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2006年6月11日

バイリンガル脳というもの

「バイリンガル脳」というのがあるらしい。ものごとを英語で考えられるほど上達した人は、脳の特定部位が活発に働いていることが、日英の共同研究で確認された。

その部位が損傷すると、語学が得意な人でも、外国語でものを考えられず、翻訳して考えるようになるという(参照)。

問題の脳内の部位というのは、大脳奥にある尾状核(びじょうかく)というところだそうだ。日本人とドイツ人の、英語を話せるバイリンガル 35名の参加で実験したところによると、母国語に翻訳せず英語でものを考えるときは、この部分の左側が非常に活性化していた。

実験を行った京大の福山秀直教授は、「尾状核は『英語脳』『日本語脳』を切り替えるスイッチ役ではないか。ここが十分に成熟してから語学を学べば、使い分けがうまくできるようになるかも知れない」と語っているという。

尾状核がいつごろからうまく機能するかは、まだよく分かっておらず、今後の研究課題になっている。ということは、小学校のうちから英語を学ぶということの是非の判断は、この結論が出るまで、お預けか。

以前、大学の研究室に通っていた頃、ドイツからの留学生でトーマスという男がいた。彼は天才的な語学力の持ち主で、母国語のドイツ語のほかに、英語、フランス語、イタリア語、スペイン語をほとんど不自由なく使いこなすことができた。

さらに、日本に来て 1年もしないうちに、日本語までペラペラになり、中国語もある程度理解できるようになっていた。中国語は勘定に入れないとしても、バイリンガルどころか、ヘキサリンガルである。

何しろ、私が書けない漢字を、トーマスに教えてもらったぐらいのものだから、大したものである。その代わり、彼の英語のスペルの誤りを訂正してやったことはあったが。

そのトーマスの言うには、英語では哲学は考えられないというのである。哲学はドイツ語かフランス語でなければならないらしい。うぅむ、何となくわからないでもない。

私の英語は、バイリンガルには遠く及ばないが、以前、外資系団体に勤務していた頃は、英語の文書を書くときには、一応頭の中も英語で考えていた。そして日本語で考えるよりも曖昧さを避けたストレートな表現が自然にできて、とても重宝していた。

さらに、共通語と庄内弁の使い分けに関しては、私は完全なバイリンガルである。庄内弁というのは、共通語とは単語自体が違っていたりするので、ネイティブ庄内弁スピーカーの話す言葉は、余所の者にはほとんど通じない。

ほとんど外国語のようなもので、共通語と庄内弁の違いは、多分、フランス語とイタリア語の差に匹敵するぐらいだと思う。

その庄内弁を共通語に同時通訳するのは、私にとってはお茶の子さいさいである。しかし、逆に共通語をピュアな庄内弁に同時通訳するのは、ちょっと難しい。それは、現代の共通語に含まれるロジカルな構造を、正統的庄内弁は持ち合わせないからだ。

非常に論理的なことを考えるときは、ピュアな庄内弁は役に立たないということを、私はしみじみ感じる。その代わり、庄内弁でものを考えると、「俺って、なんていいヤツなんだ!」と思うほど、人情豊かな人間になったりする。

言語には、構造的な「向き・不向き」というものが確実にあって、思考に用いる言語は、パーソナリティにも影響を与えてしまうほどのようなのだ。

そういえば、香港で広東語の通訳をしてくれた女性は、ボーイフレンドとデートをするとき、途中でいい雰囲気になると、自然に広東語から英語に切り替わると言っていたことは、以前に書いた(参照)。広東語では、愛は語れないらしい。

そんなこんなで、自国語に翻訳することでしかものを考えられないというのは、かなりのハンディキャップを背負っていることになる。例えば、いくら日本文化に造詣の深い外国人でも、芭蕉の俳句を翻訳でしか理解できないとしたら、その日本理解は真髄に達したとはいえない。

その意味で、国際的なセンスを持とうと思ったら、どうやら、大脳の奥の尾状核というやつを鍛えなければならないようなのだ。しかし、この部位が「スイッチ」の役割を果たすのだとしたら、スイッチばかりが優秀でも仕方がないということも、きちんと押さえておく必要がある。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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