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2006年6月19日

キュートネス・シンボル

「エビちゃんを AP が世界配信」という記事が目にとまった。(参照

ウチは年頃の娘が 3人いるので、そっち方面の情報には、その辺のオジサンよりはずっと詳しいつもりなのだが、「エビちゃん」に関しては、なぜかアンテナの感度が鈍い。どうも、興味のツボにはまらないみたいなのである。

AP の紹介記事によると、「エビちゃん」こと蛯原友里という雑誌モデルは、日本における「キュートの体現者」なのだそうだ。

「トヨタ、ソニーなど硬派な工業製品のイメージが強かった日本の産業が、近年はキティちゃんやポケモンなど『キュート』さで知られるようになった」と指摘していて、エビちゃんは、その「新トレンドの象徴」ということになっているのである。

記事中には、彼女が自らの「キュートさ」を磨くために、いかに努力しているかについて、次のような記述がある。

新トレンドの象徴とされた蛯原は「もしキュートと思っていただけない時は、理由を知って、もっとキュートでいられるように研究します」と、強い探求心を明かした。

すごいなあと思うのである。私は彼女のこのコメントに、現代日本の「キュートネス(キュート性)」の本質を見る思いがした。彼女にとって、「キュートであること」というのは、とりもなおさず、「キュートと思っていただけること」のようなのだ。

一見すると、かなり謙虚な姿勢のように思われるが、「思っていただけない時は、理由を知って、もっとキュートでいられるように研究」するとも言っており、要するに「何がなんでもキュートと思っていただくわよ!」ということで、実は結構「押し」が強い(私なりの別の言い方をすると「うざい」 のである。

その「押しの強さ」というのは、「みんなも、私ぐらいに努力すれば、『モテ系』 になれるわよ」というメッセージ性でもある。ははあ、なるほど。要するに彼女の存在意義は、そうしたメッセージ性なのだな。

そして、そのメッセージ性を「うざい」と感じる層もあり得るわけで、そうした層にとっては、彼女が努力を重ねれば重ねるほど、「うざい感」 が強まるというパラドックスになる。

とはいいながら、私は「そうした努力をもっと他の方面に振り向ければ……」といったような、ありがちなことは言わないことにする。そんな当たり前に迎合したら、彼女の存在意義がなくなってしまうのだから。

マリリン・モンローが「セックス・シンボル」なら、彼女は 「キュートネス・シンボル」なのだ。せいぜい「キュートと思われること」を持続してくれなければならない。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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