愛国心を評価されてたまるか
先月末は何かと忙しくて、ニュースをきっちりとチェックしている暇もなかった。小泉首相が「教育現場での愛国心の評価は必要ない」と述べたというニュースも、単に「そんなの、当たり前じゃん!」と思っていた。(参照)
ところが、福岡市などで実際に通知票で評価していたと知って、ぶったまげてしまった。
誤解される前に書いておくけれど、私は愛国心を教育に盛り込むことに反対の立場ではない。むしろ、「どうしていけないの?」と思っている。そして、自分の立場は純然たる「愛国者」だと思っている。と言っても、決してナショナリストじゃないが。
私は、兄弟二人を戦争で失った義父に付き合って、靖国神社に参拝することを厭わない。日の丸はミニマリズムのいいデザインだし、君が代ほどユニークで平和的な国歌はないと思っている。
しかし、政治的な視点で「愛国心」を押しつけたり、学校で個々の生徒の「愛国心」を評価したりするというのは、かなり気持ちが悪い。
押しつけられてもつような愛国心は、状況が変わればすぐに裏返る。良い成績が欲しくてもつような愛国心なんて、そりゃあ、愛国心とは呼べんだろう。
愛されることばかりを求める傲慢な人間を、果たして愛することができるか? 私はむしろ、愛されることなど決して求めず、それよりも、無償の愛を与えることを喜びとするような人間をこそ、無条件に愛するだろう。
国だって同じことだ。私は「無償の愛を与えることを喜びとする」姿を、この国の天皇に見る思いがする。私も同じ喜びを持ちたいとすら思う。
政府が「郷土を愛せよ、国を愛せよ」と押しつけがましいことを言ったら、それは害毒ですらある。愛国心教育とは、世界における自分と祖国の関係をまっとうに見据える筋道を示すことだろう。
そしてこれが重要なことなのだが、その筋道は、常に多様でなければならない。決まり切った道を強制されたら、それはファシズムである。
私は、小中学校では愛国心教育なんて一度も受けたことがない。「反愛国教育」なら、ずっと受け続けてきたが。それでも、日本文化を学んでいるうちに、いつの間にか、「愛国者」になってしまったのである。
だから私の愛国心には、申し訳ないけど、政治色が極めて希薄だ。「ナショナリストじゃない」というのは、その意味である。
正直言うと、小学校の教師なんかに愛国心を評価されてたまるかという気持ちも、少しある。(小学校の先生には、決して恨みはないので、そのあたり、よろしく)
| 固定リンク
「経済・政治・国際」カテゴリの記事
- 中道の「活動支援金」を、ちょっと斜め視線から(2026.04.21)
- ファシズムへの経済制裁は民主主義の後退につながる(2026.04.16)
- トランプ、やっぱり頭のどこかがおかしいよね(2026.04.14)
- 高市総理、ついに「憲法改正」に言及(2026.04.12)
- 高学歴の夫と結婚した娘が専業主婦になりたがる傾向(2026.04.11)







コメント
はじめまして。もう1年以上アクセスしていますが、コメントを書くのは今回が初めてです。毎日楽しく読ませてもらっています。若輩者ですが私も学校では通じて「反愛国教育」を受けてきたと感じています。特に大学では農学部専攻でしたが教員免許取得のため受けた教育学の講義ではほとんどの講師と意見が合わず講義中討論したりでした。その後、米国の片田舎での生活で、日本人である自分を周りと比較するかたちで再認識しました。上手に書けませんが、そういう風に自分を知ることでこれまでずっと憧れだった彼らという存在や彼らの文化と自分及び自分の属する文化の違いがはっきりし、悲しいような気分にもなりましたが、前よりももっと相手やその文化が好きになったような気がします。私は“憧れとの比較”という方法を結果としてとりましたが、本来「愛国心」とは人に教えられるというよりも、己が触れたものや吸い込む空気などから自分の中で生まれてくるものではないかと感じています。長い文章ですいませんでした。
投稿: 杉田智宏 | 2006年6月 4日 09:01
杉田智宏 さん:
コメントありがとうございます。
確かに、我々の「愛国心」は一筋縄ではいかない錯綜したものを含んでいるようです。
“憧れとの比較”という方法は、案外多くの人が辿っているんじゃないかととも思いますよ。
愛国心は、自分の理想の投影という面もあり、さらに、その 「理想」 が国のありようからの投影を受けているということもあると思います。
そして、その 「投影」 のレンズの特性も多様ですから、画一的な愛国心教育というのは、どうかなと。
投稿: tak | 2006年6月 4日 09:52
愛国心についてですが、そういう類の概念に対する日本語の語彙の少なさが実体を分かりづらくしているような気がします。
英語ではnationalismとpatriotismに分かれている概念が、日本語では愛国心の一言で片付けられているので、ややこしくて胡散臭い響きになっているんじゃないかと思います。
入れ物が「愛国心」という言葉ひとつとしかないと、過去の歴史や国民意識や国家主義や郷土愛といったものがすべて一箇所に押し込められて意味不明のものが出来上がってしまうのだと思います。
投稿: ちんこ寺 | 2006年6月 4日 12:44
ちんこ寺 さん:
>入れ物が「愛国心」という言葉ひとつとしかないと、過去の歴史や国民意識や国家主義や郷土愛といったものがすべて一箇所に押し込められて意味不明のものが出来上がってしまうのだと思います。
確かに、それは言えますね。
私なんか、「愛国者らしくない愛国者」 を気取ってるので、案外のほほんとしてますが、一般に 「愛国心」 というと、なにやら悲壮な響きまであって、身構えちゃうかも。
私は、海を行っても水漬く屍にはなりたくないと思ってますんで。
投稿: tak | 2006年6月 4日 14:34
『海を行っても水漬く屍』ってなんですか?
ぐぐってもでてこなかったんで教えてください。
投稿: kumi | 2006年6月 5日 03:20
kumi, the Partygirl:
>『海を行っても水漬く屍』ってなんですか?
>ぐぐってもでてこなかったんで教えてください。
『海を行っても水漬く屍』では、
ググっても出てこないだろうなあ ^^;)
その昔、
「海ゆかば」という戦意高揚歌(?)があったんですよ。
海ゆかば水(み)漬(づ)く屍(かばね)
山ゆかば草むす屍
大君の辺(へ)にこそ死なめ
かへりみはせじ
万葉集にある大伴家持作と伝えられる長歌の一部に、
曲をつけたものです。
原歌は悪くないですが、
この一部だけ取り出して、国民に歌わせたということに、
私は、気持ち悪い思いがします。
投稿: tak | 2006年6月 5日 09:44
付け足し。
「海ゆかば」の詳しい解説と原歌は、Wikipedia に出てます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E8%A1%8C%E3%81%8B%E3%81%B0
投稿: tak | 2006年6月 5日 09:46
丁寧な解説ありがとうございました。
軍歌だったのか。
軍歌の載ってる楽譜を持ってるんで調べたら
載ってました。大変に有名な歌なんですね。
歌詞が大伴家持になってました・・・
投稿: kumi | 2006年6月 5日 16:42
>軍歌だったのか。
う~ん、
「軍歌」というと、ちょっと違和感。
私は、どっちかというと、
「御詠歌」に近いような気がしてます。
そりゃあ、厳密な意味で言ったら、
軍歌より御詠歌の方が遠いけど。
投稿: tak | 2006年6月 5日 18:18