ロジカルな犯罪、ロジカルでない犯罪
秋田の小学生殺害事件で、それならば最初の女児水死事件は本当に事故なのか、事故でなければ誰が犯人なのかなど、世の中はにわかに推理ブームと化している。
しかし私が興味をもってしまうのは、逮捕直後、「死体遺棄はしたが、殺してはいない」とシラを切った容疑者のメンタリティである。
世の人は、「どうして、近所の子どもを殺したのか?」と口にするが、「どうして?」とフツーに考えては、その疑問は解けない。「とにかく、殺してしまった」のだ。考えるよりも行為が先に立ったのである。よく考えてしまったら、こんな殺人は実行できない。
畠山鈴香という人の頭の中は、とにかくロジカルじゃないようだ。ロジカルな頭だったら、死体遺棄を認めた時点で、自動的に殺人だって認めざるを得ない。このケースでは、「死体は川原に運んで捨てたが、殺してはいない」という論理は成立しないからだ。
もっと言えば、一番初めに疑われるのがわかりきった状況で、殺人を実行してしまうということ自体、ロジカルじゃない。本当に殺したかったら、もっと計画を練るのが普通だ。この殺人自体、そもそも行き当たりばったりだったんじゃないかとも思える。
死体遺棄にしても、ランドセルに付いた指紋を消していないなど、初歩的な証拠隠滅すらしていない。少なくとも、「ちょっと深く考える」ということを知らない女のようだ。
昨日になってようやく殺人も自供したようだが、それまではみえすいた嘘で二転三転したようだ。取り調べにおいて、既に破綻しているロジックを恥ずかしげもなく言えてしまうという感性は、今年の 2月 26日に書いた "「むかつき貯金」 は 「むかつき借金」" というエントリーを思い出させる。
このエントリーは、内田樹氏の「不快という貨幣」というブログ記事を読んでの感想を記したものだ。詳しい内容をお知りになりたければ、リンク先に飛んでもらうのが一番だが、その記事の中で興味深いのは、次の記述である。
諏訪さんが報告している中で印象深いのは「トイレで煙草を吸っているところをみつかった高校生が教師の目の前で煙草をもみ消しながら『吸ってねえよ』と主張する」事例と、「授業中に私語をしている生徒を注意すると『しゃべってねえよ』と主張する」事例であった。
これはどう解釈すべきなのだろう。
諏訪さんはこういう仮説を立てている。
彼らは彼らが受ける叱責や処罰が、自分たちがしたことと「釣り合わない」と考えている。
(中略)
そこで自己の考える公正さを確保するために、事実そのものを『なくす』か、できるだけ『小さくする』道を選んだ。(中略)」(諏訪哲二、『オレ様化する子どもたち』、中公新書ラクレ、2005年、83-4頁)
明らかにやったことでも、「してない」と言えるのは、明確に意識化しているわけではないのだろうが、「この程度のことは、差し引きしたらチャラだよ」という思いが根底にあるからだ。それだけ、彼らは「不幸」あるいは「不満」を背負っているのである。
世渡りの下手な子は、この「不幸」や「不満」を解消するための気晴らしで、ますます世間に咎められるようなことをして、「むかつきスパイラル」を加速させてしまう。この構造が、「ロジカルでない犯罪」の温床になっているような気がする。
村上ファンドの件を「ロジカルな犯罪」とすれば、秋田の事件は「ロジカルでない犯罪」の典型例である。
これら 2つが同時進行する「分裂的な社会」に、我々は生きている。そう認識しないと、思考が前に進まないような気がして、私は垣間見てしまった 2つの典型例を、取り敢えずこのように分類してみた。
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コメント
こんにちは。
なるほど・・と。
なぜか橋龍の顔が脳裏に浮かびましたよ。
日々気づきです。
引き続き毎日楽しみにしています。
投稿: コロスケ | 2006年6月 9日 09:42
コロスケ さん:
>なぜか橋龍の顔が脳裏に浮かびましたよ。
ん? なぜでしょうね。
この人、もしかしたら、「ロジカルでない犯罪」を犯したのか。
あるいは、この人のロジック自体がおかしいのか。
投稿: tak | 2006年6月 9日 11:50