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2006年6月17日

カエルの鳴き声で眠れないって?

W杯でウクライナがスペインに惨敗したのは、宿舎周辺にいるカエルの鳴き声がうるさくて、夜眠れなかったからだそうだ(参照)。

「へぇ!」 である。私の住まいは歌にもうたわれた筑波の地で、すぐ裏手には小川が流れている。それは素晴らしい「合唱」が、夜な夜な鳴り響くが、「眠れない」なんてことはない。

いや、決して 「慣れてしまった」 なんていうわけでもない。最近こそ、カエルは減少の一途を辿っているらしいが、この地に引っ越してきた当初は、カエルの鳴き声は、今の何倍もすごかった。

しかも越してきたのは、カエルの鳴き声の最盛期、8月頃である。それはそれはものすごい大音響だった。それでも、なんのことなく眠れたのである。

当時、私は 2つの仮説を立てていた。

最初の仮説は、カエルの鳴き声は虫の音と同じなのではないかというものである。よく言われることに、虫の音は日本人にとっては情緒に訴える風情のあるものだが、西欧人にとっては雑音に過ぎないらしい。

日本人は虫の音を左脳で聞くが、西欧人は右脳で聞くからだというのである。これによって、「意味のある音」として聞こえたり、「単なる雑音」に聞こえたりするというのだ。

あるいは、カエルの声も左脳で聞いて、雑音ではなく「風情のある効果音」と認識しているのかもしれない。

しかしカエルの鳴き声は、虫の音ほどに意味のある音として感じられているかといえば、どうもそんな気がしない。少なくとも、それほどの「風情」は感じなくて、やっぱり雑音は雑音のような気もするのである。

それで、第二の仮説として、雑音にも「気になる雑音」と「気にならない雑音」というのがあるのかも知れないという考えが浮かんだ。カエルの鳴き声というのは、他のことに気を取られていると、気にならないのである。いわば「聞こえない音」になっているのだ。

太古の昔から、人間はカエルの住む水辺に居を構えていたのだろうと思われる。大昔の人間は、カエルの鳴き声なんかいちいち気にしていたら、生きていけなかったろう。だから遺伝子が 「聞こえない音」 にしてしまったんじゃなかろうか。

しかし、世の中にはカエルの鳴き声が気になって眠れない人種もいるのだと、今回のニュースで知ってしまったのである。どうやら、DNA レベルのお話じゃなさそうだ。

いや、もしかしたら、これはウクライナの代表選手の負け惜しみなのかもしれない。というわけで、本当のところは、さっぱりわからない。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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