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2006年5月23日

ハイパーテンションおしゃべり

昨日から広島に来ているが、朝の新幹線で、東京から京都までの 2時間以上、間断のないおしゃべりを続けるオバサン 3人組がいた。

機関銃のごとき早口 3人が、競い合うようにピシャリピシャリと警句を連発しあう。周囲にはうるさくてたまらないが、見方を変えれば、男には決して真似のできない見事な芸当だ。

話の内容は、聞く気がなくても嫌でも聞こえてくる。旦那を家において、女同士 3人の気晴らし旅行をしているようで、日頃の鬱憤を思う存分語り合っているのである。

もし、私の妻が毎日毎日あんな調子でものすごいおしゃべりを仕掛けてきたら、私は 3日経たずに神経衰弱になると思う。だから多分、あのオバサンたちは、家庭ではおしゃべりの衝動を抑圧し、耐えに耐えているのだろう。

その鎖の解き放たれた新幹線の座席では、3人とも、ここぞとばかりにしゃべる。とにかくしゃべる。彼女らにとっては桧舞台のようなものだから、何しろ気合が入っているのである。

ただでさえおしゃべりなのに、さらに気合を入れているのだから、ものすごい相乗効果である。3人とも、自分の発する辛らつな警句に、間髪をおかずに警句で応えてくれる相手がいることが、うれしくてたまらないようだ。水を得た魚とは、まさにこのことである。

ただ、あれはもう「会話」 と呼べるようなものではない。いわば「おしゃべりの阿修羅道」である。おしゃべりの目的は、何かを掘り下げるということでは、さらさらない。ただひたすら「おしゃべりによる高揚感」を維持し、さらに高めることにあるようだ。

だから、ハイな状態を維持するためには、おしゃべりの内容はハイパー・ダイナミズムで変わっていく。どんなきっかけでどんな話題になるのか、傍では到底付いていけない。まあ、付いていったところで、どうなるというものでもないが、嫌でも聞こえてくるのだから、仕方がない。

京都でこの 3人が降りると、車内は台風が過ぎ去ったように、一挙に静かになった。彼女らは、旅行の間中、哲学の道でも祇園でも大原でも、どこででもただひたすら「ハイパーテンションおしゃべり」を続けて、すばらしい気晴らしをするのだろう。

周囲はたった2時間で、すっかり疲れてしまったが。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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コメント

広島へようこそ。
どこかで擦れ違っているかも知れませんね。
あ、いまは牡蠣は食べない方がいいようです。
ニュースで牡蠣毒について、報道していた気がします。
お好み焼き、お勧めですよ。
っと、私も地元人ではありませんが・・

では充実した広島での時間を、お過ごしください。

投稿: コロスケ | 2006年5月23日 11:05

コロスケさん、ようこそ。

広島のどこかですれ違ってるかもしれませんね。

牡蠣は食べませんでした。
お好み焼きは、お店が満員で諦めました。

前回(一昨年三月)は、何という店だったかなあ、
かなりおいしいお好み焼きを食べました。

投稿: tak | 2006年5月23日 22:53

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