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2006年6月25日

宇宙の一番外側って?

ウチの BBS で、久しぶりに「かっこいいお兄さん」から公案が突きつけられた。「宇宙の一番外側,これを死ぬまでに見てみたいのであります」というものである。

だが、「宇宙の一番外側」って、一体何だ? この言葉の意味するところから、説き起こさなければならないかもしれない。

「宇宙の一番外側」を、仮に「宇宙の中心から一番遠いところ」と考えてみよう。もし、宇宙が有限だとしたら、それは「宇宙の果て」ということになり、逆に無限だとしたら、「一番外側」という境界的概念は存在しないことになる。

また、「一番外側」という概念は紛らわしいので、「一番」という修飾語を取り去ってしまうと、「宇宙の外側」ということになる。この場合、必然的に宇宙の有限性が前提となる。さて、宇宙に「外側 = 外部」はあるのだろうか。あるとしたら、それは一体どんなところなのか。

お釈迦様は、弟子に「宇宙に果てはあるのか?」と聞かれ、「そんなことを考えても無駄だよ」と答えたという。まあ、確かに無駄だろう。この場合の「無駄」というのは、功利的でないという意味ではなく、「無意味」だということだろう。

宇宙論を語ろうとしたら、日常的な概念としての「果て」というコンセプトは邪魔である。「宇宙の果て」は、あると言ったらあるのだろうし、ないと言ったらないという程度のものだと思っていればいいのだと思う。

私は以前、あるマイナーな雑誌に「インターネットで幽体離脱 宇宙の本質はバーチャル?」という原稿を書いたことがあり、「知のヴァーリトゥード」のサブサイト「Bit の哲学」の中に再録している(参照)。ちょっと長くなるが、以下に主要部分を引用しておこう。

突然、宇宙論である。何しろ凄い。「ビッグバン」の否定である。

そもそも「ビッグバン」を認めるとすると、それ以前の宇宙というのは、限りなくゼロに近い一点の中に、現在の宇宙を構成する質量がすべて詰まっていたはずだ。ということは、その無茶苦茶小さな塊の中心に向かって、この世の沙汰とも思えぬ想像を絶する重力がかかっていたわけで、それが急に拡散を始める(要するにビッグバンですな)などというのは、ちょっとやそっとのキッカケではできない相談だ。

考えうる唯一のキッカケは「神の一撃」( ! ) をおいて他にない。

つまり、ビッグバン理論を認めるということは、神を、あるいは控えめに言っても「神のような超越的存在」を認めることと、実はイコールなのである。

ところが、かの天才ホーキング博士は「神様のキックオフ」なんて戯言(?)を認めたら、天才科学者の沽券にかかわると思った。何しろ彼は、身体の不自由な自分を献身的に支えてくれていた妻が敬虔なクリスチャンであるという理由で、ポイと離縁してしまったというほどの筋金入りの無神論者なのだ。

彼はお得意の数式を駆使して、ついにビッグバンなどいう想像の産物の助けを借りなくても、現在の宇宙の姿を説明できるという理論を打ち立てた。

それによると、宇宙の本来の姿は「虚数」であったというのである。残念ながら文科系の頭の私にはこれ以上のもっともらしい説明ができないが、とにかく、宇宙の始源を「虚数」であると規定すると、その後の進展の説明に「ビッグバン」は要らなくなるらしい。それどころか、ホーキンス博士は「虚数こそが、この世の本当の姿なのかも知れない」などと、とてつもなくインスピレーショナルなことを言っている。

私なんぞに言わせると、博士のこの指摘の方がずっと宗教的なのではないかと思える。というのは、西洋的発想の「神」は、宇宙を創造した、つまり常にどっか外側にいて、とてつもない塊だった宇宙のモトを戯れに蹴飛ばしてみるような存在なのだが、東洋的発想では、神は決して外側にいるのではなく、神の、あるいは仏の自己実現が宇宙ソノモノなのである。

というわけで、ビッグバンを肯定するとしたら、宇宙の外側には「神様」があり、それを否定するとなると、「虚数」の内だの外だの言っても、我々の感覚ではイメージできないお話なので、要するに、そんなことを考えても無駄ということなのだろうね。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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コメント

早速の「明解」ありがとうございます。
「無限宇宙」というのはどこかで読んだ記憶がありますが,
「虚数」というのは初めてです。
確か,数学上の苦肉の策,ではなかったかと。(自信がないけど)

ただ,現実にここに自分がいて,家族がいて,鳥がいて,虫がいて,村上Fがいて,,,,。これは全て有限の命。宇宙ってえものが「無限」となると,この肉体としての,物理的な意味での自分たちは何なのか,流れる汗は何なのか,手のひらの真っ赤な血潮は何なのか,そもそも命とは何なのか,あるいは路傍の石ころたちは何なのか,どこへいくのか,,,,などと考えると頭が痛くなるのでした。

そこで,自分が考えたオチは,以下の2つでした。
①実は,この世界はすべてが幻で,いろんな物が「見えているつもり」「さわっているつもり」「食べてるつもり」だったりして,というもの。
恋だ愛だ,高い安い,勝った負けた,などと一喜一憂しているこの世の全てが,「単なる思い込み」「なんちゃって」ワールドだったらというもの。

?B級のSFにもなりませんなあ。

②では,こっちはいかが。
宇宙はずっと膨張し続けていて「どんなに高速の乗り物でも,追いつけないほど」だとか。これも「無限」につながりそうです。で,仮に,スーパーウルトラ超高速の宇宙艇があったとして,文字どおり宇宙の果てまで飛んでいけたとすると,そこは時間も空間も何もない場所。あたり一面は真っ白。

「ああ,これが宇宙の外か」とつぶやいてみる。

その次にすることは,ちょっと振り向いて,自分が飛んできた方を見ること。そこには,,,
        つづく(皆さんも考えてみてください)

投稿: かっこいいお兄さん | 2006年6月25日 14:16

10次元時空の表面の4次元時空で宇宙のたまごが生まれては消え生まれては消えている、という説もあるみたいですね。
シュワルツとウィッテンの説だったかな。

考えれば考えるほど、いろんな説が頭の中でごっちゃになるので、自分はとりあえずこれで納得することにしています(笑)

投稿: hrk | 2006年6月25日 19:31

うわあ。
10次元ですか?
これはもう「さっぱり」ですわい。
 
昔,少年マガジン連載の「サイレントワールド」のエピソードに,
「こ,こ,ここは4次元の空間なのだ!」
というくだりがあって,その時は
「ははん,4てことは,縦と横と高さと『ななめ』だな」
とひとり合点したものですが,10次元とは!
でも,「たまご」というのはそそられます。

さて,念願かなって宇宙の外で振り向いたあとですが,
「体の大きなおじさんが,一生懸命黒いペンキを塗っている」というもの。時給なしで。
その傍らには,これまた体の大きな「まご」が,塗りたてペンキの上から砂糖(グラニュー糖)を振りかけている,のでありました。
かくして銀河系は生まれた,,,。

投稿: かっこいいお兄さん | 2006年6月25日 20:24

かっこいいお兄さん:

>この世界はすべてが幻で,いろんな物が「見えているつもり」「さわっているつもり」「食べてるつもり」だったりして,というもの。

「虚数」で表されるものを、人間が感覚すると、まさにそういうことだったりするかもしれませんね。

それに、今いるこの一点が、「宇宙の果て」なのかもしれませんよ。

投稿: tak | 2006年6月26日 13:10

hrk さん:
>10次元時空の表面の4次元時空で宇宙のたまごが生まれては消え生まれては消えている、という説もあるみたいですね。

宇宙というから、「モノ」みたいに思ってるけど、それはまさに 「時空」という抽象的概念なんですよね。

抽象的概念のうちの一部を、ようやく我々は認識しているにすぎないのですね。

投稿: tak | 2006年6月26日 13:13

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