「夏休みの宿題」不人気ランキング
Goo ランキングに 「子どものころ、やりたくなかった夏休みの宿題ランキング」 というのがあり、トップ 3 は上から 「自由研究」 「読書・読書感想文」 「日記 (絵日記)」 になっていて、4位以下とは明らかな大差がついている。
「うーむ、なるほど」 と思う。この 3つ、共通するのは 「自由の押しつけによる不自由」 だ。
日本の学校というのはとてもおもしろいところで、普段は子どもが「自由な振る舞い」なんぞをすると、確実に怒るくせに、夏休みになると、とたんに「自由」を押しつけてくる。
「自由研究なんだから、好きなことを自由に研究すればいいのよ」「好きな本を読んで、感じたことを自由に書きなさい」「その日のことをありのままに書くのが、日記というもの」なんてなことを言われても、そもそも「学校的自由」というものに対して、子どもは猜疑心の塊なのだ。
「本当に好きなことを、ありのままに自由に」やるなんてことは、初めから選択の対象外だ。だって、そんなことは、学校で認められるはずがない。昔でいえば、「漫画の描き方」「楽しい寄り道ポイント」、今ならさしずめ、「ゲームの攻略ポイント」などなど。
「好きなことを自由に」なんていうのは単なる建前で、やっぱり、そこには「学校的自由の方程式」というものがある。しかしその方程式の種明かしを、学校は決してしてくれず、あくまでも「好きなことを自由に」と繰り返すだけだ。
ここで、子供は途方に暮れるのである。ほかのことは、しっかりと鋳型にはめるように教育するくせに、夏休みだけは急に、「中途半端な放り出し方」をされるのだ。
というわけで、自由研究なんてのはせいぜい、「アサガオの成長記録」とか、「昆虫の観察」といった「観察系」か、「振り子の動き方」なんていう「単純実験系」が主流になる。しかし私のような文科系少年少女の多くは、そういうちまちまし「観察・実験」が、一番苦手なのだ。
そうした「誰がやっても、たいてい同じような結果になるのがわかりきっている研究」というものには、そもそもあまり興味が湧かない。「だったら、わざわざ自分がやらなくてもいい」と思えてしまう。
「自分でやってみたら、本当にそうなった」ということの確認の喜びを説く先生もいて、それはそれで確かに意義深いのだが、多くの子どもは、そんな結果のみえすぎることに貴重な時間を費やすよりは、夏休みにはだらだらと遊び、夕暮れになったら、ぼうっとしたいのだ。
文科系少年少女は、「おかあさんの口癖」とか「両親の夫婦げんかの傾向」とか、そういったものの分析なら案外得意なのだが、そんな「人文的自由研究」を学校に持って行っても仕方がないと思うので、そもそもやらない。
結局、「自由でいいのよ」と言いつつ、子どもたちが「自分の自由意志で不自由を選択するようにし向ける」というのが、夏休みの宿題の本当の目的なのだと思う。
「自由にやって」と言われて、本当に自由闊達なことをやってしまえる子どもというのは、ちょっとした天才で、そう滅多にいるものではない。私なんか、おぼろげな構想だけは浮かんでも、結局は遊びほうけてしまって、形にはできなかった。
「おぼろげな構想に形を与える」教育というのができれば、それは大したものなのだが、そんなことのできる先生が、どこの小学校にもいるとも思えないし。
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コメント
あまりの確信を付いているので、大笑い!大爆笑でした。
子供の頃の記憶をしっかり持っている大人はいい大人だと、何かの格言にありました。
拓明さんはいい大人ですね。
確か、沖縄に行かれるのですね。私は福島に義母の納骨、四十九日法要です。台風はきっとどこかに迷走するでしょう。
投稿: 豊田恵子 | 2006年8月 8日 10:19
思い出しますね、自由研究。
10年ぐらい前、上の娘が小学生の時、何を研究したい?って母親が聞いても、娘は「別に」って全く興味を示さず、しょうがないので本屋で「自由研究のテキスト」なるものを購入、手っ取り早く最上川に生息する「逆巻貝」(ドブ貝なので河川敷のコンクリートに必ずいる貝)の研究をすることにしました。
お父さんが採取して、お母さんが観察してレポート書いて・・・。もちろん娘も一緒なのですが興味がないせいか身が入りません。
夏休みが終わり学校に提出すると先生から「とっても良い題材ですので市の研究発表コンクールに学校代表として出しましょう。ついては、多少の手直しが必要ですので打合せを・・・。」と言われて先生と母親が必死で手直しをして提出しました。(まあ、そこに娘もいて、発表も当然娘がやったのですが・・・)
お陰様で、さがだ市の自由研究発表会の優秀賞を戴きまして、先生と母親が涙ながらに感激しておりました。
そんな母親を見て娘が一言「お母さん、よかったね。」だって。
(-_-;A
今年は息子の番なのですが、母親はその時に燃え尽きてしまっったせいか、全く身が入りません。
(;-.-)どーすんなっ!
投稿: いどさん | 2006年8月 8日 11:30
面白い!そうでしたそうでした。結局は先生にとって好ましい結果を持っていく必要があるんですよね。親の協力の有るかなしかでクッキリ明暗が分かれて、こどもながらに「これ、本当に子どもだけで作ったの?(何処で買えるのか想像つかない材料があったりして)」と思ったものでした。普段から頭も良くて、絵も上手な子が「すごい作品」を持ってきていたから、もともと細かいことを上手にやれる才能の有る子に、親が上手に研究テーマと材料と場所と時間とを与えているのでしょうね。「~クンの親すごい」と思って見てたのを思い出しました。「中途半端な自由」の不自由さ、名言ですね。
投稿: banan | 2006年8月 8日 14:16
豊田恵子 さん:
>拓明さんはいい大人ですね。
何度そうありたいと願ったことか ^^;)
>私は福島に義母の納骨、四十九日法要です。
お悔やみ申し上げます。
四十九日が終わって、中陰を抜け、あの世に旅立たれて、すぐにお盆ですね。
お義母さま、亡くなられてからも忙しいですね。
投稿: tak | 2006年8月 8日 20:15
いどさん:
>お陰様で、さがだ市の自由研究発表会の優秀賞を戴きまして、先生と母親が涙ながらに感激しておりました。
>そんな母親を見て娘が一言「お母さん、よかったね。」だって。
いやぁ、笑いました。
奥さんと娘さん、それぞれの意味で、なかなか大したものですね。
投稿: tak | 2006年8月 8日 20:20
banan さん:
>「~クンの親すごい」と思って見てたのを思い出しました。
なるほど、そうみるのか。
親の方が夢中になってしまう気持ち、わかりそうな気がします。
私はウチの三人娘の夏休みの宿題、一度も手伝ったことないけど。
投稿: tak | 2006年8月 8日 20:22
おお、なんと親孝行なお嬢様たち・・・。私はといえば、やはり母に泣きついていました。「紙粘土でなんか作ってみたらどう?」とか「刺繍してみる?コンパスで図案を作ったら面白いのが出来るよ」とか創作系で短期集中でサクッと出来上がるものを提案し、出来上がり近くなったら仕上げに何処をどうしたら更に良くなるか教えてくれるようなひとでした。バリバリの文系、でも手先を使うのが好きという私をよく観察していたなと思います。
兄を猫かわいがりしてきた母を憎らしく思ったこともありましたが、こうして思い出してみると世話になったのだと気づかされてしまいました。takさん、ありがとうございました。
投稿: banan | 2006年8月 9日 00:07
banan さん:
素敵なお母様ですね。
最高の手伝い方だと思いました。
投稿: tak | 2006年8月 9日 22:56
ありがとうございます。母が聞いたら喜ぶと思います。じんときてしまいました。また、お邪魔しますね。ではでは。
投稿: banan | 2006年8月10日 19:48
banan さん:
こっちもじんときちゃいました ^^;)
投稿: tak | 2006年8月10日 20:58
tak-shonaiさんこんばんは~
ほんとうにお久しぶりです。
私はまだブログ再開できていません。そういう意味で、tak-shonaiさんは天才ですね。
さて、夏休みの宿題不人気ランキングは
私にとって、びっくりのことでした。だって、私のもっとも好きな宿題の123だったから。そういう視点で考えたことが一度もなかった。不思議です。
いえね、お利口ぶってるんじゃないのよ。まじです。
私が思うに、私はすっごくおぼこくて、純情だったんでしょうよ。tak-shonaiさんについて私が思うのは、
貴方は、少し、早熟で、頭が良すぎて、先生の言われる宿題に対しても、「So What?]っていう気分の男の子だったんですよね?ちゃんちゃらおかしいっていう気分だったんじゃないんでしょうか?クラスの中に、そういう進んだ子供が、たま~~~にいました。でも、なかなか小学生ではいませんでしたね。やはり、中学生くらいになったら、文学少女みたいな何でも解ってる子供、私の頭脳の理解の外にいるそんな子供がいました。
投稿: tokiko | 2013年8月13日 17:11
tak-shonaiさんこの記事は2006年なんですね?
こんな昔の記事にコメント書いてしまって、ごめんなさいね。
投稿: tokiko | 2013年8月13日 17:16
tokiko さん:
お元気そうでなりよりです。
私は、いくらなんでもそんなにヒネてはいなかったと思いますよ。
ただ、宿題はさっさと仕上げて、あとは心おきなくぼうっとして過ごしたかっただけです (^o^)
投稿: tak | 2013年8月14日 17:29