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2006年8月25日

子猫殺しということ

前にも書いたが、私の死んだ祖母は近所でも有名な猫好きで、子どもの頃、我が家には猫が何匹いるかわからないほどだった。

それでも、子猫が何匹も生まれるとさすがに飼いきれず、祖父がどこやらに捨ててくるのだった。「川向こうに捨ててきた」と、うんざりした顔で言う祖父の言葉を、今でも覚えている。

当時、「川向こうに捨てた」ということは、拾われる可能性はほとんどないということだ。生まれたばかりの子猫とて、自分で餌をあさることすらできないだろう。要するに、「殺した」と同じことである。それを思うと、子どもの私は少しだけ辛かった。

「少しだけ」というのは、子猫を捨てた現場に立ち会ったわけでもないので、現実感が薄かったためである。自分の手を汚していないだけ、悲しみは、それほど大きなものではなかった。

辛かったけれど、正直言うと、心のどこかでちょっとだけ「ほっとした気分」があったのも確かである。これ以上猫が増えたら、いくらなんでも大変だと思ってもいたので。

人間というのは、勝手なものである。その勝手さを、もっともらしくエッセイにしたためた坂東眞砂子という女流作家が、今、非難の的になっている。(参照

私は真正面からは彼女を非難する気になれない。子猫殺しという行為で、直接自分の手を汚さずに済み、ちょっとだけ辛いけれど、反面、ほっとしてもいた自分の罪を、思い返さずにはいられないからだ。

今、我が家ではメス猫を 2匹飼っているが、両方とも避妊手術をしている。かの女流作家の言い方を借りれば、獣にとっての「生」を蹂躙していることになる。猫は生まれてきた以上、マグワイをして子を産むのが幸せなのかもしれないからだ。

女流作家はさらに言う。「子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ。避妊手術のほうが、殺しという厭なことに手を染めずに済む」

しかし、これはあまりにも乱暴な論理である。避妊手術は、決して「子種を殺す」というわけではないからだ。私は「殺さない」方を選択しているのである。

そもそも、かの女流作家は、この子猫殺しをエッセイとして告白することで、一体何をねらったのだろうか。

動物をペットとして飼うという人間の傲慢さを、不条理として訴えたかったのだろうか。もしそうだとしたら、彼女の「獣にとっての『生』とは、人間の干渉なく、自然のなかで生きることだ」という主張は、あまりにも幼稚に過ぎて、お話にならない。

ともあれ、今回の騒ぎで彼女の名は一躍有名になった。おかげで、私も彼女の名を初めて知った。宣伝料に換算したら、莫大な額になるだろう。どうやらホラー作家らしいから、その効果は大変なものかもしれない。もしかしたら、計算されたスタンドプレーか?

しかし、彼女の創作世界に興味のない者からすれば、今回のエッセイは、幼稚な視点から「性」を肯定して「生」を否定してしまうという矛盾に満ちた、妙な問題提起をしたというにすぎないような気がする。

あるいは強いて言えば、人間の根元的な「業」への問いにつながる問題提起でもあるわけだが、だからといって、この昔からある問いを発するために、実際に自分で子猫殺しをすることが必要かといえば、首をかしげてしまう。

ところで、我が家の猫は、妊娠する能力を失っているくせに、私にさんざん甘えると、いつも最後には意味ありげに、お尻を私の方に向ける。これには苦笑せざるを得ない。

避妊手術をしても、猫の「生」 は蹂躙されきっているわけでもないようなのである。

【2022年 2月 14日 追記】

じつは子猫を殺してなどいなかった 坂東眞砂子さんのこと」という記事が見つかったので、遅ればせながら書いておく。

 

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コメント

当該記事によれば、生まれた子猫を崖下に放り投げたはずだったのに、
今朝の日経の関連記事では、「空き地に捨てて死なせた」とあり、
原文よりも表現がマイルドになっていました。

いまさら遅いのにねぇ。

投稿: hrk | 2006年8月25日 14:56

hrk さん:

今回の騒ぎで、一番うっとうしい思いをしているのは、日経編集部だと思います。

ただ、それを避けたかったら、件の女流作家の担当者が、原稿をもらった時点で 「これは、ヤバイ」 と判断すべきだったでしょう。

投書欄などへの一般読者からの投稿だったら、文句なしに 「ボツ」 になったでしょうが、作家先生だと、そうはならないというのも、イヤな感じがします。

編集部の判断でボツにしたら、この女流作家は、ほかのメディアで編集部批判をしていたかもしれません。でも、世の大勢は 「編集部の良識」 支持するだろうと思います。

投稿: tak | 2006年8月25日 17:38

うちのミック王子は、タマが降りてきてすぐ去勢手術を受けさせました。マンションから出さないなら、わざわざそういうことをしなくても…の思いはあったのですけど、発情期に家中にシッコをされてはいっしょに暮らせないので。

実はあのエッセイを読んだとき、猫に対して不自然を強いたことの後ろめたさを持ったのです。でも takさんの最後の一文に救われました。ありがとうございます。

投稿: sato | 2006年8月26日 10:46

sato さん:

>実はあのエッセイを読んだとき、猫に対して不自然を強いたことの後ろめたさを持ったのです。

それを言ったら、「イエネコ」自体が不自然な生物ですからね。
プードルほどじゃないかも知れないけど。

投稿: tak | 2006年8月26日 19:22

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