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2006年8月14日

沖縄の時間軸と空間軸

2泊 3日の沖縄旅行から戻って、日付が変わった。沖縄には、はまってしまった。帰ってきたとたんに、また行きたくなっている。

沖縄で常に感じていた「非日常性」というものの正体が、少しだけつかめたような気がする。それは、ウチナーの時間軸と空間軸の単位が、ヤマトとはかなり違うということだ。

沖縄の時間軸はゆったりとしている。まず、歩くのが遅い。高速道路の制限速度が 80km/h と、筑波周辺の一般道の流れより遅い。

それだけに、歴史感覚が違う。本土では「既に戦後ではない」と言われて久しいが、沖縄では、戦後はつい最近のようだ。それどころか、中世がすぐそこにある。

沖縄では城のことを「グスク」というが、日本のいわゆる「城」とは様相が全然違う。日本の城は、安土桃山時代以後、すべて天守閣を中心としたスタイルになってしまったが、「グスク」はそれに比べたら、神社の様式の方に近いと思う。

戦うための城ではなく、礼拝するための「場」という気がする。

沖縄には、いわゆる近世から近代にかけての歴史感覚が希薄だ。近世以後は薩摩の植民地となってしまったので、中世がずっと続いて、いきなり戦後になってしまったようなところがある。だから、古い歴史に、生身の人間の手が届くのだ。

空間軸も違う。那覇からみたら、東京よりも台北の方がずっと近いのだ。黒潮の流れくるところに東南アジアがある。南太平洋のミクロネシア、ポリネシアに、感覚がとぎれることなくつながっている。そして東シナ海を隔てて、中国がすぐそこにある。そして、アメリカの戦闘機もすぐそこにある。

東洋のどん詰まりで、何もかもがドメスティックに完結してしまうヤマトンチュー感覚とは、かなりの差がある。時々沖縄に行って、感性をリセットするとよさそうな気がする。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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コメント

沖縄の城について
小さな島なので中での争いには日本で言う「城」は必要ではなかったのでしょう。外からの敵には島全体が城の役目を果たし、それでは防ぐことができない相手に対しては外交で対処していたものと思われます。だから沖縄の「ぐすく」は城ではなく、行政と祭祀の場所だったのでしょう。日本でも御所はそういう雰囲気が感じられますね。
うちなーについて
この言葉は沖縄が「一つ」であることを表しているのではないでしょうか。日本=本土では自分の家や家族(関西では自分自身や自分の亭主も)を「うち」と言いますが、それが沖縄においては島全体が「うち」でそこに棲むみんなが「うちなー=おれたち」では?と感じます。

投稿: fujioka | 2006年8月14日 22:34

fujioka さん:

示唆に富んだ書き込み、ありがとうございます。

>だから沖縄の「ぐすく」は城ではなく、行政と祭祀の場所だったのでしょう。日本でも御所はそういう雰囲気が感じられますね。

私も、まさにそれを感じていました。

>うちなーについて
>それが沖縄においては島全体が「うち」でそこに棲むみんなが「うちなー=おれたち」では?と感じます。

なるほど! (と、膝を打ちました)

「うちなー」 は、庄内弁でいう 「おらいんな」 あるいは 「おらほんな」 だったんですね。

「おらい」= 「おれのいえ」
「おらいんな」 = 「おらいの (人、もの)」

「おらほ」 = 「おれの方 (地域)」
「おらほんな」 = 「おらほの (人、もの)」

(庄内では、男も女も 「おれ」と言うので、男尊的な言辞では決してありません。念のため)

投稿: tak | 2006年8月15日 16:44

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