語る場合のメタファー(暗喩)として用いやすいという要素を、意識的・無意識的に関わらず、求めているところがある。文系の文系たる所以である。
それに対して響さんの説明は、恣意的な要素を省き、「鏡像という抽象的事実そのもの」にフォーカスしている。余計な含みを持たせたら、「事実そのもの」が曖昧になってしまうとみることも、確かに妥当だ。
極論すれば、メタファーとして語るかロジックとして語るかということに尽きるだろう。同じ事を語っても、こうした違いがある。そして違いがあるからこそ、世の中は面白い。
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コメント
響です。
遅ればせながらコメントを。
僕なんかのくだらない能書きをとりあげていただいた上に、
なんだかとても深みのある文章でいい感じに料理していただき、
さすがだと思うと同時に、とてもうれしいです。
僕も、ネタを提供できたかと思うと、自己満足してしまいます。
僕の方は更新頻度は低いですけど、
のんびりやってますんで、
今後ともよろしくお願いします。
投稿: 響 | 2006年5月 7日 22:09
響 さん:
同じ事を語るのに、いろいろなレトリックがあるものです。
トラックバックをいただきましたが、先方では 「同じ結論でも、考え方の手続きが逆向き」とおっしゃってますね。
人間が「ストンと納得する」ための手続きというのは、なかなか興味深いです。
今後ともよろしく。
投稿: tak | 2006年5月 8日 09:24