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2006年5月 6日

1人殺すも 10人殺すも

ululun さんが 「煩悩即道場」 で、妙な質問について考察しておられる。(参照

「一方では1人が、もう一方では10人が死にかけていて、どちらか片方しか助けることができません」 という状況において、「あなたはどういった行動をとりますか?」 という質問だ。回答は四択となっている。(参照

四択は、以下の通りである。

・ 10人を助ける(1人は助けられません)

・ 1人を助ける(10人は助けられません)

・ 両方を助ける(どちらも助けられません)

・ どちらも助けない

四択のうち、どれを選んでも最低 1人は見殺しにすることになる。最大値は 11人の見殺しだ。

どうせ誰かが助からないのなら、死ぬのは最低限の 1人に留めようという意識からだろう。寄せられた半分以上は、10人を助けて 1人を助けないという回答になっている。最大多数の最大幸福というか、最小少数の最小不幸を求めた結果だ。

この質問の意図は何だろう。「命の重さ」 を考えようということだろうか。しかし、まともに答えようとすればするほど、「命の軽さ」の方が印象付けられてしまう。

私はこの質問を見て、反射的に 『無門関』 の第五則、「香嚴上樹」 という公案を思い出した。

断崖上にある樹の枝に口だけでぶら下がっている。その時、下の方から「祖師西来の意如何 (達磨大師は何故に天竺から中国に坐禅の修行を持って来たのか)」と問う人があった。答えなければ、禅の礼儀を破ることになり、口を開いて答えれば、谷底に落ちる。さあ、どうするかというものだ。

こういうのを「両刀論法」という。言葉の上では、どっちを選んでも致命的という論法だ。この論法の罠にはまらないためには、その土俵から一歩外に出さえすればいい。

土台、質問自体が机上の空論である。「10人を助ける」と答えた人が、実際の切羽詰まった状況で、本当に 10人助けられるという保証は全くない。だから、禅問答における正しい答えは 「馬鹿者め!」 と言って、頭をピシャリとぶつぐらいのことでいいのかもしれない。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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