都心の一等地の剣道場は無駄か?
詳しい事情を全然知らないので、部外者の戯言になってしまう虞れもあるのだが、ちょっとだけ、嘴を突っ込んでみようと思う。
何かというと、東京文京区音羽の講談社の敷地内にある剣道場、野間道場の取り壊しが決定してしまったらしく、それを惜しむ声が上がっていることについてである。
このことは、私の本宅サイト「知のヴァーリトゥード」の BBS に書き込みのあったくまさんという方のサイトで知った。くまさんは、この野間道場の保存のために活動を開始されているようである。
野間道場というのは、講談社の創業者で「剣道社長」 とも呼ばれた野間清治氏が、全人教育を目指して、大正 14年に自社の敷地内に建てられたものだという。全国の剣士を受け入れた 70数年の歴史がある。
この野間道場が取り壊されることになったというのだが、講談社にしてみれば、都心の一等地に酔狂な剣道場を置いておくなんてことは、もったいない話なので、より有効な土地活用をしたいということなのだろう。
しかし、私はこの話を聞いて逆の発想をした。この都心の一等地に、金を生むわけでもない剣道場を持っているということが、出版企業としての無形の価値を生み出すということに気付いてもらいたいと思ったのである。
自社内にこの道場を保存し、きっちりと活用していくことは、その辺の何とかコンクールとかかんとか大会のスポンサーになったり、バブルが崩壊すると忘れたふりをする薄っぺらなメセナ活動をしたりするより、ずっと意味のあることではないか。
この道場を取り壊してしまったら、何か大きなものを失うことになるような気がするのである。
「諸外国では云々」 みたいなことは、あんまり言いたくないけれど、こんな由緒ある建物をあっさり取り壊すなんていうのは、日本以外の先進国では、あまり聞かれないお話だとも思う。そもそもそんなことしたら、すごい反感買うだろうし。
とまあ、部外者ならではのお気楽なことを書いてしまったのだが、そのあたりよろしくお願い致したいと思うのである。
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コメント
庄内拓明様、
ありがとうございます。くまです。
今どきの注目ネタに「野間道場」を取り上げて頂き感謝いたします。
音羽の地に、野間道場と言う木造の道場があり、その道場を現在まで、講談社の好意により、無償で剣道家に提供されております。
毎朝竹刀の音が絶えないところです。
稽古をしながら、自然の光と風を感じることのできる、不思議な空間です。
皆さんに、是非、野間道場の存在を知って頂きたいと思います。
又講談社役員の方々にも、再度、野間道場の貴重さを思い出して頂きたいと思っております。
ありがとうございました。
投稿: くま | 2006年7月28日 09:37
くま さん:
部外者の勝手な思いかもしれませんが、残してもらいたいですね。
あっさり取り壊しなんてことにしたら、「講談社の文化性って何なの?」てなことになると思います。
考え直してもらいたいです。
投稿: tak | 2006年7月28日 11:21
くまです。
庄内拓明様、ありがとうございます。
先日、野間道場で親子で剣道を楽しむ稽古会を開催いたしました。
その様子も日記にアップしましたのでご覧頂ければと思います。
庄内拓明様、ちょっとこの場お借りいたします。
ここをご覧の皆様、くまのブログ日誌は、自由に書き込めますので、是非「夢は空我のくま」 にも書き込みお願い致します。(^0_0^)
できれば、26日の親子で稽古の処に書き込んで頂ければと思います。
その日の日誌は、印刷して講談社のほうに提出する予定ですからよろしくお願い致します。
くまをクリックして頂くか、下記アドレスで26日の日誌の処に飛びます。
皆様も是非書き込みお願い致しますね。
2006/08/26(土)親子で剣道を楽しむIN野間道場
http://mykit.jp/nikki/comment.php3?id=sukenojyo&day=2006/08/26
( ブログ日誌) 夢は空我のくま
日記アドレス http://mykit.jp/pc/sukenojyo/
携帯アドレス http://mykit.jp/i.php3?i=sukenojyo
投稿: くま | 2006年8月29日 22:01
くまです。
本日くまのブログ日誌に、神田ライオンズクラブの方よりコメントありました。
野間道場は、江戸幕府が幕末時に創設した、神田三崎町(現在の日大図書館)のある場所にあった講武所にある道場を移築したものだと書き込みがありました。
その情報が確かなものなら、歴史的価値が非常に高くなってきます。
くま早速、詳しいことを関係各所と連絡をとりながら調べていきたいと思います。
投稿: くま | 2006年9月21日 21:52
くまさん:
すごいことになってきましたね。
それが本当なら、ますます保存しておかなければ。
「講武所」 については、ググってみたら、以下に詳しい説明が出ていました。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaisunao/rekisi/ed-end01.htm
http://blog.livedoor.jp/akichan10314002/archives/50616340.html
投稿: tak | 2006年9月22日 09:43
くまです。
三崎町の講武所と万延2年(1861年)の同時期建てられた建物を調べてみました。
静岡の掛川城の二の丸御殿です。
御殿建築様式に多く見られるムクリ破風板屋根をもつ玄関が、野間道場の玄関屋根とそっくりです。
再建されたのも、(1861年)の同時期であります。
まるで兄弟のように似ています。
皆様くまのブログに写真を掲載しましたのでご覧ください。
投稿: くま | 2006年9月25日 23:53
くまさん:
写真を拝見しました。確かにそっくりですね。
ますます興味が湧きますね。
投稿: tak | 2006年9月26日 10:36
くまです。
くまのブログに三崎町の古地図をアップしました。
ご覧頂ければ幸いです。
投稿: くま | 2006年9月29日 13:05
少しずつ調べが進んでいる様子ですね。
幕末から明治初期というのは、今まで文化財の視点からは案外軽んじられていたような気がします。
しかし、考えてみると、激動の中で近世と近代を結ぶ重要な位置づけにあるんですね。
もう少しきちんと見直す必要がありそうです。
それから、今の道路というのは、昔の広い敷地を斜めに突っ切る形で作られたのが多いのだとわかりました。
碁盤の目にするより、ショートカットだと思ったのかなあ。
投稿: tak | 2006年9月29日 13:36
くまです。
三崎町の斜めの道路のわけがわかりました。
詳しくは、くまのブログ10日の野良犬苦情に関することについての処で書きましたが、明治時代錬兵場は、日曜日には、自由に敷地内に入れたそうです。
その頃劇場等がありましたので、そこにいくのに斜めに横切ったほうが近いので、皆そこを通ったみたいです。
その名残みたいです。
昨日、古本屋で講武所の建物の図面を購入しました。
くまのブログご覧頂ければ幸いです。
投稿: くま | 2006年10月14日 11:37
>昨日、古本屋で講武所の建物の図面を購入しました。
すごいですね。
古本屋で見つけるというのは、運がないとできませんからね。
投稿: tak | 2006年10月14日 23:25
ご無沙汰しております、
くまです。
野間道場の保存を望むHPを有志が作成しました。
保存運動のご助力のお願いHPです。
よろしくお願い致します。
投稿: くま | 2006年12月21日 20:38
くま さん:
本当に保存されるといいですね。
健闘を祈ります。
投稿: tak | 2006年12月22日 17:16