「ペンギン歩き」 と寿命というもの
今月 1日のエントリーで、我が家の 2匹の猫のうち、年上の方の白猫が今にも死にそうだと書いてしまったが、実は、家人の必死の看病が功を奏して、蘇ってしまった。
自分では立ち上がることも水も飲むこともできなかったのが、今では足取りはややおぼつかないものの、自由に歩き回っている。
私の死んだ祖母は、近所でも有名な猫好きで、子供の頃は家の中に猫が何匹いるかわからないぐらいいたが、1匹を除いて、死期が近づくと不思議に姿を消していなくなってしまうのだった。
猫というのは、自分の寿命が終わりかけているのを悟ると、死に場所を求めてどこかに行ってしまうのだと聞かされた。医学的には、生命力が衰えて体温が下がると、その体温にふさわしい、静かで涼しい場所を求めるうちに、人の目につきにくいところまで行ってしまうものらしい。
ところが、が家の白猫は、外に出る前に足腰が動かなくなってしまったのだ。今の季節、外は暑いので機会を失ってしまったのかもしれない。それが不幸中の幸いで、驚いた妻と娘が必死の看病をしたわけだ。
家内の涼しいところに寝かせ、頻繁にスポイトで少しずつミルクを飲ませて、水分と栄養を補給した。何日かするうちに、缶詰の魚を食べるようになり、やせ衰えて今にも死にそうだった体が、ややふっくらとし始めた。そして、自力で起きあがって歩き始めたのである。
初めのうちはふらふらした歩き方だったが、今日は階段をひょこひょこと昇るまでに回復した。足取りが日を追うごとに確かになってきているので、これでしばらくは、死なずに済むだろう。
足取りの確かさというのは、生命力のバロメータである。
そういえば、田舎の父がよく同年代の友人の歩き方を称して、「あいつも、近頃ペンギン歩きになってしまった」などと言うことがある。
「ペンギン歩き」というのは、父の名付けた歩き方で、両腕を振らずに、腰のあたりに静止させ、首をやや前方に突き出して、膝から下だけで、力なくひょこひょこと歩く様をいう。後ろから見ると、めっきり背中が小さくなったように感じる、いかにも年寄りじみた歩き方だ。
恐いことに、このペンギン歩きになってしまうと、人はほどなく床に伏すようになり、何年もしないうちに亡くなってしまうことが多い。父は 「腕を振って大股で歩けるのは、幸せだ」と言う。確かにその通りである。
この世で果たさなければならないことがあるうちは、しっかりとした足取りで、世の中を歩こう。その足取りが、果たすべきことを果たさせてくれる。
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コメント
いつも楽しく見させていただいています。うちの祖母は、ペンギン歩きになってもう十年以上たちますが、未だ元気にペンギン歩きをしています。ペンギン歩きになってからも、部屋で遊べる生きがい(PS2)があるせいですかね^^;
投稿: mak_in | 2006年8月 7日 13:03
mak_in さん:
ほほう、10年以上もペンギン歩きでお元気とは。
歩きようがどうでも、元気なら、それが一番ですね。
もしかしたら、男はしぶとさが足りないかも。
PS2 が生きがいとは、きっと、頭がしっかりしてらっしゃるんでしょうね。
いつまでもお元気で遊べるようにお祈りいたします。
投稿: tak | 2006年8月 7日 15:15
こんばんは。
いつも拝見させていただいてます。
私はまだ20代のひよっこなんですが、
>この世で果たさなければならないことがあるうちは、しっかりとした足取りで、世の中を歩こう。
>その足取りが、果たすべきことを果たさせてくれる。
この言葉、シビレました<<
頑張ろうという気になりました。
ネコちゃんの看病をなさったご家族の方の頑張りにも拍手を送りたい気持ちです。
投稿: ひよっこ | 2006年8月 8日 00:08
ひよっこ さん:
>この世で果たさなければならないことがあるうちは、しっかりとした足取りで、世の中を歩こう。
>その足取りが、果たすべきことを果たさせてくれる。
この言葉、シビレました<<
頑張ろうという気になりました。
ありがとうございます。
我ながら、がんばろうというきになりました。
感謝しつつですけどね。
(8月5日のエントリー参照)
ウチの家族の、「無償の愛を発揮した 1週間」 でした。
投稿: tak | 2006年8月 8日 04:32