「オーマイニュース 日本版」 を見たけど
「オーマイニュース 日本版」がスタートした。試しにアクセスしてみたが、ニュースの質だの偏りだのという以前に、いかんせん、重すぎる。ブラウジングがサクサクできない。
個別の記事がようやく表示されてみると、うぅむ、なんだかなあ。鳥越氏が 2ch をどうこう言ってるが、五十歩百歩じゃないかなあ。
このような形の「インターネット新聞」ということについて言えば、そんなメディアって、別に必要ないんじゃなかろうか。それでなくとも、「市民記者」的な存在のブロガーが、日本中にくさるほどいる。私は、その呼称はあまり好きじゃないけど。
下手に特定メディアにまとめようなんてするから、昨日のようにアクセスができない状態になってしまったりする。
編集長という触れ込みの鳥越氏だが、実際には、単に「シンボル」的存在のような印象だ。実際に運営に深く関わるような姿勢は感じられない。つまり、「客寄せパンダ」という役どころかな。
彼は匿名と実名ということについてこだわっておいでのようだが、実名だから信用できて匿名だから信用できないなんてことは、全然ない。そのことについては、既に多くのブログで語られている。
それでなくとも、「オーマイニュース」 は市場では既にかなり「色付き」というイメージで見られている。鳥越氏がいくら「中立性」ということを強調しても、それを真に受ける者は少ないだろう。
このような市民記者によるインターネット新聞を運営するのに、どうして韓国メディアのライセンシーみたいな形でスタートしなければならなかったのか。多分、「竹島問題」などで 「中立性」 を保つことはかなり困難だろう。その辺りからして、警戒感が強いわけだ。
「オーマイニュース」の発祥地である韓国では、ノムヒョン大統領の誕生に、大きな役割を果たしたと言われている。しかし私はそのことについて、とても批判的に見ている。
先月 14日の 「ノムヒョン = ベルボトム論」 というエントリーで述べたように、私は韓国民がノムヒョンを大統領に選出したことは、一時の流行に乗ってしまった結果で、結果的にはかなりの「チョンボ」だったんじゃないかと思うのだ。
それが、現在の彼に対する支持率の劇的な低下という形で現れている。日本の団塊の世代の多くが、1970年代初頭のベルボトムをはいた写真を、「恥ずかしい姿」として隠したがるメンタリティに似ているような気がする。
有り体に言ってしまうと、「オーマイニュース」のビジネスモデルは、「市民記者」の数をできるだけ増やしてしまえば、少なくとも仲間うちでのページビューが増え、それによって、広告収入が保証されるということだ。煎じ詰めれば、それだけの話ではないか。
そもそも、私は 「オーマイニュース」なんてネーミングをするようなセンスには、恥ずかしくて付き合いきれん。
【2020年 11月 25日 追記】
今さらの追記だが、「オーマイニュース」日本版は、2008年 9月に「オーマイライフ」に変わり、さらに 2009年 4月に閉鎖となった。
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コメント
オーマイといえばスパゲッティ(古い?)
投稿: 山辺響 | 2006年8月29日 11:05
山辺響 さん:
>オーマイといえばスパゲッティ(古い?)
私がかろうじて書くのを思いとどまったネタを…… ^^;)
投稿: tak | 2006年8月29日 23:17