「鏡の法則」 のリアリティ
「読んだ人の 9割が涙した」 という 「鏡の法則」 が、ブログの世界では賛否両論を含め、かなりの話題になっているようだ。
元ネタは こちら なのだろうが、ちょっとした長文なので、速読術でもやっていない限りは 少なくとも 5分以上かかるだろうということを覚悟して、読んでみて頂きたい。
そんな長文を読んでいる暇がないという人のために、無理矢理なダイジェストで話の内容を紹介すると、ごく普通の主婦が、息子がいじめにあっているらしいことを非常に心配していたのだが、夫の知り合いというカウンセラーの電話を通じた指導で、問題解決に導かれたというお話だ。
根本的な問題は、実は息子にあったのではなく、父親を憎み、夫を軽蔑していた自分の心の中にあったということがわかり、その反省の上に、父との和解が成立し、夫への愛情がよみがえったことによる。
「鏡の法則」 というのは、自分自身の内面的問題が、まるで鏡のように身近な家族に投影されて現れるということを意味しているのだろう。
これに対する反応は、「シンプルに感動した」派と、「馬鹿馬鹿しい」派に、二分されているようだ。「怪しい宗教団体の勧誘じみている」という反応もある。
ここで、ようやく自分自身の感想を述べる段になったのだが、はっきり言って、私はこれらのどちらでもない。
話としては決して馬鹿馬鹿しい世迷い言ではなく、構造的にはあり得る(それどころか、現実にそこら中にある)ことなのだが、この個別の話に限ると、ストーリーとして、ちょっとリアリティにかけていて、「9割が涙」するほどのことじゃないだろうと思うのだ。
親との和解が、広範な人生問題の解決につながるというのは、心理カウンセリングの世界ではよく知られたことで、決して根拠のない話ではない。親子間の相剋というのは、潜在意識の中で大きなトラウマとなり、実際の行動に大きく影響するからだ。
親との劇的な(あるいは一見「さりげない」)和解という重要なカタルシスが、人生のターニング・ポイントとなったという例を、私も少なからず見聞きしている。だから、この「鏡の法則」というのは、実際にまともな教訓を多く含んでいる。
しかしながら、個別のストーリーとしてのこのお話が、「9割が涙した」というほどよくできたお話かというと、そうは思わない。いろいろな実例の最大公約数みたいな要素をシンプル化して詰め込んだような印象で、リアリティが欠けているように思われるのである。
実際には、かたくなだった主婦の心が、見知らぬ人との電話を通じた会話ぐらいで、そんなに簡単に解きほぐされるものではない。現実の解決は、行きつ戻りつ、苦しみや悩みが波のように寄せたり引いたりして、もっとずっと手間のかかる場合が多い。
だからこの話に含まれる教訓と、ストーリーとしての「出来」の問題は、きちんと区別して考えなければならない。
そして、この「9割が涙した」というのは、ほぼ「でまかせ」で (だって、データの取りようがないんだもの)、本を売るための安っぽいキャッチフレーズとして機能しており、話題性とある種のうさんくささを醸し出している点で、功罪相半ばするだろう。
なお、このストーリーは、「玄倉川の岸辺」の「ハンカチを窓から投げ捨てろ!」のエントリーで知った。
【追記】
この件に関して、7月 7日のエントリーで、より具体的に触れているので、興味のある方はご参照のほど。
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