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2006年7月19日

情報には常にギャップがある

今月 12日から続くドサ回りの旅の空で、情報からやや遠ざかっているうちに、例の秋田の事件で、畠山鈴香容疑者が、自分の娘まで殺したと今頃になって自供していた。

地元では当日、橋の上の畠山母子が目撃されていたというのに、狭い地域ながら、情報のギャップというのは恐いものである。

秋田県警は当初、最初の事件は「事故の可能性が高い」としていて、まともな捜査が行なわれなかったフシがある。

これは確かに「最終結論」として出されたわけではなかったが、こんなふうなコメントが一応としてでも出されてしまうと、それが一人歩きしてしまって、現場ではそれ以上の捜査がしにくくなるものだ。

それに関して多くのマスコミも、「もっとまともな捜査をしていたら、2件目は防げたかもしれない」と、批判的な報道をしている。読売新聞社説でも、次のように述べられている。

遺体には、高所から突き落とされたことを示す痕跡があったのではないか。事件現場となった橋の上で、畠山被告と彩香さんとみられる母子を目撃した住民もいた。周辺の聞き込み捜査を徹底していれば、このような、事件性をうかがわせる情報が得られた可能性もある。

2件目は防げたかも知れない。そう思えば、豪憲君の両親には実に悔しいことだろう。捜査幹部の対応や司法解剖、現場検証などに問題はなかったか。詳細に検証すべきである。

確かにその通りである。しかし、世の中というのはなかなか難しいものである。情報にギャップはつきものなのだ。

事件現場の橋の上の母子を目撃した住民がいたというのは事実なようで、その情報は警察に伝えられてもいたようだ。しかし、警察内部でそれが軽く見られたのか、その情報が直接具体的な捜査の動きを引き起こすことは、ついになかった。

これがまず、「情報ギャップ・その 1」 である。

さらに言えば、この目撃情報が、地域住民の間では噂として公然と囁かれていたにもかかわらず、影響力のある情報として表面化しなかったということもある。

思えばマスコミも、畠山容疑者宅と実家周辺にはあれだけ大人数のスタッフを繰り出して常時監視体制を敷いていたのに、ちょっと離れた橋の周辺で公然と囁かれていた情報は聞き逃していた(あるいは書き漏らしていた?)ということになる。

これが「情報ギャップ・その 2」だ。情報ギャップというのは、どうやら生じやすい特定ポイントがあるようなのだ。

情報とはもともとそうしたものなのだ。さらに、「みんな知ってるはず」のことほど、肝心なところに伝わっていなかったりするものなのである。

それだから、イエスマンの担ぐ御輿に乗せられただけの経営者がトンチンカンなことを言ったり、国や自治体の重要問題の対策が後手後手に回ったり、家族や職場の人間関係がギクシャクしたりするのだ。

情報流通のある時点で、誰かが「こんなこと言ってもしかたないかな」とか「こんなこと言って、恨まれたりするのも嫌だな」とか、その場では妥当かもしれない「小さな判断」をすることで、結果的に大きなギャップが生じることがある。

これは、複雑系のお話になるだろう。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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