"「・・・。」" を巡る冒険
花岡信昭氏のブログ炎上が話題になっている。そもそものきっかけは、「・・・。」という表記に疑問を呈した行きがけの駄賃とばかり、よしゃいいのに、「モーニング娘。」にまでいちゃもんをつけたことである。(参照)
これ、どうみても花岡氏のチョンボだ。それに対する過剰反応も、どうかと思うけど。
当コラムは、日本語の問題については、過去にもいろいろ言ってきているので、今回も少しだけちょっかいを出してみようと思うのである。
さて、花岡氏は件のブログの中で、次のように言い切っている。
新聞の世界に30数年生きてきて、いまもなお、ものかきを主体とした仕事をしているが、「・・・。」という書き方はしてこなかった。
私も、花岡氏ほど長くはないが、ジャーナリズムとその周辺で 30年近く生きているので、確かに、この世界では、「・・・。」 (つまりカギ括弧の中で句点を打つ)という書き方はしないということについて、異論はない。しかし、花岡氏は、30数年以上前のことについては、どうやら記憶が飛んでおいでのようだ。
花岡氏ほど忘れっぽくない多くの人は、きちんと記憶にあるだろうが、少なくとも戦後の日本の教科書では、ずっと 「・・・。」 という表記がされてきたはずだ。
文化庁のサイトでも、PDF ファイルで、以下のように明記してある (参照)。
一、マルは文の終止にうつ。
(中略)
二、「 」(カギ)の中でも文の終止にはうつ(例4)。
ちなみに、その 「例4」 は以下の通り。
「どちらへ。」
「上野まで。」
これは昭和 21年 3月に作成されたものとあり、 花岡氏のブログのプロフィールによれば、それは氏の生まれた年でもあるから、小学校でこれに準じた教育を受けていないはずはないのである。
しかるに花岡氏は、教科書でのこうした表記を最近になって初めて知って驚いたような書き方をしている。学校で国語の勉強をよほどないがしろにしていたか、記者になってからの習慣に馴染みすぎて、それ以前の記憶まで塗り替えられたかのどちらかである。
いずれにしても、あまり褒められたことではない。
ただ、文化庁でこのように明確に規定しているにも関わらず、一般のメディアでは全然守られていないことには、それなりの理由があるはずだ。
それは、 「・・・。」 式の表記を遵守しようとすると、行末の 「ぶら下げ」 に無理が生じてしまうからではなかろうか。「ぶら下げ」 というのは、早くいえば、句読点やカギ括弧などの記号が次の行にはみ出してしまう場合に、行あたりの規定字数を超えても、敢えて前の行末にくっつけてしまう慣習である。
ところが、文字間隔を自動で調整できなかった「鉛活字」の時代には、印刷媒体で "。" と "」" の 2文字分を行末にぶら下げるのは、見た目的に、かなり辛いことだったろう。
以前のワープロ専用機には、このケースでの無理な「ぶら下げ」を避けようとして、直前の 1文字と 2文字分の記号をいっしょくたにして、次の行に送るのをデフォルトとしたものがあったが、それはそれで、前の行が寸足らずになって、みっともないものである。
私は "。" と "」" を組み合わせて 1文字分にした記号を作れば済むことと、常々思ってきたのだが、それは現在に至るまで、関係者の発想にすら上っていないようなのだ。
それで、いわば「次善の策」として、括弧やカギ括弧内の最後の句読点を省くことにしたのではないかと、私は想像している。これならば、大抵の場合の「ぶら下げ」は 1文字分で済むからだ。
カギ括弧内の最後の句点を省くのは、コスト面での都合だったという説があるが、私は、それよりも「ぶら下げ」対策だったとみているのである。試しに 1行あたりの字数指定の文書で 「・・・。」式の表記をしてみるといい。やりにくくて仕方ないから。
いずれにしても、カギ括弧だの句読点だのを一般的に用いるようになったのは、明治以降のことで、日本語の長い伝統の中ではつい最近のようなものだから、あまり厳密なことを言っても野暮になるのだが。
ここで、ようやく「モーニング娘。」の表記にも触れるとすれば、なにぶん固有名詞でもあることだし、許容範囲を思いっきり広くとってもいいじゃないかという気がする。
この程度のことを「日本語の乱れ」の象徴であるかのようにあげつらうのは、「野暮天」(きわめて野暮なこと)というものである。(彼女たちのパフォーマンスの「質」については、敢えて言及しない。それは別の問題だから)
ちなみに、花岡氏は日本語の文章の読点として 「,」 (コンマ) を使うことにも難癖を付けておいでだが、これも軽はずみなことは言えない。
横書き文書の句読点はピリオドとコンマにするという習慣は、結構古くからあるようで、とくに理数系の世界ではデフォルト(あるいは、ローカル・ルール?)になっている感がある。
件の文化庁の文書をみると、「もつぱら横書きに用ひるもの」 (旧かな使いに注目!) として、
(1)ピリオド(トメテン) .
(2)コンマ ,
(3)コロン(カサネテン)
などが挙げられている。試しに、啓林館の 「高校数学 I」 のP69 というのをみると、おぉ、確かに、ピリオドとコンマになってるぞ。へぇ、そうだったんだ。これでは、花岡氏の忘れっぽさを笑えないかもしれんな。
ただ、理数系音痴の私としては、こんなうっとうしい問題は敬して遠ざけておきたい。花岡氏も、「モー娘。」 の話題なんて、敬遠しておけばよかったのに。
【6月 10日午後 追記】
さらに、社会の教科書を調べてみた。例の「新しい歴史教科書をつくる会」の、「中学社会[改訂版]新しい歴史教科書」がネット上にあったので、開いてみると、ご覧の通り、読点はコンマで、句点はマルなのだった。
この問題、かなり奥が深い。
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コメント
自己レス、失礼
Reiko Kato さんからのトラバで、
>中黒(・)を三回重ねるのではなく、二点リーダ(‥)もしくは三点リーダ(…)を使ってください。
という指摘がされています。
私は、ほかの原稿を書くときは三点リーダを使ってるんですが、このブログでは、適当に使い分けてます。
今回は、花岡氏の "「・・・。」" にこだわって、そのままコピペしたので、こうなってます。
それと、このブログでは、フォントの関係で、表示が揺れてしまうことがあるので。
Mozilla 系だと、このコメントの引用部分でも、点が下に寄ってしまったりするでしょ。(IE ではそうならないみたいですが)
投稿: tak | 2006年6月11日 08:08
はい。だいたいそういうことだろうとは思っておりました。今回は茶々でございます。
パソコンでの表記としては、takさんが普段お使いになっている、三点リーダの二回重ね、というのが一番よいと考えています。
投稿: Reiko Kato | 2006年6月11日 18:39